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こたろう博物学研究所
探訪記録:20010128

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伊予市・中山町散策、牛之峰登山(内子町/双海町)【平成13年(2001)1月28日】


 休日には外へ繰り出そうと、毎日待ちわびてはいたものの、身体の疲れが抜けきれず、なかなか布団から抜け出せない。いつもの目覚まし時計の音色に一旦は目を開けてはみたものの、カーテン越しで外を眺めると天気も芳しくなく、掛け布団で顔を覆って再び眠りについてしまった。

 気がつけば時計の針は10:30になっていた。このままボケーっとして一日の残りを過ごすのも勿体ない。幸いにも雨が落ちてくる様子でもないので、久し振りに近郊散策へと繰り出してみることにした。

 遅い朝食を摂り、11:30頃松山市内を出発。進路を南に向ける。旧国道56号線を南下し、伊予市尾崎のローソンにてコーヒーとおやつを調達。



●かわらがはな古窯跡群【伊予市市場向井原】

 最初に目指したのは、伊予市市場にある「かわらがはな古窯跡群」。県の文化財(史跡)に指定されている。以前よりその存在は知ってはいたのだが、肝心の場所がわからない。とにかく「国道56号線よりは東側にあるはずだ」という勘だけを頼りにJR向井原駅前の交差点より細い道へと入っていく。見つけるのには難儀するだろうと思っていたのだが、その悲観的予想は全く裏切られ、交差点から目と鼻の先のところに「史跡・かわらがはな古窯跡群」と書かれた白色の標柱を発見。今日は実に幸先よい。
 非常に道は狭いのだが、古窯跡の下のところに2台ぐらいの駐車スペースがあるので、そこに車を停めた。案内標識に従って細道を少し上ると、大きな口を開けた3つの窯跡が姿を現した。
 説明書きの立て札も新調されており、その由緒をしっかりと確認することができる。辺りには未公開の窯も数基存在するようである。窯跡は砥部町の金毘羅山(水満田古墳公園)[再現品]で見たことはあるが、このように群落を成しているのを見るのは初めてである。
 出土品などを見ることは出来ないものの、一見の価値はあるように思う。(「穴が開いてるだけじゃないか」と言われればそれまでだが。)



●ソテツ【伊予市大平梶畑】

 「かわらがはな古窯跡」をチェックし終えて、次に目指したのは県指定天然記念物のソテツである。実はこのソテツを一目見ようと以前この辺りを隈なくチェックしたのだが、残念ながら所在確認することができなかった。今回は前回で巡回しなかった場所を徹底的に洗えばすぐに見つかるだろうと高を括っていたのだが、予想に反して悪戦苦闘である。車1台がやっとの道に入り込んでは引き返しの繰り返しである。一向にそれらしきものを発見できない。辿り着くのはミカン山の中であったり、溜め池であったり、片山集会所であったりと全く以って迷走状態である。
 「やっぱのふぞに車に乗って探すけんいけんのよな」と反省し、森川沿いの道の丁度JR架橋と交わる辺りに車を停めて、自らの足で勝負することにする。「東に向いて軟斜面になっているので、少し歩けばこの集落を一望できるだろう」との期待を胸に田圃の畦道のような細道を上っていく。何やら五輪塔の残骸らしき石積みを祀った祠が田圃の隅にあったりして、「この辺りは鎌倉時代ぐらいには栄えていたんじゃろなぁ」などと遠い昔に思いを巡らさずにはいられなくなる。
 間もなく梶畑集会所に辿り着く。「この上に行けばこの集落全体を見渡せるじゃろ」と脇の細道を何気なく上がっていくと、そこに目指すソテツは存在した。敷地には、滑り台などの遊具が設置されているものの、錆付き、朽ち果てて、遊ぶ子供の姿など確認しようもないほどに荒れている。肝心要のソテツも、前評判とは全く異なる様相である。根廻り9m、樹高10mというから、さぞかし立派なソテツだろうと思っていたのに、目の前にあるのは高さが2mにも満たないものである。小学校の校庭にあるものと変わらない風貌である。おそらく台風かなんかで折れてしまったのだろう。実に残念である。しかし、それでも命を絶やさずに青々とした幹が何本も天を目指して伸びようとしているのが救いである。きっといつの日か立派な姿に戻る日が来るだろう。(しかし、僕の何代か後の子孫しかその姿は拝めないのだろうが)



