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こたろう博物学研究所
探訪記録:19991002

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赤星山登山・土居町散策【平成11年(1999)10月2日】



 朝6:00に松山を出発。南環状線経由で国道11号線に出てひた走る。今日はとりわけ信号機に引っ掛かる。松山市内を脱出するに彼是40分はかかった。こんなことなら砥部町経由で川内に抜ける県道を走ればよかったと少し後悔した。
 桜三里のトンネルを越えた辺りで、重機車両が前に割り込んできた。とろ臭く坂道をゆっくりと下っていく。生憎追い越し禁止の区間が続くため、イライラしながらもしっかりと道交法に従って追走するしかない。焦ってみても始まらぬと自分に言い聞かせても、先を急ぎたい気持ちのほうが勝っている。桜三里を下りて、痺れをきらして追い抜きをかけようとした矢先、重機は涼し気に東予市方面へと左折していった。
 それからも、決して快調には車は進まない。国道のあちこちで「情報BOX敷設工事」と銘打って道路を掘っており、片側通行の規制を行っている。苛々を増長させる。
 結局土居町まで辿り着くのに2時間近くもかかってしまった。気を取り直してコンビニで食材を調達した後、赤星ラインの入口を探して東へと進む。赤星ライン入口にはしっかりした案内標識があると思ったのだが、見落としたのか四国縦貫道土居ICへの右折路に差し掛かっても入口が見当たらない。「これは行き過ぎたか」とIC入口を越えたところで強引に右折し、IC入口の左側の細道を南進する。高速道の橋桁の下をくぐると、赤星山登山口の標識が見えた。

1.赤星山【土居町】

 林道野田線の起点の標識が立っている。幅員3.0m、延長2.7kmとある。車で林道終点まで行こうかと思ったのだが、赤星ライン創始者の顕彰碑の建っているところから未舗装のガタガタ道が続いている。2.7kmという距離は、歩くにはちょっとした距離だ。出来れば車で林道終点までは入っていきたかったのだが、こないだの台風18号のことも頭によぎった。路上への落石や道路の崩落も懸念される。途中で引き返すハメになってもいけない。丁度上水場の横に駐車スペースもあることだしと、バックで引き返し、そこに車を停め、林道を徒歩で行くことにした。
 08:06、登山開始。まずは林道始点に建つ「赤星ライン創始者顕彰碑」をじっくりと眺める。「曽我部友弘翁」がどうも創始者らしい。脇には川柳碑が建つ。作者名は今いち読み取れないが、昭和58年7月に赤星川柳会が建立したものである。
「花がすき 人の笑顔が もっと好き」
 林道の脇には大地川が大きな音をたてながら急勾配の谷を流れ落ちている。市街地からそれほど離れた位置でもないのに、これほど勢いよく流れ、しかも水が澄みきっているのには驚きである。中予や南予では、このような川を殆ど目にすることはない。
 川の流れを眺めながら、上流へと林道を歩く。途中コンクリート舗装されているところもあり、落石も殆ど無く、車を置いて来たのは失敗かとも思った。しかし、直に自分のとった行動は正解であることを知らされた。案の定、台風のもたらした大雨の影響で道路が陥没し、自動車のタイヤなど完全に落ち込んでしまうような大穴が開いている。復旧には時間を要すであろう。

 30分弱歩いただろうか。登山口に辿り着いた。「赤星山頂まで4.5km」とある。ここまで歩いただけでも、結構スタミナを消耗した感がある。しかし、「4.5kmなら2時間ぐらいで山頂に辿り着けるかな」などと甘い考えもあった。まずは登山用ポストの引き出しを開けて、入山のチェックを行う。殆ど利用者はいないようだ。1ヶ月前の日付で高松からの登山者が記名している以外、誰一人チェックはしていない。用紙も雨水に曝されてワープロのインクが滲んでいる。今回は単独登山でもあることだし、念のために記名しておき、早速登山を開始した。08:34出発。

 まずは沢を渡らねばならない。梯子は意図的にどけられたのか、それとも水の流れに拠るものか、沢には架かってなく、川岸に横たわっている。しかし飛び石があるため、足許を濡らすこともなく渡りきることができた。

 09:02、3.5km標識地点を通過。
 

●機滝(はただき)

 09:12、機滝に到着。幾筋もの水の糸が垂直の岩肌を滴り落ちている。機滝とはよく名付けたものである。的を得た命名だと感心する。滝を眺めながら5分休息。

●紅葉滝

 機滝のすぐ上流には紅葉滝がある。落差はそれほど大きくない。比較的ポピュラーな形態の滝とでも言おうか。

●布引滝

 09:20、布引滝に到着。更に滝が続く。滑らかな岩肌を滑るように水が流れていく。どことなく松野町の滑床渓谷の雪輪滝を思い出させる。滝の上の岩に腰掛けて10分休息。

