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こたろう博物学研究所
探訪記録:19990720

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松山市/北条市/菊間町/大西町散策【平成11年(1999)7月20日】



★三津浜から海岸沿いに県道39号線(松山港内宮線)を北上。松山観光港を通り過ぎ、快調に車を走らす。やがて白石の鼻が見えてくる。今日は「海の日」ということもあって、早速家族連れが何組かが海辺に下りて行く姿が見える。そう言えば松山に居ながら、白石の鼻をじっくり眺めたことが無い。ちょっと道草でも食っていこうか。

1.白石の鼻【松山市勝岡町】

●白石龍神社

・神像:岩に腰掛け水玉を持ち、頭頂に龍を配す。
・祭神:黒玉姫命、彦火出見命、豊玉彦命
・由緒及び創建は明らかではないが、文書によると古くから五穀漁業の神として尊崇厚く、諸普請は郡方が行い、祭祀は和気郡代官が出張して奉行したとある。
・寛政7年(1795)社殿を修理した。
・文化9年(1812)暴風のため社殿が大破し、官の許可を得て新築した。
・明治4年、大政官布告により無格社に定められた。
・明治23年本殿を現在地に移転し、鳥居を建立した。
・以後、前の社殿跡を元社という。
・昭和7年、拝殿を建立した。
・昭和26年宗教法人として登録された。
・平成3年9月、19号台風により本殿及び鳥居が倒壊し、境内にも被害を受けた。
・平成4年7月、本殿及び鳥居の再建並びに境内の修復を完了した。
(以上、平成4年7月吉日建立の白石龍神社由来碑より)

●白石観世音菩薩

・当地白石の鼻東側岸壁沖合い30m干潮海底1.5mにて平成9ん江6月23日二神成志氏が発見。速やかに当地龍神宮境内に鎮座した。松山西署に届け出たが、盗難届の該当者は無く、高浜町6丁目町内会長森伊勢男氏が世話人代表となった。
★県道39号線では免許センターの手前で「ネズミ捕り」をしており、2〜3台の車が止められていた。、青い海を眺めながらゆっくりと走っていたので事なきを得た。
★国道196号線、堀江から新バイパスに入り、一直線で北条を突き抜け、突き当たりを右に折れ県道17号線(北条玉川線)へ。才の原の県道17号線と県道197号線の合流点のところで「十二ヶ滝 滝本の滝/猪木の弓祈祷」の看板を発見。右手に折れて細い道を上っていく。
★1km強 車を走らせたところに、御堂が建っている。

2.滝本彌勒堂【北条市滝本】

・山号:田中山
・寺号:立江寺
・本尊:彌勒菩薩/地蔵菩薩
・風早四国88ヶ所霊場 第19番霊場

★更に200mぐらい進むと、滝本の滝の看板が立っており、左手には鳥居が見える。


3.十二ヶ滝 滝本の滝【北条市滝本】

★鳥居前の社号碑の裏面には「伊與旧紀曰風早郡神途郷滝本邑有國社號熊野滝宮」と書かれている。

滝本川沿いに続く小径を上っていくと、やがて鬱蒼とした鎮守の森が見えてくる。

●熊野神社

●延命地蔵堂

●滝本観音堂

・本尊:聖観音/地蔵菩薩
・風早四国88ヶ所霊場 第20番霊場

●滝本の滝

★上ってきた道を引き返し、県道17号線に下りた後、今度は県道197号線(菊間才の原線)を通り菊間へと向かう。

4.三島神社【北条市小山田 寺谷】

●地蔵堂

・本尊:聖観世音菩薩
・風早四国88ヶ所霊場 第85番霊場

●地蔵堂

・風早四国88ヶ所霊場 番外第20番

●三島神社

★鳥居には「天保十五申辰」の銘有り。
★県道197号線は結構綺麗な道だ...などと思いながら菊間町に入った瞬間、がらっと道路状態は酷いものとなる。車1台通行するのが精一杯のワインディングロードだ。久々に警笛を鳴らしながら運転する。

5.亀岡小学校跡【菊間町佐方】

・菊間町指定史跡(昭和37年3月指定)
・JR亀岡駅のやや西手、現在の亀岡小学校の南にあるJAの亀岡支所があるところに小さな石標が建っている。
・亀岡小学校は明治23年6月に開校した。

6.亀岡八幡神社【菊間町佐方】

●亀山八幡神社寄附板

・菊間町指定有形文化財(昭和58年3月指定)

