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こたろう博物学研究所
探訪記録:19980808 |
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松山市道後方面散策【平成10年(1998)8月8日】1.子規堂・正宗寺【松山市】今日は大施餓鬼が行われるようで、いつも閑散としとる境内にはテントが張られて数十脚の椅子が並べられとった。施餓鬼(せがき)
子供らへの教育的意味も兼ねて、松山市に在住しとって初めて「観光俳句ポスト」に投句してみることにした。「お前らも松山に住んどるんじゃったら、俳句の一つでも書いてみい!」と「徳島県民は全員阿波踊りが踊れる」的論理を子供達にぶちかましながら、句を捻り出してみるが、いかんせん「にわか俳人」を気取ってみても、なかなかええ句は浮かんで来んもんじゃ。まあ投句することに意義ありと開き直って一句。
2.萬翠荘【松山市】坂道を上がっていくの物々しい雰囲気に包まれておる。上がっていくと消防車やらパトカーやらNHKの報道車などで狭い庭がごったがえしとる。なんぞ事件でも起きたんかのう。と、左手の茶屋の横に目をやると、停まっとった車がすっかり燃え尽きておる。 ほしてNHKの記者が何やら子供にインタビューしとる。押し寄せる車の列に身動きできなくなり、仕方無しに騒ぎが治まるのを待つことにしたんじゃが、聞く気が無くとも何やら噂話的な事件の顛末に関する話の断片が耳に入ってくる。それから察するに、どうも、観光で訪れた家族連れが萬翠荘やら愚陀仏庵やらを見学しとる間に、駐車しとった(多分、夏場じゃけんクーラを掛けっぱなしにしとったんじゃろね)間に自動車のエンジン系統のトラブルか何かで突如発火・炎上し、それを茶屋の従業員が見つけて消火器で消し止めた...というとこらしい。 以上が事実だとすれば非常に可哀相なことじゃ。何で松山くんだりまで来てそないな目に遭わんといかんのかいねぇ。
3.千秋寺【松山市】4.護国神社・万葉植物園【松山市】5.常信寺【松山市祝谷東町】・子規は明治28年9月20日石手・道後方面散策にて「秋の山 松鬱(うつ)として 常信寺」 の句を造っている。 ・常信寺には、松山藩主松平定行らの墓がある。
6.伊佐爾波神社【松山市】道後温泉の脇を通り、細い遊郭街の坂道を上っていく。子規の明治28年10月6日の句。 温泉楼上眺望 「柿の木に とりまかれたる 温泉哉」
7.宝厳寺(ほうごんじ)【松山市道後湯之町】・子規の散策集、明治28年10月6日に拠れば、宝厳寺の山門に腰うちかけて 「色里や 十歩はなれて 秋の風」 とある。また、 「古塚や 恋のさめたる 柳散る」 という句も残している。ここでいう「古塚」は「一遍上人誕生地の碑」を意味する。これは当初、松ヶ枝町の遊郭入口にあったという。時宗開祖である一遍上人はここ道後で生まれたという。
8.杖の淵公園(じょうのふちこうえん)【松山市】道後から石手寺に抜ける。石手寺にも子規の句碑が多い。 参道入口には、 「南無大師 石手の寺よ 稲の花」 三重塔の南には、 「身の上や 御鬮を引けば 秋の風」 これらは、いずれも明治28年9月20日の句である。 、繁多寺経由で旧国道11号線に出て、そして鷹の子から南進して高井の杖の淵公園を目指す。
ここにも子規の句碑がある。
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