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こたろう博物学研究所
探訪記録:20001022

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ヨソ山(重信町/川内町)登山【平成12年(2000)10月22日】


 ここ1ヶ月余り、仕事が忙しく、まともな休みが取れなかった。休みの日と言えば、何かにつけて用事ができる。おまけに連日帰宅が22時以降がほとんどの状態。ホームページの更新も出来ず、ストレスは積もるばかりである。
 今日は久し振りの自分だけのための休日。秋の紅葉でも眺めに行こうかと思いきや、娘と息子が英検を受けに行くので松山市内まで車で送迎してくれという。仕方ないので、5時間で行って帰れる場所を狙い、ヨソ山へ行くことにした。

 9:30頃、松山市コミュニティセンターに子供達を降ろし、一路国道11号線経由で重信へ。重信川右岸に続く県道152号線を北上し、山之内の荒木谷から右折。麓橋を渡り、麓谷川沿いの車1台分の幅員しかない細道を上っていく。清掃センターの脇を抜けてからは、人気の無い道がしばらく続く。「道を間違えたんじゃなかろうか」と不安を感じながら車を進めていくと、10軒余りの民家が並ぶ麓の集落に出る。
 アスファルト道は五十八社大明神のやや下で途切れ、コンクリート舗装道へと変わる。そこから500〜600m車を走らせたところの道幅の広いところに車を停めて、10:15、登山開始。

 歩き始めてすぐ、コンクリート道は二手に分かれる。保安林標識と「中川雑木山行」と手書きで記された標識が建っている。「どちらへ進むべきか」と思案したが、よく目を凝らしてみると、保安林標識の根元に「←ヨソ山」と書かれた紙が赤いビニールテープで留めてある。そこから2分ほど歩いたところに、2〜3台は駐車可能なスペースが設けられ、その先に登山道が続いていた。

 登山道を進み始めてすぐに分かれ道がある。またもやどちらへ進むべきか迷ってしまう。四国電力のNo.31,32鉄塔標識があるのみである。直感を信じて32番側(右手)を進むことにする。右手には先程通り抜けてきた麓の集落が見える。住んでいる人には失礼な言い方になるが、よくもまあこんなところに集落があるものだと思ってしまう。

 やがて単調なヒノキ林の道へと突入する。思ったよりも平坦な道が続く。登山道は非常にしっかりしていて、歩きやすい。案内標識が一切無いのが難点ではあるが、「まぁこのまま進んだら山頂に辿り着くんだろうな」と気楽に進んでいく。

 歩き始めて10分少々、No.32,33の鉄塔標識が立つ分岐に差し掛かる。「さて、今度はどちらに進もうか」と思案するが、「先程も右手を選んだのだから」という単純な理由で今度も右手を選ぶことにする。結局はどちらでも良かったわけで、すぐに別のNo.32,33の鉄塔標識の立つ分岐に着く。そこから右に折れて10mぐらい進むと、またもや分岐。左方向にNo.33の鉄塔が有ると記しているのだが、右側選択を貫くことにする。いざとなったら引き返せばいい。

 ヒノキ林がなおも続く。先程の分岐から15分ほど歩くと、左手に明るい尾根が見えてくる。登山道から一時外れて、位置関係を確認するために尾根まで上がってみる。かなり切り崩した山肌が見えるのだが、位置関係ははっきり掴めない。仕方ないので、登山道に戻り、再び歩き始める。

 段々とヒノキ林から雑木林へと変わり、ササもちらほらと見えてくるようになる。間違い無い。山頂はもう僅かのところまで来ている。と思うや否や、眼前に大きな構造物が現われた。ヨソ山山頂に聳える建設省の反射板だ。

 10:59、山頂に到着。三角点は右側(南西側)のササの中に埋もれている。紅白のポールが立ってなければ探し出せないような場所である。山頂部は意外にも広々した空間となっている。その空間を笹とススキが覆っているが、それほど背丈は高くなく、北側の見通しは十分に利く。明神ヶ森福見山、そしてその向こうに高縄山大月山の姿が確認できる。

 標高は928mと決して高くはないのにササ原が広がる山頂というのも珍しいのではなかろうか。とは言っても、堂ヶ森や笹ヶ峰のようなササではなく、どちらかと言えば竹に近いような細面の葉っぱを付けているササであるが。

 少し時間は早いが早速昼食を摂る。一息ついて、東側の尾根を散策する。南側の景観が望める場所を探すが、経座ヶ森方向へとどんどん下り始めたので、「こりゃいかん」と引き返す。この辺りには「川上村」と刻まれた石標が多く埋まっている。

 一旦山頂まで引き返した後、今度は西側の尾根を散策する。2〜3mほどの背丈の笹を掻き分けて進むとヒノキ林に入っていくが、道ははっきりしない。こちらも景観は望めそうになく、200mほど進んだところで引き返すことにした。

 こうして1時間ほど山頂付近の散策をした後、下山に移る。12:06に下山開始し、駐車した場所に12:36に到着する。

 非常にアプローチが短く、上りやすい山である。一方向ではあるが眺望も開けており、この界隈では絶好の穴場とも言えよう。



 まだ子供達を迎えに行くまでに2時間近くある。折角なので、麓辺りを散策しよう。

 まずは五十八社大明神へ。コンクリート舗装道の脇に大きな公孫樹の木が聳えており、その奥に藁葺にトタンを被せた社殿が建っている。鳥居も立ってなければ、社号碑も無い。神社らしからぬ神社である。境内には船形石があるのみである。

 神社からやや下ったところのアスファルト道の末端に車を移動する。ここは唯一ヨソ山山頂を確認できる場所である。ここから眺めると、ヨソ山は実に平坦な尾根が延々と続いていることがわかる。反射板はおよそ山頂とは思えないような場所に姿を表している。

 引き続き麓城跡(重門城跡)を捜しに行く。駐車した広場から、なにやら登山道らしき道が続いており、その入口には福見寺の御札や赤いリボンが結わえられた棒が立っている。きっとこの先に城跡があるに違いないと信じて進む。しかし、行けども行けどもそれらしき場所に辿り着けない。城跡だからピークに存在するのだろうと思うのだが、道は裾を巻いて続いている。途中で、急坂を直登して尾根を目指す。息をきらしながらピークに辿り着くも、城跡らしきものは見つからない。諦めようとも思ったが、ここまで来たら意地である。小枝をかき分けながら尾根沿いに東へと道無き道を進んでいく。

 2、3個のピークを越えたところに、なにやら広々とした場所がある。その中央部に、古めかしい石塔が1基佇んでいる。標識や案内板らしきものは何一つない。しかし、ここが城跡なのだろう。謂れなどを確認する術が無いのは残念であるが、まあ城跡に着くという目的は達成できたのだから満足、満足。

 しかし、ここからどうやって駐車したところまで帰ればいいものか。道は全く見当たらない。とにかく南斜面を下ればなんとかなるだろうと、薮こぎしながら直降していく。鬱蒼とした木々の中をかいくぐって降りていくと、赤いリボンが結わえられた棒があちこちに立っているのが確認できる。「かなり集落に近いところまで来ている」と安堵感を覚え、先へと進むと、コンクリート道が見えてきた。そこは先程訪れた五十八社大明神の東側であった。



 「いかん!もう2時近くになっている!子供達を迎えに行かねば!」名残惜しいが、車を走らせることにする。しかしながら、短い時間ではあったが山歩きを十分に堪能できる場所であった。


【同行者】なし
【コースタイム】
[往路]麓−(車5分)−登山口−(50分)−ヨソ山
[復路]ヨソ山−(30分)−登山口


 

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