●稲妻滝

 09:42、稲妻滝に到着。名前通り、稲妻のようにジグザグに水が流れている。

 このように多種多様な滝が楽しめる場所も珍しいのではないが。大きな打ち上げ花火もいいが、ねずみ花火や線香花火などの色んな小粒な花火を次々とやるのもまた風雅なものである。丁度これと似た感覚を覚える。

 滝を堪能した後は、川の右岸の草が生い茂る径を進む。やがて朽ち果てた小屋が目に留まる。何と無く薄気味悪い小屋の中に足を踏み入れると、床は抜け落ち、天井も所々青空を拝める穴が開いている。最早誰一人として利用している様子はない。棚の上には何故か江口寿志の単行本(ジャンプコミックス)「進めパイレーツ」が読み人を待ちくたびれて雨にふやけている。

 09:57、2.5km標識地点に到着。ここは千丈の滝の分岐点になっている。折角だから最後の滝も見ておこうかとも思ったが、往復1時間はかかりそうなので、寄り道していると体力が持ちそうもない。滝以降のルートファインディングも難しそうである。今日のところは、断念し山頂をめざすことにした。
 途中で、青紫色の不思議な形の花弁を持つ美しい花が、一輪だけ山道の脇にぽつんと咲いているのが目に留まる。何という花だろう...と「日本の山野草」というハンドブックを広げてみる。花の形、葉の形を照らし合わせてみると、どうもトリカブトのようだ。「本州の中部地方以北の山地や丘陵地に生える」とあるが、果してここにあるのは本当にトリカブトだろうかと疑問も浮かぶが、どう見てもそうだ。しかしながら、猛毒アルカロイドを持つようには到底見えない涼し気な花である。

 10:17、2.0km標識地点に到着。朝が早かったせいか腹の虫が音を立て始めた。若干バテ気味なのか、休まずにはいられない。標識の横に腰掛けて、ビスケットを腹の中に押し込む。
 程なく、山中から何やら人の声が響いてくる。「他にも登山者がいたんだ」と急に人恋しくなり、座り込んでしまっていたのにパワーがみなぎってくる。まったく現金なものだ。50mほど歩いたところで、上から降りてきた、年の頃は30代後半から40代前半の女性登山者2人組と出会う。「こんにちは」と挨拶を交わす。

 「もう下山ということは、朝早くから登り始めたんですね。何時から登られたのですか?」
 「06:00からです」
 「それはまた早いですね」
 「地元ですから...。それと、南側から登ってきたんで、1時間半ぐらいで山頂に着いたんですよ」
 どうも伊予三島市富郷方面から登って来られたようである。
 「お登りさんだから、大変ですね。しんどいでしょ?」
 「そうですね。彼是もう2時間歩きましたし、今から先もこんな急勾配だとまいっちゃいますね」
 「ところで、この先はどこに下りるようになるんですか?」
 「ずっと下りると滝がありましてね」
 「征木の滝ですか?」
 「いえいえ、機滝とか布引の滝とかですね。征木の滝はずっと西側の沢になりますよ。この先は、土居のICのところに出ていくようになりますね」
と、さっきまで見てきた風景をもとに説明する。
 「どこか林道か何か、逸れる道はあるんですか?私達、南側の麓に車を置いて来たんで、取りに戻らんといかんのですよ」
 「残念ながらから真っ直ぐ1本の道しかありませんからね。国道に出ていくしかないんじゃないですかね」
 「そうですか...」
 「ええ。あ、この先、結構台風で朽ちているところも多いんで、気をつけて下りていってくださいね」
 「ありがとう。ここから上も結構崩れてましたからね....。それじゃお気をつけて」
 「それじゃ」

 孤独を楽しむのも登山だけれど、人と出会うのもまた楽しいものである。などと意気揚々としながら、再び登りはじめる。

 10:36、1.5km標識地点に到着。

 11:00、1.0km標識地点に到着。

 大地川源流、最後の水場で一休みし、昼食用の水をペットボトルの中に詰める。もうひとふんばりだなぁと感じながらも最後の1kmは結構長い道程である。しかし、季節外れのような紫陽花の花や、群生した竜胆が一斉に開花して出迎えてくれる。何と無くと疲れも癒される。そうこうしている内に尾根に出た。頑張って足を運んでいくと高木層から低木層、そして草原へと移り変わって行く。
 
