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こたろう博物学研究所
探訪記録:19991018

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西条市山間部散策【平成11年(1999)10月18日】


高瀑にいっぺん行ってみたいんだけどなぁ」
小松町出身の曽我部さんに対し何気無く漏らした言葉が、今回の旅の動機付けになった。
 「高瀑はウチの田舎よ。一人で行っても道がわからんかもしれんけん、案内しょうわい」

 互いに土日は私用で忙しい(?)ので、月曜日に有給休暇を取って高瀑を目指すことにした。関西随一の規模を誇る高さの滝であり、やっとその姿を拝めることができると、行く話が纏まってからは心踊る毎日であった。

 7:30過ぎに松山を出発し、国道11号線を東に走る。小松町を抜け、西条市氷見に入って2番目の信号を右折し、県道142号線・石鎚伊予小松停車場線へ。地図で眺めるよりも遥かに曲がりくねって、しかも細い道を車は走る。石鎚神社の木製の大きな鳥居が、県道を跨いでいるのが見える。その下をくぐり抜け、少し進むと黒瀬ダム湖黒瀬湖)が見えてくる。
 黒瀬湖の右岸に沿って抜けている県道12号線・西条久万線を上っていく。途中、「中央構造線黒瀬断層」なる立て看板も見えたりもするが、今回の本目的では無いので、チェックを入れるに止める。順調に車は進む....予定であった。しかし、西浦に入ったところで前方車両が足止めをくらっている。こないだの台風はこの辺りに大きな爪痕を残したようだ。県道は土砂崩れ修復のため、時間帯通行止めになっている。交通整理のおじさんに尋ねると12:00〜13:00、18:00〜しか通行出来ないとのこと。車が走れる道はこれ一本。仮に他に道があったとしても、一番いい道がこの状態では、通行出来る保証などありゃしない。仕方が無いので引き返し、計画を大幅に変更し、西条界隈をぶらぶらすることにした。


1.石鎚ふれあいの里【西条市中奥 千野々】

 引き返すとすぐに赤い鉄製のアーチ橋・千野々橋が見える。この橋は大正14年5月に建造されたものであるが、そのアーチ部分は比較的近年に造られたものであろう。古さは全く感じない。橋を渡ったところの袂に駐車場が設けられているのでそこに車を停めて、この辺りを散策する。
 南側に大元神社の社殿・社叢林がある。比較的小振りな社だが、背後に控える小高い丘も含めて植生旺盛な森を形成している。神社脇の径を登り、田の間の畦道をぶらぶらと歩く。鄙びた農村の風景を眺め、子供の頃を懐かしく思う。まさに、少年時代に自然に触れてきた風景がここにある。

 小さな沢の上流に続く道は、何かしら見物スポットが有りそうな予感を漂わせるのだが、下方に運動場が見えるので下りていくことにした。この運動場は、大保木(おおふき)中学校の跡地であった。現在は校舎は西条市役所大保木支所として活用されている。校門らしき場所には「大保木中学校跡」碑が建てられており、側面には「昭和22年、大保木村立大保木中学校開校。昭和31年、西条市立大保木中学校となる。昭和63年、閉校」とその歴史が刻まれている。
 運動場は、現在「ふれあい広場」と名付けられ、近隣の人々に活用されているようだ。今日も運動場では、トラックを示す白線が引く作業が営まれている。10月22日に行われる地区民の運動会の会場作りということらしい。僕達2人を姿を見つけたおばちゃんが、
 「ありゃぁ、あんたら手伝いに来たんかな」
と気さくに声を掛けてくる。何とも素朴な人柄としか言いようがない。
 運動場の東側の石段を下りると、この大保木中学校の敷地がとてつもなく高い石垣の上に設けられていたことに気付く。まるで城郭の如し、立派な石垣である。終戦直後の開校という歴史から考えると、機械で積み上げたとも思えない。人力で積まれたものと思われるが、子供達の学校のために平坦地を設けようという先人達の苦労が偲ばれる。

