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こたろう博物学研究所
探訪記録:20010501

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観音山(松山市)、城山(重信町)登山【平成13年(2001)5月1日】


1.観音山(518.4m)

 ゴールデンウィーク3日目にして、やっと休みらしい休みがとれた。しかも曇天とはいえ、先日まで降っていた雨も上がっている。山が「おいでおいで」と誘っているような気がしてくるというものだ。
 とはいえ、ここ2、3ヶ月間、山らしい山にも行っておらず、体力面にも心配が残る。ニュースで「石鎚山で体調不良が原因か、登山者が1名死亡」と報じていたのも心配の種になり、松山近郊の山を狙うことにした。

 メーデーではありながらも、以前ほど「労働者の祭典」的な雰囲気は見られず、出勤車輌で市内へと続く道路は混雑した様子である。土手沿いを通りながら目指すは小野町。星ヶ岡経由で国道11号線へと出て、南久米の町並みを抜けて旧11号線へと出る。途中より河中平井停車場線へと折れ、狭い道を北上する。

 昼食用の水を汲むために小野谷集会所で一旦車を停めたのだが、蛇口のレバーが取り除かれていて目的を果たせない。仕方なく先へと進み、梅本寺に立ち寄る。小さな寺であり、余り期待はしていなかったのだが、幸運にも「境内に水道がある。有り難く水を戴くこととする。

 地図では、ここから西へと車道が続き、途中から観音山への登山道が記されている。総延長2kmといったところか。しかし、もう少し先の一之宮神社からのコースのほうが、1.5km強ぐらいで楽に登れそうな気がする。

 一之宮神社の北側にある小屋の前に車を停めて歩き始める。仏堂の横を抜けて山へと上がる道が続いており、しばらくは快適な歩きである。しかし、楽勝感も束の間、すぐに伐採林へ突入。小さな沢沿いの道は間伐の木々で覆われていて足元不安定な状態が続く。
 やがて沢の水も途絶え、目の前に薮が出現する。晴れた日ならばまだしも、先日迄の雨でちょっと小枝を掴んだだけで頭上に大量の水滴がバラバラと降りてくる。もはや僕の前には道は無い。
 薮の中を歩くよりは、少しでも障害物の無いほうがいい....と、角度にして60〜70度の急坂直登を試みる。小木の幹を掴みながら腐葉土の積もった斜面をゆっくりゆっくりと登っていく。

 息が上がりそうなった頃、斜面は段々と緩やかになり、やがて尾根へと辿り着く。こんな誰も歩かないような山なのに、尾根筋には割合しっかりとした道が残っている。10分ぐらい平坦な尾根道を歩いただろうか。結構広めの頂上の空間に到着。三角点の標石や山名標識など全く無く、おまけに頂上からの眺望は全く利かない。

 ジュースを一息に飲み干し、煙草を一本吸って一服したらさっさと下山に移る。

 もと来た道を引き返す。来る時よりはもっとマシな道があることを期待しながら歩いて行く。しかし、結局はどこから下ったら良いのかがわからず、めぼしいところから強引に下山することになった。二度と通ることが無いような道を。

 降りていくと、生活用水を引いているような小川へと着いた。往路とは違った風景である。しかし、踏み跡がかなりしっかりとした道なので、やがて民家付近には着くだろう。
 用水路沿いの道を歩いておりると、登山口よりもかなり南のところに出た。近場の山だから多少の無計画さも許されるが、もっと標高の高いところでこんな調子にはいかない。

 小野川の辺の車道を歩いて行くと、上り始めるときに出会った地元の農家のおばちゃんと再び出会った。

 「あれぇ、どこへ行っとられたん?」
 「観音山の方へ」
 「ありゃ、それは大変じゃったねぇ。観音山じゃったら、その先のお寺の方から入ったほうが、車で途中まで行けるし楽じゃったのになぁ。観音山行くんじゃったら教えてあげたのに」
と、一之宮神社から上った僕を、それはそれは大層な事のように言っておられた。



【同行者】なし
【コースタイム】※道無き道を通ったので、余り参考にはなりません。
[往路]一之宮神社−(45分)−観音山
[復路]観音山−(35分)−一之宮神社

2.潮見山(215m)


 杖朶下池畔に車を停めて、登山しようと試みたのだが、こちらも登山道は薮に覆われていたため、これ以上濡れネズミ状態になるのがイヤで登山断念。

 池畔より、先ほど登った観音山の遠景をしばし堪能して、次なる目的地へと車を走らせた。

【寄り道】
●拓路向郷の碑
・この碑は、市道完成を記念して平成元年6月に北梅本地区道路委員会が建立したもので、中村時雄市長の銘が刻まれている。碑石は工事中に山乃神地区より出土したものを用いている。

●北向地蔵尊
句碑「松三代北向地蔵秋涼し」 酒井黙禅
・昭和46年5月建立。
・大尺寺境内には市天然記念物に指定された名松があったが昭和53年に枯死した。
・道路沿いの躑躅は満開状態。ピンクや白のあでやかな花が彩りを添えていた。


3.城山(吉山城址、263m)


 お手軽登山第2段。本当は岩伽羅山へ行きたかったのだが、手元の地図では登り口がわからなかった(AX重信から上ればよかったんじゃね....)ので、志津川霊園のところから城山を目指すことにした。

 地図上では山道が続くように記されていたが、車一台は通行可能な道路がずっと城山の山頂付近まで続いていた。山頂北側でぐるっと折り返すと小学校の遠足にちょうどいいような広場があり、その先に頂上へと急坂(とはいっても10mにも満たない)がある。その坂を一気に登ると、なるほど、昔お城があったというのも納得できるような広い空間がある。その中央部には小さな祠と、昭和55年1月に志津川区により建立された碑が建っている。

 弁当を広げるには最適な雰囲気である。ちょうどお昼時でもあり、腹が減ってきた。早速カレーライスをこしらえて食す。自然の中では何を食ってもうまい。

【同行者】なし
【コースタイム】
[往路]志津川霊園−(20分)−城山
[復路]城山−(10分)−志津川霊園



この他、以下の場所に寄り道して、今日の探訪はおしまい。

@三島神社(重信町樋口)
「三島神社は神亀5年辰8月23日(皇紀1388年)、伊豫国守越智宿禰玉純公によって大三島より岩伽羅山上に勧請し、文治元年(1845年)岩伽羅城築城によりこの地に遷宮せらる。当時吉井郷一の宮であると伝えられる。
東方に鎮座せらる客八幡神社は、文中年間(2032年)、河野通定公によりて筑紫の宇佐八幡宮より勧請し、正八幡宮と称した。
慶長年間、天満宮を合祀、正八幡宮客天満宮と称せしが安政の頃、客八幡神社と改称。現在に至る。......」
と「縁起修復の碑」に刻まれている。

A吉井のイブキビャクシン(重信町樋口)
・国指定天然記念物(昭和23年12月18日指定)
・所在地:重信町大字樋口字片山甲1045
・所有者:大蓮寺
・樹齢:推定800年以上
・樹容:樹高20m、根周り7m、枝張り12m、地上1mで2幹に分かれ各々周囲4m。
・全国で8本が天然記念物に指定されており、うち3本が県内に存在。その3本目の巨木。
・この樹の場所は、もともと後ろにあった(明治初年に廃寺となった)岩峰山円通寺の境内であった。
・住職だった和田氏は、石鎚山の大先達で、その昔先祖がお山から持ち帰って植えたものとの言い伝えが残っている。

B弧岸山 大蓮寺(重信町樋口)
Cオキチモズク発生地(重信町吉久)
D長慶天皇陵(重信町牛淵)
 

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