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こたろう博物学研究所
探訪記録:20000402

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松山市西部散策【平成12年(2000)4月2日】


1.大宝寺

ソメイヨシノが満開を迎えようとする時期よりもやや早く咲き乱れる「大宝寺の姥桜」を見に行ってみる。
大宝寺へと続く山門の脇の駐車場に車を停め、カメラ片手に参道を登っていく。
山門脇に植えられたのは同品種の桜だろうか。早速真っ白の花弁をつけて訪れた人々を出迎えてくれる。

参道を上りつめると、本堂前に植わっている「姥桜」は更に見事な真っ白の花をつけ、多くの見物客に囲まれている。いつ来てもここの桜は見事だ。群生した桜も綺麗だが、1本でこれほどの存在感を出す魅力的だ。

しばしうっとりと眺めた後、境内を散策する。観察したものは以下の通り。

●姥桜
姥桜の根元には「大寳老櫻標柱」と刻まれているものと思われる(漢字が難解だ....)標柱が建っている。左側面には、「天明丙午冬 民翠立之」と刻まれている。

●友情の碑
松中四十期会が卒業50周年記念に建立した。山門へ続く階段の左脇にある。

●五輪塔

●石井義郷(いしいよしさと)句碑(俳句の里城西コース11番)
「花見れハ 齢そのふる世の人の 老ぬ薬や 桜なるらむ」

石井義郷土は、文政9年(1812)に生まれ、安政6年(1859)に没した。
松山藩士・歌人。江戸・海野遊翁に入門。「萩の舎(や)」と号し、和歌、特に長歌に秀で、「石井義郷歌集」・、「芳萱の舎集」などの著作がある。
この碑は、当寺の名桜「姥桜(市天然記念物)に因んだもので、江戸時代の建立である。

●亀水句碑
「したれ咲く 花の浄瑠璃 世界かな」
句碑の横には濃いピンクの桜が色鮮やかな花を重たそうなほど付けている。

●坂村真民詩碑「念ずれば花ひらく」

●船石

●ダルマ(?)

●古照山由緒の碑(旧)

●當山創立 元祖角乃木長者之墓

●古照山由緒の碑(新)(平成6年2月28日)


2.朝日八幡神社

引き続き、東隣に鎮座する朝日八幡神社に参詣。
特に見所という見所も無い....というのが正直なところだが、強いて言えば本殿/拝殿の裏側にある「吟魂台」と呼ばれる場所からの松山城の眺めはなかなかのものである。

●吟道の碑

●末社:稲荷神社


3.山内神社

朝日八幡神社の更に東の山裾には山内神社が鎮座する。

●正岡子規句碑
「西山に櫻一木のあるじかな」

●「山内神社縁起」碑(平成2年12月建立)


4.履脱天満神社

松山市久保田町に鎮座する履脱天満神社へ車で移動。この神社は菅原道真が太宰府へ左遷される折に立ち寄ったという伝説が残る。景観樹林保護地区に指定されている参道の松並木は小振りの木ではあるものの、田の脇の細道、そう、かごめかごめの「天神様の細道」を思わずイメージしてしまうような風景は、この場所を除いてはなかなか目にすることができないように思う。

●履脱天満宮社号碑-1

●履脱天満宮社号碑-2

●亀水句碑
「梅が香の満ちわたりけり天下かな」

●勅使橋

●星占いの池

●拝殿

●松山新四国霊場第49番札所


5.塩売橋・洗地川

履脱天満神社の南東に位置する「塩売橋」へと移動。この橋は松山市西垣生町の空港脇(南側)を抜けて流れる洗地川(せんじがわ)に架かっている。取り立てて形が奇抜だとか、長さが長いとかの特徴があるわけではない。いや特徴など全く無いと言っても過言ではない存在の橋。さくら小学校の丁度北側になる。そのせいか、橋の欄干には桜のレリーフが埋め込まれている。

6.加多寺跡

そう、塩売橋を見るのではなく、この加多寺跡を見に来るのが主目的であった。この場所は遠く離れていても容易に確認できる。なぜならば、1本の大きなクスノキが悠然と根を下ろして聳え立っているからだ。加多寺は今から660年前ぐらいに建てられたという由緒有る寺で、石鎚蔵王権現を祀っていたのだが、明治の神仏分離令後に廃寺となった。今ではクスノキの大木と小さな祠、そしてわずかな玉垣が残るばかりである。


7.八反地地蔵堂

東垣生町八反地バス停留場前に建っているこじんまりとした堂。空港管理地の金網フェンスで囲まれ、県道に背を向けて建っているので何となく異質な気がしてしまう。

●奉造立念仏講中供養塔


8.奥土居神社

奥土居神社は八反地地蔵堂と同じく松山市東垣生町に鎮座する。
別に願掛けする必要もないのだが、この神社は安産祈願の御利益があるという。
奥土居神社の社殿は天保12年に建立されたが、老朽化のため平成6年9月に改築された。
境内地には、「垣生の句碑めぐり(1)」と称した立て看板がある。
「村一つ 渋柿勝に 見ゆるかな」子規
「露の路 三十年の 往来かな」霽月

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