 やや東に進むと「石鎚ふれあいの里」がある。ここも元々は小学校があった場所である。元校舎の前には、「高嶺小学校跡」碑が立っており、「明治11年、開習学校開校。明治26年、中奥尋常小学校と改称。昭和16年、中奥国民学校と改称。昭和17年、大保木国民学校と合併し、高嶺国民学校と改称」と碑の側面に刻まれており、いつ閉校になったかは定かではないが、百数十年の歴史を感じさせる。
 今では6棟ほどのケビンが立ち並び、リゾート地として息を吹き返している。宿泊費は大人・一泊でざっくり1500円程度であり、非常に安価である。

 さて、この「石鎚ふれあいの里」に立ち寄ったのは、実は西条名水・名木50選に指定されている「上(神)のつばき」を拝見しようという目的があったからである。パンフレットに拠れば「石鎚ふれあいの里の裏手に聳える中奥山にツバキ、ギンモクセイ等の原生林がある」と書かれているが、探してみてもそれらしきものは見当たらない。 管理棟の中に「石鎚ふれあいの里」の管理人の姿が見えるので、早速何処にあるのかを尋ねたみた。ところが意外にも
 「原生林?そんなものはありゃせんで」
との回答。
 「ツバキやったら、そこの大保木中学校の横の道をずっと上ったところに宮司の家があったんじゃが、その家の跡地に立派なんが生えとるがなぁ。ギンモクセイは、横峰寺へ上る道沿いに巨木があるけん、そこに行ってみたらええんじゃないかのぅ」
とのこと。ツバキのほうは、どうやら先程上りかけて断念した道の向こうにあったようだ。取り敢えず情報は得られたので、今回のところは行くのは止めにしておく。
 「ところで、川の方はだいぶ荒れたみたいですね。今日は高瀑のほうへ行こうと思ってたんですが、生憎通行止めをくらいましたよ。その上んとこ以外にも結構ヤラれてるんですかね?」
 「そうじゃなぁ、あの辺りの道がやられとる以外は、余り無いかもしれんがなぁ。ロープウェイも運行しよるけんのぅ」
 「そうですよね。これからのシーズン、行楽客で賑わう掻き入れ時やのに、....。商売上がったりですね。」
 「それにしても凄い水が出たもんで、何十年ぶりかじゃのぅ、こがいに水が出たんは。何せあの千野々橋のところを水が越えたんじゃからなぁ」
 先ほど見た限りでは橋桁は河床から5〜6mの高さのところにあるのだから、それを乗り越えたとなると相当な量の水が流れ出したには間違いない。

 管理人と数分談話した後、「ふれあいの里」の敷地内を色々と見て歩く。なるほど、東隅に設けられたプールの川寄りの部分は水に洗われて陥没している。台風の爪痕は意外にも多く残っているようだ。

 校庭にあるものを色々と物色する。

 句碑「源流の青さに鳴りて雪解川 謙次郎」と刻まれた句碑が建立されている。謙次郎は俳誌・冬草を主宰した人物で、句碑は平成10年3月に冬草西条支部が15周年記念に建立したもののようである。

 飼育舎には現在ウコッケイ(烏骨鶏)が飼われている。きっとリゾート客への卵料理のもてなしに活用されているに違いない。

 「悠」と刻まれた台座に立つ男性全裸像は伊藤五百亀氏が制作したもので、平成8年1月吉日にこの場所に設置されたものである。因みに、この「伊東五百亀氏」という名前をどこかで聞いた記憶が有って気になっていたのだが、先々日の砥部町散策記を並行して記していて陶祖ヶ丘の碑に載っていた「日展評議員」の方であることに気がついた。県内にころがっている様々なオブジェが、色んな接点で絡み合っているもんだなぁとあらためて感心する。