●地蔵堂【中山町高岡】

 時刻は12:30を回ったところである。伊予市大平を中心に散策を続けようとも思ったが、どうせなら中山町に足を伸ばしてみようと色気が出てきて、国道56号線を南下していく。犬寄峠を越え、紅葉谷を通り過ぎてすぐのところから中山町の中心地である泉町へと入る。
 先月の散策で、この界隈のめぼしいところはチェック済みである。さてどこを訪ねてみようか。大興寺を越えたところから幼稚園の傍を通って公衆トイレのある広場のところに車を停めて地図を眺めてみる。「永木三島神社は是非行ってみたいところじゃが、他にめぼしい所はないもんかのぅ」....と考えていたとき、ふと高岡にある町指定文化財・阿弥陀如来の存在を思い出した。高岡は中山町中心地から北西に位置する高地集落である。思い立ったら即行動。早速車を走らせる。
 道幅は狭いが完全にアスファルト舗装されていて快適走行できる。しかし、想像していた以上に分岐道が多く、進む方向が正しいことをなかなか実感できない状態である。しばらく進むと、中山町の町並みが眼下に広がってくる。実にいい眺めである。標高は400mぐらいだろうか。北方向に目をやれば、秦皇山の悠然とした姿も飛び込んでくる。御誂えといった感じで、晴れ間も広がってきた。やや広めの路側に車を停めて景観を堪能する。
 清々しい気分になって車を更に進めていくと、意外と多くの民家が立ち並ぶ集落へと出る。ここで地元住民のおばちゃんの姿が目に留まったので阿弥陀如来像の在り処を確認することした。
「すんません、この辺りに阿弥陀如来像があるっちゅうて聞いたんですけど、どの辺にあります?」 
「さぁ、私も余り古くは住んでないけんなぁ。この上手にある御堂じゃろか....。私ぁようわからんけど、この先の家の人じゃったら知っとんなるかもしれんよ」
どうやら余り有名では無いらしい。
 一礼して先へと進むと、分岐道のところに「阿弥陀如来像→」と記された標識が立っているのが目に留まる。なるほど、心配するに足らなかったようだ。目的のブツを目指して颯爽と車を走らせる。すぐに御堂を発見。ここに違いないと安置物を確認するが、どこをどう見ても地蔵である。まだ先に目的とするブツは存在するのだろう。ここで同じ幅の道が二手に分かれているのだが、まずは左側へと入っていく。しかしそれらしきものを発見できず、止む無く引き返し、再び地蔵堂前へ。そして今度は右側の道へと進入していく。



●鶴岡天満宮/日比石堂【中山町高岡】

 ずんずんと上っていくと、やがて数台の駐車スペースを携えた高岡集会所へと辿り着く。小さな鎮守の森も存在する。この神社は2羽の鶴が舞い降りたことに名前が由来する鶴岡天満宮である。平成に入って改築されているせいもあって、風情という点にいまいち欠けるのが難点である。
 ここを拠点として阿弥陀如来を訪ねて辺りを徘徊してみるが、それらしきものは全く目に入らない。半ば諦めがちに南東方向へと進んでいくと御堂の姿を発見。「おぉ、今度こそ間違い無く目的ブツだ!」と意気揚々とするが、中に祀られているのは五輪塔ばかり。堂名も「日比石堂」となっている。昔はこの辺りは古戦場であり、これらの五輪塔はその戦いで戦死した武士の墓であると伝えられている。
 結局、目的とするものに遭遇することは出来なかったが、まずまずの収穫であった。何度も後ろ髪をひかれる思いであったが、阿弥陀如来は断念して、高岡をあとにすることにした。
 時刻は14:00を回ろうとしている。



●柚之木観音堂【中山町柚之木】

 追俵峠から西へと細い道を下りていくと、やがて柚之木の集落が見えてくる。集落を貫いている県道226号線は、道路拡張工事も着々と進み、走りよい道へと変わりつつある。このまま永木へとまっすぐ進もうと思っていたのだが、柚之木集会所の上手の道端に何やら御宝の在り処を示すような標識が立っているのに気付く。集会所敷地の裏手に観音堂が存在するではないか。
 この観音堂は町指定文化財に指定されており、鎌倉時代に作られたものという。顔面白塗りの寄木造りの観音像はなかなか立派なものである。