●亀山八幡神社裏古墳

・菊間町指定史跡(昭和58年3月指定)
・本殿裏側に横穴式石室が口を開いている。

●境内社:厳島神社

●境内社:祇園神社

★本殿裏の小径を下りていくと、山裾に洞門があり、奥から水が湧き出している。説明板も何も建っていない。誰が何時、何のために掘ったものか。

7.貴船神社【菊間町佐方】

★鳥居には「天保十巳亥」との銘がある。

8.村上義光公墓所【菊間町佐方】

★佐方川沿いに細い道を上っていくと道端に石標が建っているのが目に入ったので、民家の軒先に車を止めて山道を駆け上ってみたのだが、生憎発見できす。

9.賀茂別雷神社【菊間町佐方】

●賀茂の大樟

・県指定天然記念物(昭和40年3月29日指定)
・太さ(目通り)7m、樹高25m、枝張り東20m、西37m、南20m、北11m。
・地上4mの所から二つに分岐し、更に多くに分かれて姿勢整然、樹木も頗る旺盛である。
・境内には老松も多く繁茂しており、森厳な社叢である。

10.別府農村公園【大西町別府】

★これと言って特徴もないただの公園。
★小便がしたくなったので立ち寄る。ラッキーなことに水洗であった。

11.國恩寺【大西町別府】

★庫裏があるのみ。特にみどころ無し。
★寺の直下にある別府集会所では中年(老年?)男女4人が卓球に白熱していた。

12.星の浦海浜公園【大西町星之浦】

★大西町の観光案内図があったのでメモしに立ち寄る。
★海辺では水着姿もちらほら。皆海の日を満喫しているようだ。

13.碇掛天満神社【大西町星之浦】

★鎮座している山の裾をぐるっとまわって南側の線路脇の参道登り口までは行ってみたのだが、足が疲れ気味なので登るのを挫折。

14.九王地蔵堂【大西町九王】

・九王地蔵堂は、享保6年(1721)左甚五郎の流れをくむといわれる名工・阿波大によって建てられたと伝えられている。
・反りのある屋根の勾配の美しさ、素晴らしい正面の唐獅子並びに龍の彫刻、更に格子天井など、それら全体がよく調和した美しさを見せている。堂の中に三体の地蔵尊が祀られており、堂の周囲には、庄屋であった村瀬家の立派な墓石や、他の家の墓石がたくさんある。
・また藩政時代のいつの頃か、地蔵尊の参詣者がたくさん増え、賽銭が多く集まったので、そのお金で御堂を建てることを松山藩の役人に願い出たが、農民に倹約を勧めていた時代で許可が出難かったので、葬式の焼香場として必要であることを理由に願い出て許可を得たとも伝えられている。

15.九王龍神社【大西町九王】

★マリンスポーツに興じる若者達、海パン姿で海の家の廃墟の屋根から飛び降りる高校生を横目で見ながら立ち寄ってみたが、これといって特筆すべきことは無し。やっぱり継ぎ獅子の時以外はみどころ無しか。

16.藤山健康文化公園【大西町宮脇】

★今日は大井八幡神社に寄るために、駐車場に車を止めただけで、公園の中までは入らず。

17.大井八幡神社【大西町宮脇】

・祭神:阿佐利命(あさりのみこと)、若弥尾命(わかみおのみこと)、品陀和気命(ほんだわけのみこと)、帯仲津日子命(たらしなかつひこのみこと)、息長帯比賣命(おきながたらしひめのみこと)、三筒之男命(さんづつのおのみこと)、武内宿禰(たけうちのすくね)、玉依比賣命(たまよりひめのみこと)、尊真親王(たかざねしんのう)
・社伝によれば、文武天皇の詔勅によって大宝2年、乎智宿祢玉純(おちのすくねたまずみ)が奉行となって神殿を建営し、風速野間の国造であった阿佐利命、怒麻国造若弥尾命の2柱を崇祀して大井宮と称した。
・後に清和天皇の貞観元年に宇佐八幡大神を山城国男山に勧請の時、航路にあたる当郷の弓津恵島(ゆづえじま)に船泊した時。八幡神の神託があり、河野深躬が垂迹の智に八幡宮を勧請し仮神殿を建立奉斎した。
・寛平2年後醍醐天皇の皇子尊真親王がこの郷で崩御され、その霊を当社に合祀した。

●境内社:稲荷神社


18.大西町役場【大西町宮脇】

★今日は祝日なので案の定閉庁だった。

●村瀬武男翁の像

●越智茂翁の像

●合併記念碑


19.加茂神社【大西町山之内】

・明治35年に勧請された。

●クロガネモチ

・大西町指定天然記念物(昭和56年3月16日指定)
・太さ(根回り)5.15m、樹高20m、
推定樹齢250年。
・社地は古墳だったと考えられ、この木も神社建立以前の古い樹木と考えられる。
★突如雨足が強くなってきた。雷もやたら大きな音で鳴り響いている。県道163号線(鈍川伊予大井線)、国道317号線と乗り継いで帰る途中、大西町山之内にある「明堂さん」「おひつ岩」「重茂城跡」などにも立ち寄るつもりだったが、今日のところは素直に家路を急ぐこととした。
★玉川ダム湖畔のビューパーク玉川のひまわり畑には大輪の花が一斉に咲いていた。雨さえ降ってなければ立ち寄ったのに。残念。

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