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こたろう博物学研究所
探訪記録:19991212

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道後界隈を歩く【平成11年(1999)12月12日】

埴生山、弁天山登山【平成11年(1999)12月12日】


1.道後界隈を歩く【松山市】

 息子のサッカーの試合の引率として湯築小学校へ。
 自分の息子が出場しない試合ほど面白くないもんはないので、隙間を狙って道後界隈を歩いてみる。道後の街は「如何にも観光客」という人々が相変わらず多い。

●道後温泉本館周り
●子規記念博物館周り
●放生園周り


2.埴生山、弁天山登山【松山市】

 時計の針は14:30を回っている。最近、所用で山らしい山に全然登っていない。ということで最寄りの手軽な山、埴生山〜弁天山の尾根道を歩くことにした。
高岡町の住宅地を抜けて山裾の曲がりくねった道を進むと、「垣生山公園登山口」と記された碑が立っている。ここから小道を上がっていくと、15〜20分で垣生山山頂に辿り着くことができる。標高は118m。山頂からは道後平野を取り囲む山々を遠望することができる。南の海側より明神山、秦皇山、谷上山、障子山、皿ヶ嶺が連なっている。平野のど真ん中には大峰ヶ台(松山市総合公園)、勝山(城山)、そして北方は遠く北条の腰折山、恵良山まで見渡せる。海側にはFAZの向こう側に忽那山、そして海上に小富士山が見える。360度のパノラマが手軽に楽しめるのだ。

 尾根道を北へ進む。垣生山からの下りは結構急斜面であるが道はしっかりしている。鉄塔の立つピークを超えて更に進めば、やがて蜜柑園のなかの細道へと繋がる。杉の低木が道の両側が生い茂るため、若干歩きづらいのだが、正式な遊歩道ではないのだから文句を言っても始まらない。そして蜜柑畑を通り抜けると、農業車両用のコンクリート道と合流する。目の前には吉田浜北線1Lと記された高圧線鉄塔の下へ辿りつく。ここから鉄塔の右側の小道を進めば弁天山尾根伝いの道へと繋がる。尾根道は結構、木々が生い茂っており、松山市から遠く離れた山に来ているような錯覚を覚えてしまう。この尾根には環濠跡らしきものが残っている。恐らく、昔には城郭もしくは小社が設けられていたのであろう。木々のトンネルを抜ければ、またもや眼前には北側斜面の蜜柑畑が広がる。その蜜柑畑の最上段辺りが弁天山の三角点にあたると思うのだが、標柱らしきものは見つけることができなかった。

 一休みした後、もと来た道を引き返す。正確な時間計測はしなかったが、往復60〜70分といったところか。近くにありながらもちょっとした登山気分が味わえる場所である。

     
 

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