●永木薬師堂【中山町永木】

 永木に入り、「石畳まであと4km」の看板が立つ三叉路のところで車を停める。そこには藁葺きの御堂が建っている。これも町指定文化財に指定されているようであるが、近年改築されており、建物部分はピカピカの木材で構成されているため違和感を感じずにはいられない。
 「さて一本鳥居で有名な三島神社はどこじゃろか?」と地図を眺めるがよくわからない。そこへ丁度近所の農家のおじさんが通りかかったので場所を尋ねてみる。
 「あぁ、三島神社はあの森になっとるとこよ」
指差す所に目をやると、なるほど鎮守の森らしくなっている。
 「あの神社は古くからあってなぁ、今から1200年ほど前からあって....。一本鳥居があってな.....」
と懇切丁寧にガイドして下さった。
 「なるほど、そうですか。実はその一本鳥居を目当てに来たんですけどね。で、どこらへんが入り口になるんですかいねぇ」
 「こっちからあそこの竹林の前ぐらいんとこ行って、そこで車を停めて歩いていってもいいし...」と元来た道の方を向いて説明。そして引き続き、
 「こっちから下りていったら県道にぶつかるけん。そこには教員住宅やらが建っとるけん、そこを左に折れたら小学校と鳥居が見えらい」
と今度は右手の方向からのルートを教えていただく。本当に感謝である。



●永木三島神社【中山町永木】

 薬師堂から下るルートを選択。おじさんの教えてもらった通り、教員住宅が見え、立派な二車線県道と合流して、そこを左折。間もなく、永木小学校・永木三島神社の姿が見える。
 小学校の駐車場に車を停めさせてもらって散策開始。
 まず小学校の前に建っている句碑を観察。句作者は忽那快風で、「」と詠んでいる。

 一通り句碑をチェックした後、本日のメインディッシュ「一本鳥居」の観察へと入る。「一本鳥居」という名前から、「背丈は5mぐらいあるんじゃろうか....。しかし、笠木や島木、貫はどがいになっとるんじゃろ?一本じゃ支えきれないわいなぁ」などとあれこれ推測をしていたのだが、参道を歩き、実物が目に留まった瞬間、
 「ありゃぁ?柱だけかい?しかも背丈は2m弱ぐらい.....」
と思わず独り言をつぶやいてしまった。しかし、説明書きの看板を読んでいて、その最後の一文「しかし文化財の価値は一本鳥居という変わった形にあるのではなく、約600年前に建立された鳥居の一部が現存しているところにあると思いこの石柱を見るべきである」という所はなかなか感銘した。全くその通りである。似非博物学者反省すること頻りである。

 見所はこれだけはない。楼門もなかなか立派なものである。楼門の裏には「それ行け神社清掃隊〜永木っぺのボランティア活動〜」と記された永木小学校児童写真入の活動紹介ポスターが掲示されている。「ながきのみんなできれいにしたよ...」一人一人の純朴なメッセージが伝わってくる。何とも微笑ましくしばし見入ってしまう。

 社叢林(藤縄の森)も古い木が多く、立派で見応えがある。鎮守の森の中に佇めば何となく癒される感じがする。中でも八股榎はなかなかのもの。北条市高縄山の千手杉のような感じで、異様感が溢れている。

 拝殿・本殿周りをぐるっと一回り。本殿両脇に鎮座する境内末社も確認。右脇の末社はどうしたわけか、正面を向いていない。回り込もうとすると祠の背丈が低いため、ちょうど屋根が突き出たところが僕の頭蓋骨にヒットした。「うぉ〜!痛ぇ〜!」叫びながら社名を確認すると「足塚神社」とある。「足腰の神様というが、下半身には御利益があっても、上半身にはお構いなしかぁ!」と的外れな逆恨みをせずにはいられない激痛が走る。いやいや、ちゃんと拝まないからバチが当たるのだと、すぐさま反省。頭をさすりながら拝礼。

 一通り境内を回ったあと、藤縄の森橋より奥山川・藤の郷川の流れを眺める。奥山川の右岸(小学校側)の壁面には、近隣の名所名跡の場所を示した「永木の今昔マップ」が掛けられている。生徒の手作り作品だろうか、なかなか立派なものである。永木にも未探訪スポットがまだ数多く残っていることを痛感してしまう。



●弓削神社/弓削大師堂【内子町石畳】

 せっかくここまで来たのだから、石畳にある弓削神社の屋根付き橋でも眺めて帰ろうと、更に西へと繰り出していく。いつ来ても本当に落ち着く風景である。池を跨ぐ屋根付き橋の上に佇むと、まるで古都を訪れた気分になってしまう。(奈良・京都にこのような場所があるかどうかはさておいて。)
 北に目をやれば牛之峰の山塊がどっしりと構えている。眼下には棚田が広がる。静かな空間の中で、辺りの景色を眺めていると思わず時間を忘れてしまいそうになってくる。



