[KOMIL:KOtaro's Miscellaneous 
Information Laboratory]
Copyright (C) Kotaro Iseki (1996〜2022).
All rights reserved
こたろう博物学研究所
探訪記録:20000812

トップページに戻る

インデックスに戻る

皿ヶ嶺登山【平成12年(2000)8月12日】


上林風穴〜竜神平〜山頂〜十字峠〜風穴上部〜上林風穴

 盆休みの初日、里帰りを前に何とか1山登っておきたい。そう思い、天気の様子を伺うが東方に望む石鎚の山々は白く煙っている。日照り続きで渇水間際といいながら、山行を思い立ったときには天気が芳しくないのはどういうことだろうか。
 松山近郊の低山踏破を目指し、9:00過ぎに松山市を出発。
 川内町/重信町の経座ヶ森ヨソ山をターゲットにしようと思って東に車を走らせたのだが、途中で地図を忘れたことにふと気付く。地図を眺めた記憶によれば、余り登山道が整備されている様子でもなかったので、地図無しで行くのは心許ない。仕方が無いので、予定変更して皿ヶ嶺を目指すことにした。
 重信町下林の公サテンで右折し、県道209号線・美川松山線を行く。足立の庄の下から湧水までは道路も拡張され(一部工事中の所もあるが)快適な道が続く。白糸の滝と皿ヶ嶺の分岐路からは相変わらずの曲がりくねった道が続く。

 10:10、上林森林公園風穴へ到着。2〜3組の家族連れが風穴で涼を楽しむ姿が見える。もっと多くの人で賑わっているかと思ったが、意外と人の数は少ない。
 駐車場から風穴へと続く小道を登る。木々の間には鉄砲ユリのような白い花が見える。しかし葉っぱを見るとユリらしからぬ形をしている。一体何という名前なのだろうか。
 
 風穴にてしばし涼気を浴びてくつろいだ後、皿ヶ嶺をめざして歩き始める。「皿ヶ嶺山頂へ1540m 60分」の標識が朽ち果てて、火の用心の看板の根元に転がっている。
 ふとステッキ、スパッツを車中に忘れたのに気付き、一旦駐車場へと戻る。気を取り直して10:30、登山再開。

 登山道は整備が行き届いていて、とても歩きやすい。道端には、それほど美しくはないが夏の花々が花弁を開けており、多くの蝶が蜜を吸っている姿が見える。名も知らぬ草花・蝶を眺めながらゆっくりと上る。なだらかな坂道が続く。夏の暑い日差しは雲と木々で遮られ、汗も噴き出てこようとはしないほど快適な山行である。

 30分ほどしたところで、腰を下ろして一息ついている老夫婦と出遭う。 「こんにちわ」とまずは一礼。
 「竜神平まではあとどのくらいですかね?」
 「私もこのルートは初めてなんでよくはわからないんですけど、ササの生え具合と歩いた時間から考えると、もうすぐそこぐらいの位置になるんですけどね」
 「病み上がりやから、きついですね。一時間ほど歩いてやっとここまでですわ。」
 「そうですか。余り無理なさらず、ゆっくり行けばいいですよ。あと一息でしょうから」
 「ところで、その杖はスキー用のもんですか?」
 「いやいや、登山用のステッキですよ。南環状線のアルペンとかディック美沢店に行けば置いてありますよ」
 山では見ず知らずの人との会話も自然とついついはずむ。

 「それではお先に失礼します」と一声かけて再び歩き始める。まもなく、竜神平と上林の分岐標識が目に入る。どう見ても竜神平方面への道は笹が刈り込まれていない。もう少し先へ進んだところから右折しようかとも思ったが、ショートパスする方を選ぶことにした。20〜30mも歩くと腰高ほどのスズタケに覆われ、踏み跡も消えつつある。しかし、竜神平はもう目と鼻の先ほどの距離。漕ぎ分けながらやっとの思いで歩道に合流する。

 11:10、竜神平に到着。だだっ広い湿原の中に足を踏み入れると、紫色の花が一面に広がっている。名前は分からない。ユリ科に属するかと思うのだが、勉強不足である。ギボウシだろうか。花の形は似ているが、どうも葉の形が違っているような気がする。それとヌマトラノオだろうか、細長い茎に白い小花をたくさん付けてすっと伸びている草も彩りを添えている。