 11:50、やっとの思いで山頂に辿り着いた。標高:1453.2mの三角点の石標が建ち、その横には小さな鳥居や「高松軽登山同好会」による標識が建っている。山頂は心地よい秋風が吹き抜け、汗をかいた身体に涼しさが染み込んでくる。爽快な気分だ。
 山頂から北側を眺める。生憎、雲が多く、平野部や瀬戸内海は霞んで見える程度であったが、自分が歩いてきた山道が物凄い急勾配だったことをまざまざと感じさせる。西には二ツ岳東赤石山の連峰が見渡せる。山頂付近に厚い雲が被さっており、天気が思わしくない様相を示している。一通り景観を楽しんだ後、やや西方へと下り、ススキが生い茂る山頂の草原部で昼食を摂ることにした。先程水場で汲んだ水を沸かしインスタントラーメンをこしらえる。安上がりな食事だが、このような景観の中で食べるとすこぶる美味い。食後には熱いコーヒーを。これまた美味い。これこそ至福の時であり、登ってよかったなぁと感じる瞬間である。

 ところが、30分ぐらい休んだ頃、南側から真っ白い雲が押し寄せてきた。「ヤバイ。雨が落ちてくるかも」と不安を感じる。強い雨でも降ろうものならば、先程幾つか渡ってきた沢はたちどころに増水し、下山できなくなるかもしれない。疲れた身体を十分に癒す間もなく、慌てて下山に移ることにした。

 12:36、下山開始。下りは足取りも軽く、順調に進んでいく。12:45、0.5km標識地点を通過。12:50、水場を通過。12:58、1.0km標識地点を通過。13:11、1.5km標識地点を通過。登るときの半分以下の時間で快調に下山は進む。ヒノキの植林帯に入って、「ショートカットすれば更に時間短縮できるかも」と色気を出したのがまずかった。所々の木に括られた赤いリボンを目安に、道無き道を強引に駆け下りたのだが、途中で登山道を見失ってしまう。おまけに急勾配を駆け下りたものだから、足に負担がかかったのか突然膝が笑い始める。「まずいなぁ」と思いながら一生懸命赤リボンの先を探す。(後から気付いたのだが、恐らく千丈の滝からの登り道の方へ逸れてしまったのだろう。)引き返しながら東側に登っていくと、見覚えのある道に合流することができた。内心ほっとした。
 足の痛みは引かないものの、順調に下山は進む。13:33、2.5km標識地点に辿り着いた。この頃より、雨がポツリポツリを落ち始める。本格的に降り始めると、沢渡りがヤバイことになってきそうだ。足の痛みを堪えながら急ぎ足で下山する。

13:53、稲妻滝到着。
13:56、3.0km標識地点到着。
14:02、布引滝到着。
14:03、紅葉滝到着。
14:06、機滝到着。
14:07.3.5km標識地点到着。河原に下りて10分ほど一休み。
14:25、4.0km地点到着。
14:31、沢を渡る途中で一休み。
14:36、登山口に到着。

 結局、何とか天気は持ちこたえたようだ。無事麓まで下りてくることができた...と安堵感に浸りながら下山のチェックを行う。安心すると、急に足の痛みが強くなった。まだ車のところまでは3km近く歩かねばならない....と考えるとどっと疲れも湧いてきた。

14:57、林道入口に到着。

 結局、本日の赤星山登山者は、自分を入れて3人のみだったと見える。アプローチの距離が長いせいと、この季節、紅葉の到来の時期であり、石鎚山系の高度の高い方に流れた人が多かったせいであろうと思った。しかし、急勾配の斜面を流れ落ちる川の多様な姿を楽しみながら自然を満喫できる良い所であったとつくづく思う。
 

 あとはゆっくりと松山に向かい、途中温泉にでも漬かって疲れを癒そうとも思ったのだが、折角2時間かけて土居町まで来たのだし、日没まであと3時間近くもある...ということで、土居町散策へと移行することにした。


2.正八幡神社【土居町】

 肝心の正八幡神社の社殿は見えない。鳥居、狛犬などが佇むだけである。
 正八幡神社の鳥居の前には「四国のみち(四国自然歩道):旧国道を行くみちコース」の案内板が建つ。村山神社近藤篤山生家、伊予土居駅(国鉄)、延命寺(いざり松)、千足神社関の原などの名前が見える。

3.村山神社【土居町】

 旧国道を西に走ると、かなり大きな神社が右側に見えてくる。それもそのはず...というのもおかしいのだが、延喜式内社であり由緒深い神社なのだ。長津公民館の前に車を停めて、境内社地を散策する。
 鳥居の向こうには門を構え、両脇には烏帽子姿の木像が収められている。門をくぐると宝塚と記された石標とともに、堀で囲まれた塚が築かれており、その向こうに拝殿が見える。