●牛之峰【内子町/双海町】

 せっかく続きで、ついでに牛之峰に上ってみようという気になってきた。時計は15:05過ぎを示している。ちょっと思い付くには遅すぎる時間ではあるが、林道・牛之峰線からならば歩行距離2〜3kmだから日暮れまでには往復できそうである。思い立ったら即行動。相も変わらず無鉄砲である。

 弓削神社より3〜4km林道を走ったところの右手に「愛媛の森林基金」が建てた登山口標識が立っている。この下側の路側に車を停め、リュックも担がず早々と登山開始。

 登山道はしっかりしていて、迷うこともなく、非常に歩きやすい。道の脇には一丁(約109m)ごとに地蔵が佇んでおり、残り距離を確認できるので安心感もある。歩き始めて僅かのところに水場もあり、色んな意味で山歩きには好適な山である。

 少しぬかるんだ道を上って行くと段々と辺りは白い雪景色へと変わってきた。標高900m足らずの山であり、雪に巡り合うとは思わなかったので、思わず感動してしまった。登山道は2〜3cmほど積もっていて、粒氷状になっているのだが、決して滑り転ぶような感触ではなく、安心して前へ前へと足を運ぶことが出来る。

 やがて林道と合流する。随分高いところまで車が入っていけるようになっているものである。パラグライダー発着地として売り出しにかかっているせいもあろうが、余り頂上付近まで車が入っていけるようになるのも、何だかなぁという感じである。
 そこからもう一踏ん張り登ると、内子側の牛之峰地蔵堂に着く。一面は銀世界。屋根に白銀が降り積もった地蔵堂の姿はどことなく幻想的である。

 地蔵堂から東へと続く尾根道を進んでいく。一挙に景観が開け、四国カルスト、大川嶺方面の山々が冠雪した姿を覗かせる。更に先へと進むと今度は北側に広がる瀬戸内海、双海町上灘の町並みの姿が目に飛び込んでくる。余り景観には期待してなかったのだが、予想外れに良い眺めである。

 景観を楽しんだ後、歩きを再開する。尾根は間もなく林道で寸断される。ちょっと興醒めしてしまう感じであるが、気を取り直し、一旦林道に下りて、再度尾根まで上がって登山道を行く。内子の地蔵堂から約20分で二等三角点を有する牛之峰山頂に到着する。
 山頂にはケルンの石積みがあり、その周りには登山記念の札が何本も林立している。「さすが四国百山の1つだ」などと呟くのだが、残念乍ら山頂からの景観は全く利かないのが玉に傷である。

 煙草を取り出し、小休止しようと思ったら突然雪が降り始めた。霧状の粉雪が舞い下りたかと思うと段々と大粒のボタン雪へと変わってきた。軽装備で上がってきたため、しかも時刻は16:00を過ぎている。道を見失っては大変だと休む間もなく、すぐさま折り返し下山へと移る。

 しかし、全く心配するに足らなかった。道を見失うようなことにもならず、それほど大降りに変わることもなかった。それならばと、今度は双海町側の地蔵堂のチェックへと移る。備え付けの帳面にもしっかり記帳する。正月以来、殆ど人は訪れていない模様。雪上に足跡も見当たらない。冬場は内子側からの登山者ばかりなのだろう。

 思わぬ(嬉しい)誤算の雪山登山をしっかり堪能し、晴れ晴れとした気分で下山する。下りも滑りこけるようなこともなく、順調に登山口に着いた。

 松山への帰路は、牛之峰林道で双海へと下りることにした。雪は道を下るにつれ、段々と霙・雨へと変わっていく。思い起こせば、出掛けは曇り、中山町〜内子町は晴れ、牛之峰は雪、帰路は霙・雨と、半日で全ての天気を網羅的に体験したのだから大したものだ。こんな体験は滅多にない。充実した散策も実行できたし、今日は言うこと無し。大満足。



【同行者】なし
【コースタイム】
[往路]林道牛之峰線登山口−(30分)−牛之峰地蔵堂[内子側]−(20分)−山頂
[復路]山頂−(20分)−牛之峰地蔵堂[双海側]−(25分)−林道牛之峰線登山口


 

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