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こたろう博物学研究所
探訪記録:20000826

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屋島(香川県高松市)〜高知県物部村大栃【平成12年(2000)8月26日】


 高松市で電気主任技術者の試験がある。そんなわけで、朝4:30過ぎに起きて身支度を整え、眠気でまだ十分に頭が回らない状態のまま、5:00に稲葉さんの家まで車を走らせる。しかし、しばらく待てど一向に稲葉さんは姿を見せない。どうしたんだろうと思いながら、携帯電話を鳴らしてみる。すると、すぐに繋がり、その後「今どこにおるん?」と声。一瞬、訳の分からない状態に陥ってしまう。そういや、昨日、待ち合わせの約束の場所をよく確かめないまま、何も疑うことなく稲葉さんの自宅近くまで車を走らせてしまった。どうやら、いつもの登山時の待ち合わせの場所におられるようだ。「今からそっちへ戻ろうわい」

 9:00から試験開始だというのに、大きなロスタイムである。もう少し気の利かさにゃならんと反省しきり。5分少々で稲葉さんの車が見え、早速荷物を積み替えする。そう、試験に出向くとはいいながらも、実はもう一つ目的があって、折角高松方面まで車を走らせるのだから、帰りがけにどっかの山に立ち寄ろうという算段だ。(こうなると、どっちが主目的かよくわからなくなてくるのだが....)

 5:40頃に松山ICに入り、約2時間で高松西ICに至る。随分と便利になったものである。学生時代に香川に住んでいた頃には、特急電車で約3時間を要した距離なのに、今ではこんなにも手軽に高松に辿り着くことができるのだから。朝のとっぱちのロスタイムも全然痛くも痒くもない。
 予定より早く着きすぎたので、試験会場近くの駐車場の場所を確認した後、高松築港界隈まで出向いてみることにする。この辺りは15年前と比べてすっかり様変わりしている。JR高松駅舎ビルが建造中であり、空に向かうような巨大なビルがもとの駅舎の地にすっと立っている。JR松山駅とは雲泥の差だ。まぁ、松山は松山で、あの鄙びた感じがいいような気もするが、人口では四国最大の都市なのだから、他の県に負けないような施設を構えてもらいたいものである。

 少し休んだ後、主目的である試験会場の香川大学へと向かう。毎度のことながら、ここでの夏場の試験は有る苦しくてたまらない。「頼むけん、冷房完備の会場にしてくれぇ」とうどみながら、9:00〜10:30の間、無い頭を捻くり回しながら試験問題と戦う。

 一時限目が終わると、科目合格してるので、13:40までは時間が空いてしまう。昼飯がてら、外に繰り出していこうということで、屋島方面へと車を走らせる。

 屋島も15年ぶりである。そのお姿だけは、2週間前のエネルギー管理士の試験のときに拝見したのだが、頂上までいくのは本当に久し振りである。道路標識を辿りながら、国道11号線を東に5〜6km走り、やがて屋島ドライブウェイに到着。頂上までは約6kmの道程であるが、そこを通行するのに610円とは高過ぎる。まぁ眺望がいいので仕方無いといえばそれまでだが、もう十分モトは取ってるだろう....と少し怒りも込み上げてくる。

 あっという間に見覚えのある駐車場に到着。以前訪れたときよりも閑散としている。まぁ土曜日だからこんなもんかと思いながらも、客足の少なさに寂しさを覚えてしまう。車を停め、まずは腹ごしらえということで、駐車場脇のドライブインに入る。高松まで来たからには讃岐うどんを食わねばならない。迷うことなく、うどん定食(960円也)を頼む。しかし、数分後に運ばれてきたうどんは、どう味わってもスーパーで1玉70円で売っているうどんと大差無い。さぬきうどんらしからぬコシの無さに唖然としてしまう。香川県人ならば、「こんなものはさぬきうどんじゃない!」と怒ってしまうだろう。(後日、香川県在住の友人にメールでこのことを伝えると、「何であんなとこで食べるん?屋島の下に、タウン誌でも紹介されるようなおいしい店があるのに」と一笑されてしまった...。)