2.極楽寺と東宮神社【西条市大保木 峰】

 石鎚ふれあいの里を後にして、県道を下る。ふれあいの里の対岸あたりに天台宗総本山明王院....と書かれた看板が掲げられた寺院がある。堂宇も大きいのだが、地図にも載っていないし、とにかく構造物の腐蝕が進んでいる。赤肌の金剛力士像が本堂の両脇に立っているのだが、言ってはなんだが安っぽい感じになっている。今はきっと荒れ寺になってしまっているのだろう。

 それよりも数百m下流のところに立派な寺院が建っている。石鎚山真言宗総本山・極楽寺である。道路沿いに広い駐車場も設けられており、先程の荒れ寺とは比べ物にならないほど隆盛を保っている。折角来たのだからということで車を停め、境内地まで上ってみることにする。道路からいきなり145段の急勾配の階段が待ち構えている。登り終えると、分岐道があり、そこに「金堂まで210段」と記されている。実際に数を数えてみると、スロープ状の緩い勾配の階段も含めて40段+13段+101段+27段=181段であった。どこかで30段ほど数え落としたか?そんなつまらぬことを考えながらも一気に上りきると、結構足腰に堪えるし、息も上がってくる。
 
本堂(金堂)の建築について
この本堂は平安時代の建築様式で建立されております。白鳳時代の建築文化がこの時代に日本固有の表現に移り変わった時代です。
(宇治の平等院などが代表的な建物と言えます)つまり、堂内の床が土間から板張りの床に移行したり、屋根の瓦が藁葺きとか桧皮葺きにと日本古来からの建築用材である植物が主体となってその建築美を醸し出しているわけです。
おだやかな屋根の流れ、躍動的な棟のラインともどもその構造体の質実剛健な構えや優美な軒に「ひらがな」をあみだした平安人の雅を御鑑覧ください。
文・汎座古典建築研究所 古川禎一

 駐車場脇の看板に上記の旨が記載されていたのだが、本堂はごく最近に再建されたもののようであり、風情という点では今一つである。但し、その風貌にはやはり目を見張るものがある。

 寺の境内からやや北へ進むと鳥居が立っている。山に向かってとても長い石段が続いている。ハナシバやタチバナなどが並ぶ参道を上りつめると、鬱蒼とした社叢林を有する東宮神社境内に辿り着く。神社を取り囲む森の中には、名前は確認できなかったが、樹齢300年はあろうかと思える巨木が竹林の中に悠然と聳えていたりする。非常に植生は豊かである。是非西条市の教育委員会に、植生調査並びに天然記念物指定の動きをして戴きたいものである。

 もと来た道を引き返す。寺の敷地内には梅・桃の木が多く植えられており、春先にはさぞかし美しい花が咲き乱れることであろうなどと考えながら、ゆっくりと径を下りていく。

 三帰庵には水琴窟が設けられていた。残念ながら庵内には入れなかった(いや正確には入らなかったのだ)が、耳を澄ませばごく小さい音だが小気味良い反響音が聞こえて来る。
 その先には、不動の滝が小気味良い水音を響かせている。滝といっても人工の滝で、幅50cm有るか無いかの溝から流れ落ちるものであるが。

 因みに極楽寺新四国曼荼羅霊場になっており、道路脇に建つ秘鍵大師(堂)は、西条新四国観音霊場19番札所になっている。


3.坂中寺(さかなかじ)【西条市坂中】

 県道より右折して柳瀬橋を渡り、黒瀬湖畔の道を進む。道沿いには数多くのモミジ、サクラの木が植わっている。ここのサクラは西条名水・名木50選にも選ばれている。モミジは紅葉にはまだ遠いと言わんばかりに青々とした葉を揺らしている。
 雨乞谷橋より沢沿いの山道を上っていく。標高差にして100〜200mは上がっただろうか。やがて野地−坂中寺の林道分岐点に出る。車一台通るのがやっとと言った山道が続く。杉の植林地帯をどんどん上っていくとやがて大きな杉の木が林立した坂中寺に辿り着く。

