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こたろう博物学研究所
探訪記録:19991011 |
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北三方ヶ森への登山【平成11年(1999)10月11日】曇天気味の休日。目覚めも今一つ悪かった。布団から抜け出して来た頃には、すでに時計の針は9:00を回ろうとしていた。所々晴れ間は広がっているが、遠く皿ヶ嶺の方を見渡すと、山頂付近に厚い雲が垂れ込めている。幸いにも松山北方の山々の上の方は青空の面積のほうが広いようた。 10:00少し前に重たい腰を上げ、松山市最高峰である北三方ヶ森を目指すことにした。重信川・石手川の土手沿いに川上へと上がり、国道317号線との合流点・岩堰のところに出る。市の井手にあるローソンで食材を買い求めた後、石手川上流へ向けて車を走らせる。10:52、水ヶ峠トンネルに到着。 トンネルの脇から奥へと入っていく峠ヶ谷林道の入口・水ヶ峠橋の袂に車を停めて登山を開始する。林道の脇には、ミズヒキやイヌタデの赤・ピンクの小粒の花で彩られていて秋を感じさせる。石手川源流の水音を聞きながら黙々と歩いて行く。途中、1台の4WD自動車と行き会ったが、それ以外、人の気配は全く感じることはない。途中の小川には到底滝と呼べるものではないが小瀑が顔を覗かせ、小気味良い音を立てて水を落としている。普段は気にも留めもしないものさえ美しく感じ、自然と目に留まる。時折、足を止めると、吹き出し始めた汗をぬぐうかのように、冷んやりとした秋の風が谷を駆けていく。
11:25、「水ヶ峠へ 松山ハイキングクラブ」という案内標識が倒れている分岐点に辿り着く。丁度、小さい沢が合流しているところである。ここで、一旦小休止をとる。沢の水にタオルを濡らし、顔や腕を拭って疲れを癒す。
11:38、水ヶ峠到着。前回休憩してから10分少々だが、ここでゆっくり休むことにする。ベンチが2つ設けられており、その上にリュックサックを降ろし、辺りを観察してみる。峠は海抜705mであり、北側には玉川町木地方面からの登山道が続いている。玉川方面から水ヶ峠、そして尾根を縦走して北三方ヶ森、そして高縄山へと続く道は「四国のみち」に選定されていて、非常に整備が行き届いているようだ。峠には、「玉川町木地 1.2km、北三方ヶ森 3.7km」との道標が立てられている。 その脇には地蔵が一体佇んでいる。風化して読み取りにくいが、どうも安政三年に造られたもののようである。地蔵の前には多くの賽銭が置かれており、小さいながら古くより信仰厚い地蔵であることが伺える。水ヶ峠という名前は玉川方面へと流れる蒼社川と、松山方面へと流れる石手川(旧名で言えば湯山川)とへ豊富な水を送り出す分水嶺であることに由来している。案外、この地蔵は水に因んで祀られたものかもしれない。直観的には、野間郡(現在の今治界隈)と温泉郡(現在の松山市を含む)とを繋ぐ交通路として栄え、ちょうど郡の境にあたることから道の神・賽の神として祀ったものであることが拝察できる。 道標の根元には、日浦少年隊による看板が立てられており、それには
この「思案の石」と称するものは残念ながら見出すことができなかった。しかし、このような日本国中に通用するような諺の起源がこのような四国の片田舎にあるとも思えない。大師信仰の厚いお国柄でもあることから、後世になって強引に結び付けられた伝説に過ぎないとは思うが、地元の小学生達が自然の中で、ごく自然な形でこのような学習をしていることには感心させられる。 11:52、水ヶ峠を発ち、本来の目的地である北三方ヶ森を目指して東尾根を歩き始める。目の前には疑木で築かれた階段が延々と続いている。見上げただけで疲れが噴き出してくる。息が上がりそうになりながらも登り切ると、しばらくは比較的なだらかな山道が続く。両脇には背の低い雑木がやかましそうに立ち並んでいるため、生憎景色は楽しめない。時折、木々の間より南方あるいは北方の山々が姿を見せるが、直ぐに裁ち切れてしまう。 12:10、目の前にはまたもや疑木の階段が待ち受けている。まるで金刀比羅さんのように延々と階段は続く。途中休み休みながらも何とか登りきると、南東方向に遠景が広がる。時折吹く風も心地よい。