 まぁ、何はともあれ、空腹だけは満たされたので、気を取り直して山頂界隈を散策する。
 
●瑠璃宝の池(血の池)
・屋島寺伽藍草創のおり、弘法大師が「遍照金剛、三蜜行所、当都率天、内院管門」と書き、宝珠とともにおさめ、周囲を池とした。ところが竜神が宝珠を奪いに来ると伝えられ、瑠璃宝の池の名がある。
・また、源平合戦のとき、壇ノ浦で戦った武士達が血刀を洗ったため、池の水が赤くなり、血の池とも呼ばれるようになった。

●屋島寺墓地
 代々住職の墓らしき戒名が彫られている。墓石も宝筺印塔的なものが多く、一般のお墓とちょっと違う面持ちである。

●源平古戦場展望台
 ここからの壇ノ浦の眺めは美しい。八栗寺の裏に聳える五剣山が偉容を示す。その北側には、無残にも切り崩された山の姿が。そう、ここは庵治石の産地である。ここでしか産出されない石があるにしても、景観をダメにしてしまうのは少し残念である。

●屋島寺
 四国八十八ヶ所霊場第84番札所である屋島寺。しかし、お遍路の姿もまばらである。唯一目にしたのは、まだ二十歳過ぎにしか見えない歩き遍路の男の子1名である。
・当寺は唐僧鑑真(がんじん)が開創。その弟子恵雲律師・空鉢(くうはつ)が初代住職となった。
・初めは律宗であったが、弘法大師が真言宗に改めた寺。
・四国八十八ヶ所霊場84番札所
・本尊:十一面千手観音(平安時代前期(貞観時代)の作、重要文化財、一木造り)
・本堂:鎌倉時代末期の建築。350年ほど前に竜巌(りゅうごん)上人が大修理をし、昭和32年2月から解体・二度目の大修理を加え、昭和34年5月に復元工事を完成した。(重要文化財)
・鐘楼:釣鐘は鎌倉時代の初め、貞応2年に鋳造された。
 寺の境内には、狛犬ならぬ狛狸(?)が構えている「蓑山明神社」、「宝物館」などもある。

 屋島寺から獅子の霊巌までの散歩道には土産物を売る店が数店並んでいるものの、どこも閑古鳥が鳴く有り様である。最初に出会った店の店先に庵治石が並んでいたので、土産に一つ買って帰ろうと思ったのだが、値札を見てびっくり。「桁を1つ打ち間違えてるんじゃないの?」と思うほど高い。たかが石、されど石かもしれないが、そこらへんに転がっているような石が安いものでも2、3000円もする。

●獅子の霊巌
 以前はここから瓦板を投げる人々の姿がよく見られたのだが、今日は誰一人そのような行為を行っている者はいない。「瓦を投げること」の意味・由来はよくわからないのだが、願をかけることには間違いない。御利益を与かりたいと願う人の数が少なくなってきたということだろうか。
 まぁ、それはさておき、ここからの眺望は美しい。市街地方面には紫雲山(しうんざん)、峰山(みねやま)、五色台などの山々が見える。また海へと目をやれば小槌島、大槌島、女木島(鬼ヶ島)、鷲ヶ嶺、男木島などが見える。もっと澄みきっていれば、遠く瀬戸大橋の姿も見えるはずなのだが、あいにく今日は海面が煙っていて目にすることができなかった。

●屋島水族館
 以前来たときは、もっと仰々しくて大規模なもののような気がしたのだが、今こうして外から眺めると在りし日の道後動物園を思わせる。

●談古嶺展望台



 さて、午後の試験を終えた後、目指すは高知県香美郡物部村。高松西ICより高速道に入り、川之江JCTからはウンザリするほどのトンネルをくぐり抜けて、やっと青空が仰げるようになった頃、南国ICより一般道へと下りる。
 国道32号線を数km南進した後、左折して国道195号線を東に進む。

 まずは明日の登山のために、ビール冷却用の氷を調達せねばならない。血眼になって釣り具屋の看板を探す。具合良く、土佐山田町にて釣り具屋を発見。(実は帰りがけに気が付いたのだが、土佐山田町の国道沿いにあるスーパーマッケットにも氷の自販機が設置されていたのであった。スーパーの名前は忘れたが。)

