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こたろう博物学研究所
探訪記録:19991023

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皿ヶ嶺・引地山登山・久万町散策【平成11年(1999)10月23日】



 天気もいいし、この間は雨模様で断念した皿ヶ嶺にでも登ってみようかと思い立ったのは9:30頃だった。

 松山を出発し国道33号線を南へ向かう。砥部町のローソンに立ち寄り食材を調達した後、三坂峠の曲がりくねった道を登っていく。休日だが道路は非常に空いている。

 三坂峠を越えて、六部堂の久万スキー場入口の所より左折。スキー場の駐車場を通り抜け、未舗装の林道を進む。林道の行き着くところまで行こうとも思ったが、駐車スペースが無かってもいけないので、工事材を置いているちょっとした広場のところに車を停めて林道を歩いていくことにした。しばらく歩いていくと、やがて林道が二手に分かれる。皿ヶ嶺は東の方向だろう...と右側に折れていく。比較的平坦な道をゆっくりと歩いて行く。左側に尾根道が走っているはずだからどこかで合流するだろうとずんずん進んでいったが、やがてスキー場の上部辺りで工場敷地に入って行き止まりとなった。結局200mほど引き返し、小さな水無し沢のところの道無きところを登っていき尾根道に行き着いた。

 すぐにトラバース路との分岐点に着いた。左手側の道は勾配がきつそうだ。どちらに進もうかと悩んだが、体力ある内にきつい方を歩いておこうと、左手側の道を選ぶ。かなりキツい斜面である。上り切るころには汗が噴き出る。ピークに達したところからは重信町上林方面の景観が開けている。ここで腰を下ろして小休止。

 やがて笹原が見えてきたところでトラバース道と合流。


1.皿ヶ嶺【久万町/重信町】

 風穴方面より登ってきた老年男性と出会う。何やらリュックサックと腰の辺りが泥塗れになっており、そして重そうな足取りである。「ひょっとして徘徊老人?」などと失礼なことを考えたりもしながら、何となく心許ない感じがするので、しばらく無言で後をついていくことにした。坂道のところで
「どちらから登られたのですか」
と声を掛けてみる。
「風穴の方からですわ」
「どしたんです?えらいしんどそうですけど」
「いやぁ...倒木のところで跨ぎよって足を滑らして下に落ちてしもうてなぁ」
「えっ!大丈夫ですか?」
「いやいや、落ちたいうても1mぐらいでしてな。何ともないですわ」
「お気をつけなくちゃだめですよ」

「わしゃもうこの山は1000回は登りましたわ」
「えっ1000回もですか?」
「ああ。学生んときは毎日のようにトレーニングがてら登りよりましたけんな」
毎日登って4年近くかかる。いやはやたいしたものだ。

「今日は同窓会がありましてな」
「えっ?山の上でですか?」
「そうそう」
「他の人達はどうされたんです?」
「皆は向こうの陣ヶ森側から登る言うてな。ワシはどうも新しい道は好かんでなぁ。風情もないし、面白うもないし」
だけど、大怪我してはどうしようもないけどなぁ...などと心の中では心配しざるを得ない。幾らベテランとは言え、ちょっとした事で危険な状態に陥ってしまうのだから。

「お先にどうぞ」
スローペースを気遣ってか老年クライマーが道を譲ってくれる。
「それじゃお先に失礼します。お気をつけて」
と一礼して自分のペースでの登山に戻る。

竜神平に下りると、先程の老年クライマーの言っていた「山上同窓会」の宴が笹原の中で行われていた。老人達の歓喜の歌が山上にこだまする。晴れ上がった秋の青空の下、円陣をなして声高らかに歌い続ける。
「秋の風 歌声乗せて 笹ゆらす」
時間に追われることなく、誰かに振り回されることもなく、全く束縛という言葉とは縁遠いこの山上の空間で、ほんのりと暖かい秋の日差しを浴びながら、煎れたてのコーヒーを口にする。喧噪から遠ざかろうと山まで繰り出してみたが、どうも物静かな山間というものとはかけ離れた状況ではあるが、往年の山男・山女達の歌声は不思議と場の雰囲気を損なわないものである。


2.引地山【久万町】

引地山山頂は植林に囲まれた暗がりで、頂には平坦部も殆ど無く、趣に欠ける感がある。三角点を示す標柱も朽ち果てている。
山頂には建設省の無線中継用のアンテナが建つ。
「私らもなぁ、この山の上に何かアンテナが建っとると思いながらも来たことがなかったんで来てみたんよ」
おばちゃんにチョコレートを貰う。


3.JRバス久万高原駅【久万町】


4.三島神社【久万町】

参道には「弘化三丙午年九月」の狛犬2体が佇む。

●杉の巨木

 参道の階段を上がりきったところには、両側に神木らしき大杉が立っている。また、社殿の後方を取り囲む社叢林の一角、拝殿に向かって左側に「地元選択精英樹」(上浮穴林研グループ連絡協議会、平成3年)に指定されている大きな杉が立つ。

●三島神社氏子館

●三島神社拝殿文化財指定記念碑

 本殿は社伝によれば宝亀4年・西紀733年、大三島なる大山祇神の御分霊を勧請し、久万郷並びに小田郷の総氏神としてまつったことに創り、爾来実に1200年の古社である。
 旧社殿は慶長8年、佃十成公の修造にかかる桃山様式の建築である。其後、貞享年間に大修理を加えたが害われることなく現存し、県下稀にみる貴重な古建築と稱せられ、久万町の文化財に指定されている。近年腐朽甚だしく為に大修理の必要にせまられるに至り、関係者の間でしばしば協議を重ねた結果、この由緒ある社殿を解体修理し、県の文化財の指定を受けることに決し、その目的達成のため、昭和33年2月復興奉賛会を組織した。
 その後紆余曲折はあったが、遂に同36年9月着工の運びとなる。途中種々困難に出会ったがこれ克服して、翌37年6月竣工し、同年11月1日、県より指定を受け初志を貫徹した。この工事に要した総経費は約1000万円である。この復興によってえ神威いよいよあらたかに郷士の総鎮守としてながく氏子はもとよりひろく郷土にその恵沢をたれたもうことを祈念してその来由を石に刻し後世に伝えるものである。
 昭和37年11月吉日 宮司 土居重喜 謹誌 祢宣 辻田盛雄

●高岡貞一郎翁頌徳碑

碑文は愛媛県知事・久松定武の書。昭和37年10月に建立された。三島神社氏子館の横に建つ。

●三島神社御鎮座1200年記念碑

駐車場脇の小川の横に建つ。井部栄治が昭和48年7月に建立した。

●土居重喜先生顕彰碑

土居重喜は三島神社宮司であった。碑は昭和57年11月29日に氏子一同により建立された。


5.笛ヶ滝公園【久万町】


6.高正神社/河内神社【久万町】

 

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