 しばらくそこに佇み花を眺めた跡、湿原内を東に進もうとすると、間もなく先程の老夫婦が到着した。
 「お疲れさまでした。花が綺麗ですよ」と一声かけて、まっすぐに伸びる湿原内の道を歩いて行く。道端には紫・白のツリガネニンジン(?)や、ナデシコなどが咲いている。

 湿原を通り抜け、自然林の中に続く道を進む。「そうだ、陣ヶ森に行ってみよう」と急遽思い付き、東へと進んでみる。道は悪くない。しかも笹で覆われている自然林の内部は涼しくて気持ちがいい。水平な道が延々と続く。
 尾根道の東の端まで行くと、頂上に無線局のアンテナを従えた陣ヶ森の姿が見える。南斜面にアスファルト道路が頂上まで続いている。しかし、ここから先は上林峠から上がってくる急勾配の階段道。「行きはよいよい、帰りはこわい」といった感じであり、しかも陣ヶ森のアスファルト道は暑い時期に上がるものでもないだろうと、直ちに陣ヶ森登頂案は却下して、元来た道を引き返す。

 再び来た道を引き返し、竜神平を取り巻く北側の自然林の中道を通り、再び竜神平へ。時刻は12:00過ぎ。
すると先程の老夫婦が愛大小屋の前に腰掛けて休息を取っている。
 「あれぇ、もう竜神平の周りを回っておいでたの?健脚やねぇ」
と御婦人が感心したような声で褒めて下さる。そして、「昼過ぎじゃからお腹も減ったでしょ」とバッグの中から柏餅とトウモロコシを取り出し、差し出して下さった。有り難くご馳走になりながら色々と話をする。
 「キャンプ場はどの辺を指しているのかなぁ」
 「私もよく分からないんですが、多分、この小屋の周りとか、その下の湿原入口辺りじゃないですかね」
 「昔はこんなに笹もなかったのになぁ。私ねぇ、ここに来るのはもう45年ぶりなんですよ。はっはっは.....半世紀ですからねぇ、そりゃ景色も変わってますわねぇ」
と懐かしさに顔を綻ばせていた御主人の顔は、何となく少年の輝きを取り戻していたように見えた。山は訪れた人、それぞれの思いを優しく包んでいる。

 12:20頃、老夫婦と別れを告げる。
 「それではお気をつけて」
老夫婦は下山、僕は皿ヶ嶺山頂へ向けて出発する。歩き始めてすぐのところでヤマホトトギスを見つける。昨年9月に西赤石で見て以来である。美しい。

 12:45、山頂到着。雲が出ていて景色は白く霞んでいるが、それでも畑野川や西明神の集落までは何とか見通せる。一通り景色を堪能してから、恒例のラーメン昼食。

 13:15、下山開始。山頂から三角点、そして十字峠に至る道にもヤマホトトギスが結構あちこちに咲いている。デジカメで接写を試みるが、うまく花弁に焦点が合わない。

 13:29、十字峠に到着。左に行けば六部堂、右に行けば竜神平。竜神平に下りて、上ってきた道を引き返そうとも思ったが、真っ直ぐ進んで、風穴上部に出る道を行くこととする。

 13:36、引地山方面と風穴方面への分岐。ここからはやや荒れた道となる。道幅も狭く、途中1箇所、崩落しているところもある。登り道としてよりは、下りとして使うほうが良いであろう。そうこう考えながら下りていくと直ぐに風穴に
到着した。時計の針は13:55である。

 ヒマラヤの標高5000〜6000mの草原に自生するというメコノプレスの青い花を眺めながら、岩間から湧き上がる涼風で汗ばんだ身体を癒す。格別の気分である。



【同行者】なし
【コースタイム】
上林風穴→(40分)→竜神平→(一周40分)→竜神平→(20分)→山頂→(15分)→十字峠→(15分)→風穴・引地山分岐→(15分)→上林風穴