12:53「北三方ヶ森1.5km」との標識が立つ場所へ着く。まだ景色も開けず、薄暗い空間は続く。途中から疑木の階段も姿を消した。なだらかな斜面を小刻みに歩くほうが却って楽な感じがする。自分にとっては好都合な気がした。 13:20頃、目の前がだいぶ明るくなってきた。北側には玉川町を取り囲む山々の姿が開けてきた。北三方ヶ森の山頂が近づいたことが伺える。さあ、あとひとふんばりと、勾配のきつい山道を登っていくと上の方から何やら人の声が耳に入って来る。「あ、他にも登ってきてる人がいるんだ...」とちょっと嬉しい気分になってくる。誰一人居ないと思っていた山中で人に出会うと何とはなしに安堵感を覚える。山頂には2人連れの女性登山者がベンチに腰掛けて談話にふけっていた。まずは「こんにちわ」と挨拶を交わす。
食事の支度をしながら、北東方向に広がる玉川町の山々の眺望を楽しむ。生憎、快晴では無いため、燧灘の方までは臨むことができなかったが、爽快感を覚える景色である。ラーメンをすすり、コーヒーを飲みながら至福の時を過ごす。 一息ついて、ふと先程の女性達が話していた「新田神社」のことが脳裏に蘇ってきた。ひょっとして、彼女達は北条市米之野のほうから登ってきたのではなかろうかと。短絡的に「お杖椿」の話を持ち出したが、北条市米之野にある「新田神社」であれば全く筋違いの話になる。冷静に考えれば、松山市河中町にある、「お杖椿」で有名なのは「両新田神社」である。 考えてみると、下山路として使おうと考えている南尾根沿いの登山路を下りたところも米野町である。北三方ヶ森を挟んで似通った地名が存在するのも何となく不思議な感じがする。一度、地名由来譚を調べておきたいものだ。 さて、こんなことを考えていると俄かに辺りが曇ってきた。北西方向からはガスが押し寄せてきている。目の前に広がっていた風景もシャットアウトを食らう。雷雨でも来たら大変だ。急いで片付けをして、14:10、下山に移る。 山頂よりやや西手のところに西尾根と南尾根の分岐がある。「米野町へ」の標識も立っており、道に迷うことはない。やがて松の木が立ち並ぶ稜線へ出る。凸凹な道だが、然程歩きにくくもない。尾根の南端にまたもや「米野町へ」の標識が立っており、そこから沢に向かって下りていく。段々と水音が近づいてくる。沢の水で、一旦顔を洗った後、どんどん下りていく。沢沿いの道は台風で流される部分が結構多く、道を見出しにくくなっている。砂防ダム近くになると、川を歩いているのか道を歩いているのかわからなくなる。赤テープの印も確認しづらい状況である。 しかし砂防ダムを二つ越えると高為(こうだめ)林道終点に出る。ここからは道ははっきりしているし、平坦なので非常に歩きやすい。ゆっくりしたペースで約25分歩くと、国道317号線・水源郷の手前に辿り着いた。(15:10) このルートを用い、更に林道を車で行けば比較的短時間で北三方ヶ森に登れるであろうが、登り方向の標識が殆ど無く、初めて登る人にはルートファインディングに難有りと言えよう。 水源郷の前の自販機で缶ジュースを買い、乾いた喉に流し込みながら国道を歩き、15:22、駐車していた場所に到着。総計4時間強の登山であった。 P.S.
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