 山門の両脇に安置されている仁王像は立派であるし、山深いところに設けられた寺にしては、敷地面積も広い。
 参道沿いには、高さ30m前後の杉の木が20数本立ち並んでいる。非常に立派なものが多く、中には目通りで4m〜5mの巨木もある。坂中寺の本尊は千手観音であり、それを安置した観音堂が最奥手に配置されているのだが、その周りの杉が殊更大きく感じる。見上げると天まで続くかのような錯覚さえ覚える。この杉も「西条名水・名木50選」に選定されているが、まさにそれだけの価値はある。

 住職に道を尋ねる。ここから先は1km程度で行き止まりとのこと。残念ではあるが元来た道を引き返さねばならない。教えて戴いたことの礼を述べ立ち去ろうとすると、
 「茶でも入れますので、ゆっくりして行きませんか」
と声をかけて来られた。人里離れた場所ゆえ人恋しいのか、それとも慈悲深い心の為す技かは不明だが、その御気持ちだけを頂戴し、寺を後にした。

 雨乞谷橋を渡り、黒瀬ダムの堤上に一旦停車。ダムから下流を見下ろす。コンクリートの柵があるとは言え、高所恐怖症の自分にとって、恐怖感を覚えずにはいられない高さである。何せ県下随一の規模を誇るダム。とは言え、堤高だけで言えば、石手川ダム野村ダム鹿野川ダムなどより低い感じもする。


4.川来須の河原で昼食・山遊び【西条市藤之石 川来須】

 時計の針は12:00を過ぎており、腹も減ってきた。曽我部さんがバーベキューの用意してくれているとのことで、どうせバーベキューするならば綺麗な河原...ということで、国道194号線を上流へ遡っていく。いっそ寒風山を越えて高知県の一之谷渓谷辺りに行こうかとも考えたが、途中の川来須あたりに丁度いい雰囲気の河原が見つかったので、そこで昼食を摂ることにする。
 焼き肉・インスタントラーメン・わかめスープ...と次々に調理しては舌鼓を打つ。青空の下、清流の辺での食事は格別である。満腹になった後は、蔦を取って籠を編んだり、小石を拾ったりしてアウトドア・ライフを満喫。

5.止呂峡【西条市藤之石 下津地】

 ゆっくりとした時間を過ごし、15:00頃より帰路に就く。途中で道草がてら、標高1859.7mの笹ヶ峰への登山道へと続く道へ折れる。橋の手前に立てられた案内図には風透神社風透山風穴などの名前も見え隠れし、またもや浮気心が起きるのだが、止呂峡だけを眺めることにする。止呂峡は、加茂川上流の谷川・吉井川の合流点、下津地付近の渓谷を言う。うすくも姫木材隠し一蔵薮など数多くの伝説が残る地でもある。
 峡谷よりも遙か高い位置に架けられた止呂橋を渡る。「前の車が通り過ぎてから通行してください」と書かれている。それほど強度的に問題の有る橋なのかと、内心心配になってくるが、渡り終えるとどうってことはない。
 橋を渡りきったところで路側に車を停めて、辺りを散策する。まずは徒歩で橋の中央付近まで戻る。吉井川と谷川の合流点はかなりのV字谷になっている。止呂橋の上から下を見下ろすと恐怖感を覚えるが、とても澄み切った紺碧の水を湛えた淵が見える。河床までが透き通って見える。さすが西条名水・名木50選に選出されているだけのことはある。見事な景観だ。

 吉井川沿いに散策路が設けられている。散策路の横には四国電力が管理している用水路が流れている。散策路から川を見下ろすと、途轍もなく大きな青石が転がっている。そのスケールの大きさは、他の河川で見ることができないほどだ。自然の偉大さを感じずにはいられない。
今回の主目的地である高瀑には辿り着くことができなかったものの、隠れた名所を方々巡ることができたし、何よりも自然の中で落ち着いた時間を過ごせたことは十分意義深い旅であった。

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