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こたろう博物学研究所
探訪記録:19980802 |
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小田町/河辺村方面散策【平成10年(1998)8月2日】今回は行ったとこの記録と、1行所感だけにしとこう。その分、「伊予の隅々」の各市町村情報の充実に努めよう...と自己弁護するワシじゃった。
1.道の駅「ひろた」【広田村】道の駅スタンプラリーをやっとるんじゃが、いつもスタンプブックを家に置き忘れたままにしとるんで3冊も溜まってしもうとる。今日は幸いにも携帯して来とったんで、全冊にスタンプを押すことができたわい。よかった、よかった。
2.男嶌/音羽山の碑【小田町】国道379号線を南進し、内子町大瀬へ抜ける道と、小田町に向かう道との三叉路を左に折れ、100mほど過ぎたところの左カーブに2つの碑が建っとる。何の功績を残した人なんじゃろか?この「男嶌/音羽山」という響きから察するに、力士じゃなかろうかと思うんじゃが、どうもプロ力士では無さそうな。「男嶌」のほうの碑には上のほうに、「頭取」という文字も刻まれとるが、まさか銀行の頭取じゃなさそうじゃしのう。
3.獅子越峠【小田町】今日の探訪の主目的は、「子供達を小田深山渓谷で遊ばせること」じゃ。何せ、松山は連日連夜、暑さで蒸せ返っとる。スーパー「フジ」に行って冷房にあたるのもええが、やっぱ自然の涼しさっちゅうもんに触れささんといかん。涼を求めて小田町内から曲がりくねった山道(県道52号線〜小田柳谷線)を上っていくと、峠に行き着き、小田深山スキー場SOLFAが見えてくる。獅子越峠だ。四国カルスト県立自然公園に指定されているだけあって、ここからの小田の山高い場所にある集落と、連なる山々の景観はなかなか見ごたえがあるもんよ。 ●泉賢盈翁頌徳碑●武知勇記先生頌徳碑4.小田深山渓谷【小田町】小田深山渓谷は遠かった。松山から2時間近くかかった。地図で見たらもっと近いはずなんじゃけどなぁ。でも、川の水が澄んどるし、ひんやりとしとる。足をつけるとさぶいぼが出そうなほど冷たい。 川の端に生えてる木々は枝張りも良く、数百年の年月を感じさせるほど太い幹をしとる。長年、人が入って来なんだ奥深き山っちゅう感じがして、ほんとええとこじゃねぇ。 川遊びしとったら、道の上から外人さん(おねぇさん)が手を振ってくれる。わしゃ、あちゃらの友達なぞおらんのはずじゃがのう。どうも小田町に山村留学かなんかでおいでになっとるか、キャンプしに来とるんじゃろうが、誰それかまわず愛想振りまく外人さんの陽気さ・気質っちゅうのは見習いたいもんじゃわい。
5.広瀬神社【小田町】今時の神社にしては、「木製の鳥居」っちゅうのも珍しいんじゃなかろうか?「郷社」という格付けでありながらも、これほど勇壮さを示している神社はそうお目にかかったものではない。 まず、「楼門を構えている」という点、これも鄙びた山村にある神社の中では珍しい部類に入るんじゃなかろうか? 楼門の左右には、謂れがありそうな古めかしい木造が配されている。
●県指定天然記念物「いちいがし」・昭和25年10月10日指定・根回り10m、目通り6.7m、樹高30m、推定樹齢1000年以上 ●県指定天然記念物「けやき二株(その1)」・昭和28年2月13日指定・根回り11m、目通り7m、樹高40m、推定樹齢1000年以上 ●県指定天然記念物「けやき二株(その2)」・昭和28年2月13日指定・根回り13m、目通り7m、樹高40m、推定樹齢1000年以上
6.南山【小田町】県道55号線(小田河辺大洲線)を南進することにした。実は河辺村は、ワシにとって四国本土で唯一探訪していない市町村じゃった。●蛇淵の関所
7.ふるさとの宿【河辺村】●ふるさとの宿大伍小学校跡につくられた宿泊施設。●龍馬脱藩之日記念館●龍馬脱藩の道●七五三満の歌碑「山かわの ひかりしづかに 蝉なけど われのこころの 昨日には似ぬ」ある年の八月十六日 満 昭和52年5月建立。 明治37年大中山に生まれる。半生を故郷の教育に捧げる。傍ら俳誌覇王樹に拠り短歌に情熱を注ぎ、闘病に堪え、よく珠玉の作を残す。昭和30年河辺中学校校長として生涯を閉じる。時に55歳の時であった。 ●飛翔の像●秋滝龍王神社 |
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