 引き続き、香北町では道の駅・美良布(びらふ)で小休止。健康センター・セレネなる施設もあり、夏休み最後の土・日ということもあって、夕方近くだというのにプール遊びに興じる子供達の声が響いている。ここには、地元出身のやなせたかし氏に因んだ「アンパンマンミュージアム」なるものもある。しかし、男連れの二人にとっては余り見所もなく、ぶらりと一歩きした後、さっさと晩酌用の酒を買うために車を走らせる。
 まもなく酒屋を発見。秋の到来を示すように、「麒麟・秋味」が店頭に並んでいる。ビール2本と晩酌用の「土佐鶴(冷用クール)」を購入。

 物部村(ものべむら)に入り、まずはガソリンスタンドで給油。車を一旦降りて東の方を見上げると、てっぺんの方が笹原のような山が悠然と構えている。スタンドのバイトの女の子に「あの山は何という名前なの?」と尋ねる。「あれは綱附森ですよ」「あぁ、あれが綱附森なんですね。我々、明日あそこに登るんですよ」

 ガソリンスタンドからは、今夜の宿泊地・大栃(おおどち)はすぐそこであった。早速、宿泊予定である旅館を探す。JRバス・大栃駅の向かい側の酒屋に奥さんの姿が見えたので、車を停めて旅館の所在を尋ねる。「そこの3階建てが見えゆうでしょ。そこを右に曲がったら看板が出とるきに」と如何にも高知らしき言葉使いで丁寧に教えて戴く。



 酒屋の奥さんの教えてくれた通り、予約を入れておいた旅館はそこにあった。だが、「旅館」という言葉の響きとは明らかに異なっていた。「民宿」といった名前が付いていたならば納得はしたのだが....。

●フロントのこと
 フロントとは記したものの、民家の玄関先という以外何物でもない。精算所があるわけでもなく、土間の横には茶の間があり、そこで御主人らしき人が横たわっている。間もなく、「ようこそ、いらっしゃい」と6、70歳のお婆ちゃんが暖かく迎えてくれる。「さぁさぁ、風呂も沸かしとりますけん。食事も準備しよりますけんな」ともてなしの言葉が続く。

●部屋のこと
 木製の急な階段を上り、2階にある部屋へと手荷物を運ぶ。襖を開けると、そこは完全に民家の一室といった様相。180cmスケールの造りになっていて、鴨居が低い。長身の二人は頭部痛打すること頻り。敷布団・掛け布団も部屋の隅っこに野積み状態である。鴨居の釘に引っ掛けられた東宝の水着カレンダー(9月以降には、古手川祐子、松原千秋、斎藤由貴らの若かりし頃の写真が続く。)が若干の彩りを添えている。テレビも備わっているが、CH数が異様に少ない。まぁ、この旅館に限ったことではないが。テレビの下には漫画ゴラクを筆頭に、成年雑誌が十数册無造作に積み上げられている。それでもエアコン・扇風機完備であることは有り難い。

●風呂のこと
 食事の前に一風呂浴びることにする。一旦、サンダルに履き替えて、土間経由で歩かねばならない。風呂のドアを開けると脱衣所が待ち構えている。「おっ。まんざらでもないじゃないの」と思いながら、用意されているバスタオルの数は一枚。この貴重な一枚のタオルは稲葉さんのためにとっておいて、僕は手持ちのタオルを使うことにしよう。用心深く、持って来ておいてよかった...。続いて浴室の扉を開けると、ピンク色の壁面はペンキが所々剥がれ落ちている。シャンプー・リンスは完備。(黒の油性マジックで、ボトル裏面に「シャンプー」と添え書きされているのが微笑ましい。)身体を擦るタオルも用意されている。(民家の風呂の姿、そのものじゃがね。)
 「早速、湯船に浸かろう。その前に身体を湯で流して.....」と風呂の蓋をはぐると、途端に強烈な熱気が僕を襲う。これは並ならぬ熱さではない。恐らくは70℃近くはあるだろう。激熱状態である。必死になって水道の蛇口を全開にするが、一向に手が付けれる状況にはならない。仕方無いので、洗面器内で水でぬるめながら浴びることにするのだが、湯と水の比率を1:9ぐらいで希釈しないと身体にかけることができない。
 結局は掛け湯だけで出ることとなった。入浴中、ずっと水を出しっぱなしにしていたのだが、浴槽をオーバーフローするまでになっても熱湯状態は回避されなかったのである。
 続いて稲葉さんに入浴を勧めるのだが、「熱くて危ないから気をつけて」などと普通の勧め方ができなかったのが、後から思い起こすと妙におかしくて顔が緩んでしまう。(稲葉さんが強引に湯船の中の湯を浴槽外へ放り出す作業をしてから水道の蛇口をフル全開にして何とか湯船に浸かることに成功したらしい。)