皿ヶ嶺からの帰り、いつものように道草を食う。

●瞽女石(重信町上林)
風穴から下る途中、やや登山道を下ったところにある。
「瞽女石之由来
平家ノ残党多田蔵人ノ妻女 ソノ夫ヲ慕イテ此処ニ来タ 泣キ暮シテ盲目トナリ 遂ニ泣死化石セシト云ウ(伊予温故録)尓来此石ヲ瞽女石ト称ス 目ノ不自由ナヒトガ願カケヲスルト霊験アリト伝エラレル 昭和六十年以降毎年四月上旬組中集マッテ念佛供養ス 昭和六十三年九月吉日建之 法蓮寺住職 ......」

●拝志新四国霊場弘法大師石像(重信町上林)
●日本回国碑(重信町上林)

●松根東洋城句碑(重信町上林)

上林小学校前に、「皿ヶ嶺・上林 観光案内図」が建っている。

●「満穂の里」碑(重信町上林)
上林小学校から50mほど北に下ったところにある。
平成10年11月建立。棚田の地であったのを昭和63年〜平成10年の11年の歳月をかけて圃場整備した。
本当に10年ほど前と比べて、この辺りの風景はすっかり様変わりしてしまった。

●庚申塔(重信町上林)
「満穂の里」碑の道を挟んで反対側にある。
庚申塔とは刻まれてはいるものの、....それらしき道の神の姿は見えない。

●天満宮(重信町上林)
庚申塔の所から東を眺めると、黄緑の稲穂の向こうにこんもりとした社叢に囲まれた荒廃した小さな社が見える。

●八幡古池(重信町下林)
●八幡古池改修記念碑
重信町長・和田治樹書
「八幡古池は、嘉永5年(1850)の築造と伝えられており、上林荒神堰から引水し、八幡地域の水源として十一町歩を潤してきた。
時代の経過とともに、堤体の浸食老朽化が進み、漏水による決壊の危機にさらされ、このことが地元関係者多年の懸念であったが、国・県はその心情をくみとられ、平成5年度県営ため池等整備事業として採択され、平成8年度完成をみた。
ここにため池の改修を記念して銘記する。
 平成9年2月吉日建立」
「ため池等整備事業概要
 池名 八幡古池、堤高 6.0m、堤長 240.0m、貯水量 13.4千u、かんがい面積 11.0ha、集水面積 9.3ha、総事業費 81,000千円、工期 平成5〜8年度、事業主体 愛媛県、管理者 重信町下林上土地改良区」

八幡古池は足立の庄の足漕ぎボート乗り場として活用されている。池の堤には首無し地蔵が一体。

●浄土寺(重信町下林)
境内からの福見山、明神ヶ森、東三方ヶ森の眺めは最高。

●恵の郷碑(重信町下林)
浄土寺の下。
碑文は重信町長・和田治樹の書である。
副碑には、
「下林地区の狭小で不整形な農地に将来の地域農業の危機感を抱き、農業基盤整備のため区画整理の計画を樹立した。
国営佐古ダム事業で発生する残土を有効利用し、より良いほ場の整備を目指した町営下林地区ほ場整備がここに完成した。
 御尽力いただいた関係各位に對し感謝の意を表するとともに、地元関係者の一致団結による事業達成の偉業を称える。
 これにより佐古池の恵を受けた新しい農地を大地に刻み、21世紀へのメッセージとし記念碑を建立する。 平成12年3月吉日
 事業名 農地還元資源利活用事業
 事業費 6億8千万円
 関係農家 138戸
 受益面積 43.8ha
 客土量 27.5万u
 工期 平成5年度〜平成11年度
 下林地区 ほ場整備事業推進委員会」
と刻まれている。

●築島神社(重信町下林)
県道を走っていると、この辺では珍しい神明造り(木鼻が無いのが特徴)の鳥居が見える。前々から気になっていたところである。商店の駐車場に車を停め、石段を登り、境内社地に行ってみると、正参道が西手から続いている。さらに珍しい両部造りの鳥居が建っているではないか。しかも、笠木の部分と額の部分が瓦葺になっている。
他には取り立てて必見と呼べるものはないが、この鳥居はなかなかのものである。
因みに境内社は生目神社、佐古谷池神社。
 

トップページに戻る

インデックスに戻る


ご意見・ご感想は

kotaro@kotaro-iseki.net

まで