●村山神社

・延喜式内名神大社
・斎明天皇と天智天皇を祭神とするこの神社は、津根郷発祥の歴史とともに隆昌した県下屈指の式内大社である。
・拝殿前のお宝塚は、斎明天皇百済救援の折の御陵所ともいわれている。
・古来西国三十三カ国の人々は、下参宮と称し、この村山神社に参詣することで、伊勢神宮の参拝に替えていたそうである。
・また、ここにまつってある木像70余体は斎明天近侍の生像といわれている。
・社紋は、御所車の車輪をあしらったものになっている。

●宝塚

・応神天皇の御代秦氏がこの地に栄え、続いて孝徳天皇の御代阿部小殿小鎌が常の里に派遣され砂金の採集に当たった。その後斎明天皇の7年、天皇筑紫行幸の途次道後温泉に御入湯後3月25日中大兄皇子、大海人皇子等を伴い御船を■えして娜乃大津磐瀬の行宮に■行され地を長津と改められたと日本書紀に誌されており、お宝塚を中心とする村山神社神域が磐瀬の行宮遺蹟と拝察され、またお宝塚は高貴の方の御陵とも伝承されている。

●ホルトノキ

・土居町指定天然記念物文第2号「村山神社のホルト」
・昭和56年6月29日指定

 門の左手に聳える。本殿裏にも巨木が立っているのだが、こちらは何にも指定されていない様子。

●かめじ句碑

「太古より畫きぬ恵みの神の水」
御手洗改修記念、昭和57年4月建立。

 境内地、ホルトノキの南側には、濠というか泉というか表現に困るのだが清水が湧き出る場所があり、最も奥手の場所にこの句碑は建っている。「御手洗」、「神の水」というのはこの泉のことを指しているのだろう。


4.三福寺【土居町】

・宗派:古真言宗(高野山真言宗)
・山号:豊岡山
・新四国曼荼羅霊場第28番札所
・長津小学校前

 村山神社から北進し、国道を渡って真っ直ぐ500mほど進むと、非常に新しい建屋の寺が見える。山門前には古めかしい常夜灯が建っている。天保九戌年九月の銘が入っている。

●大般若経全六百巻

・土居町指定有形文化財文第12号

5.眼寿院【土居町】

・四国三十六不動霊場第25番札所
・山号:五寳山

 確か「龍宮門」と称したはずだ。余り他では見掛けない様式の門が建っている。じっくり眺めてみようかと思った矢先、いきなり大粒の雨が降り出した。天気雨である。急いで写真を撮った後、車に引き返す途中に東の空を仰ぐと、神々しい七色の光の橋が架かっているのが見えた。


6.延命寺【土居町土居895】

・準別格本山
・四国別格20霊場第12番札所
・本尊:延命地蔵菩薩
・宗派:真言宗御室派
・山号:真尼山
・千枚通本坊
・伊予六地蔵 第5番札所

 寺の東側には小川が流れる。赤い欄干の小橋を渡ると、沢山の御札が張られた四国別格霊場の名に相応しい地蔵堂が堂々と構えている。しばらく見入っていると、住職が
 「納経するんな?」
と横から声をかけてくる。
 「いえいえ、眺めにきただけですから」
 「その小脇に抱えとるんに納経するんじゃないんかな?」
 「あ、これ...単なる手帳ですから」
和尚は帚を持って地蔵堂の裏へと去っていった。その後ろ姿を追いながら、賽銭も出さずちょっと申し訳ない気もした。
 

●いざり松

・この松は弘法大師お手植えの松と伝えられ、地面に大きく枝を広げた樹相から「土居のいざり松」と呼ばれ親しまれてきた。しかし惜しいことに昭和43年に枯れてしまい、今では残った根や太い幹で、ありし日の雄姿を想像するしかない。その巨木ぶりは、目通り直径5m、枝張り東西30m、難僕20m余りに及んだそうである。
・樹齢は700〜800年と言われていた。

 今はその面影も無い。道を挟んだ東側の敷地に横たわっている枯果てた幹の一部で、その勇壮な当時の姿を偲ぶしか術がない。


7.やまじ風公園【土居町入野】

 さすがに夕方5時を過ぎた頃になると、どっぷり疲れてきた。折角だからと、最後にやまじ風公園に立ち寄ってから帰ることにした。駐車場の脇に建つ「風のホルン」や管理棟内部を眺めてみたものの、公園というものは一人で来ても余り面白いものではない。



 さあ、もう道草を食うのは止めて真っ直ぐ家に帰ろう。

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