●食事のこと
 食事は隣の和室に準備されていた。高知らしく、鰹のたたきがメインディッシュ。その他は典型的田舎料理。とても懐かしさを覚えるものばかりであった。酢物・じゃがいもの煮付け・昆布の煮染め・うどん入りの吸い物・煮豆・漬物など。シンプルながら美味い。いつもは小食の僕であるが、珍しくメシを3杯もおかわりしてしまった。

●トイレのこと
 予想通り「ぼっちゃん便所」である。閉所恐怖症に陥りそうなほど室内は狭い。その壁面には無数の虫が羽を休めている。室内に入り、腰をかがめようとすると、虫達は畏れをなしてか一斉に飛び立つ。まぁ田舎生まれの僕には余り気になる様子ではない。しかし、しゃがんだときに丁度顔の真ん前に召集用のパラゾールが吊り下げられているのには参った。懐かしい芳香ではあるのだが、揮発が激しく、目に染みるほどである。

●物部村大栃のこと
 食後、辺りが暗くなってきた頃、夕涼みがてら辺りを散策することにする。間もなく懐中電灯を携えて巡回パトロールしている男性二人と出会う。すぐさま「こんばんわ」と挨拶の言葉をかけてくる。旅先の夜の街で、見ず知らずの人に挨拶されるというのも気持ちがいいものである。
 それはさておき、この大栃という集落はなかなかの街である。鄙びた村で、店一つありゃしないと当初は予想していたのだが、どうしてどうして。生活必需品を揃えるには申し分無いほど店が商店街として並んでいる。小振りではあるがパチンコ屋だってあるではないか。コンビニらしく夜遅くまで商いをしている店もある。ダム湖畔の方を歩けば、6階建てのマンションだって建っている。
 きっと阿波−土佐を四ツ足峠を越えて繋ぐ街道の宿場街として、昔から栄えたところであろう。訪れる前から糞田舎との先入観を抱いたりしたのは失礼なことであった。

●夜のこと
 標高が高いのか、気温は松山と比較して幾分か涼しい気がする。エアコンのリモコンの液晶に表示されている温度は25℃である。「これならエアコンも要らんね」と窓を全開にして21:30頃には床に就くことにする。明日は5:00起床の予定。
 しかし読みが浅かった。1時間後には余りにも暑苦しくて目覚めてしまう。無風状態で、灼熱状態である。エアコン+扇風機のダブル攻撃で凌ぐことにする。しかし、このダブル攻撃はなかなか強烈で、今度は猛烈な寒波にみまわれて目覚めることになる。



 少し旅館のお婆ちゃんには失礼な書き方になってしまった(よって旅館の実名も伏せて書いた)のだが、ほんとは少年時代の我が家にタイムスリップしたような感覚を覚え、とても懐かしい気分に浸れたという点で好印象を抱いたのである。
 アーバンな生活に慣れている人、上流階級的な方々には、宿泊は厳しいものがあるかもしれないが、僕のような田舎出身者にとっては郷愁感溢れるなかなかの宿である。忘れかけの空間とでもいおうか、そんな世界がちゃんと残っていることがたまらなく嬉しくなってくるのである。
 

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