[KOMIL:KOtaro's Miscellaneous 
Information Laboratory]
Copyright (C) Kotaro Iseki (1996〜2022).
All rights reserved
こたろう博物学研究所
探訪記録:20010527

トップページに戻る

インデックスに戻る

大川嶺(笠取山、つつじヶ森)、中津明神山登山【平成13年(2001)5月27日】


(雑記)


8:55、笠取山の麓に到着。
車を停め、デジカメだけを携えて笠取山山頂へと向かう。ミツバツツジは艶やかな色の花を旺盛に広げ、大川嶺へと続くなだらかな山の西壁をピンクに染め上げている。その花の色に取り付かれたように、多くの人々が思い思いの場所でカメラに収めようとしている。
不思議にも笠取山に向かう人は一人もいない。5分足らずで山頂に辿りついた。
15分ほど辺りを散策する。このままのんびりした時間を過ごそうかとも思ったが人が居すぎてどうも落ち着かない。場所を移動することにする。

9:25、美川峰下部の峠に移動。ここから南に向かう道をゆっくりと歩いて行く。つつじヶ森と呼ばれる小峰もミツバツツジが埋め尽くしている。

9:46、美川峰よりややスキー場へと下ったところに放牧された牛がのんびりと腰を下ろしているのが目に入る。

国道33号線を南へと下る。柳谷村の中心部を抜け、幾つかの洞門をくぐる。右岸には巨大句碑が見える。

折戸バス停のところから山際に上っていく道へと分岐する。しばらく車を走らせると中津小学校跡地に着く。
ここより左折。仁合津林道を進む。
一本道だから迷うこともなかろうと先へ先へと進んでいくが、どうも分かれ道が多い。
田圃の風景を撮影する若夫婦に道を尋ねる。
「大宮八幡神社へはこの道でいいんですかね?」

やがて進行方向に向かって右手鳥居と狛犬、そして上方へと続く石段の参道が目に入る。そこから少し走ったところに分岐道があるが、ここをヘアピン状に右手に折れる。そこに平坦地がある。いこいの森である。

10:50、大宮八幡神社に到着。駐車スペース、WC有り。

 
大宮八幡神社のトチノキ 
・柳谷村指定天然記念物(昭和57年指定) 
・所在地:中津西村 大宮八幡神社境内 
・周囲:根廻り 5.8m、胸高廻り 3.7m 
・樹高:25m 
・樹齢:推定300年 
・現状その他:木全体は斜めに伸びているが、地上1mで2支幹となり、大支幹の方は目通りが3.7mである。
大宮八幡神社のモミの木 
・柳谷村指定天然記念物(昭和57年指定) 
・所在地:中津西村 大宮八幡神社境内 
・周囲:根廻り 4.2m、胸高廻り 3.55m 
・樹高:35m 
・樹齢:推定300年 
・現状その他:全くまっすぐに伸びている様は立派である。樹勢若々しく旺盛
大宮八幡神社の大杉 
・柳谷村指定天然記念物(昭和57年指定) 
・所在地:中津西村 大宮八幡神社境内 
・周囲:根廻り 17.0m、胸高廻り 6.3m 
・樹高:30m 
・樹齢:推定700年 
・現状その他:かつては周囲10.5m、高さ42mの巨大なものであったらしいが、昭和18年頃の火災によって、地上1mの所から2大支幹となっていたものの一方が焼けてしまい、他方が残っている。現在樹勢やや衰退の傾向がある。
頌徳碑 
「当社は昭和17年12月、浮浪者の失火により壮大な社殿は焼失した。氏子民一同はいち早く再建を計りしが、大東亜戦争に続く終戦の混乱により其の念なりがたく、幾星霜を経た漸くにして復興のきざし起り再建に当る。その用材の内一般材は社有材から又本殿用の桧・欅等特殊材は小森彦次氏の寄付によりナラヤブ国有林の材が確保された。又建築に当っては浄財節約のため亀井米蔵氏の発起により氏子中の大工を招集し自ら頭領として匠の技を振ひ昭和27年5月氏子熱望の焼失前同様の壮大な社殿が再建された。此の大事業に当り用材の伐採・運搬其の他浄財の寄付等に寄せし氏子崇教者並びに小森彦次・亀井米蔵両氏の遺徳を碑に刻み承し之を頌ふ。」 
平成12年4月吉日 米寿記念元氏子総代 竹内坂栄建之
11:08、林道・久主稲村線起点に到着。
ここのやや下手の路側に車を停めて登山開始。
 
林道・久主稲村線 
・幅員:3.6〜4.0m 
・延長:5.1km
平成10年10月22日の日付が打たれた、中津小学校児童手作りの案内標識が建っている。

3分ほど歩くと林道・タシロ線の起点標識がある。

 
林道・タシロ線 
・幅員3.6m〜4.0m 
・延長5.1km。
11:34、作業道ガヤ谷線分岐に到着。

小雨もポツポツと落ち始め、いつまで林道歩きが続くのだろうと半分投げかけになった頃、登山道の起点である峠に辿りついた。
中津小学校児童手作りの案内標識Fが建っている。

急坂の植林帯を進む。
坂は次第にきつくなる。

11:54、突然背後に眺望が開ける。背にしているのは大川嶺方面だとずっと思っていたのだが、よくよく目を凝らしてみると頂が無残に削り取られた鳥形山である。

11:59、車道と合流。中津小学校児童手作りの案内標識G、Hが建つ。

12:03、車道終点。車道はもう少し先へと続いているようではあるが、これ以上は進入禁止のようである。中津小学校児童手作りの案内標識Iが有り、「登山道約2km」とある。

12:30、肩部にさしかかる。この辺りからササが地面を覆い隠し始める。景色が開ける。左手には皿ヶ嶺〜石墨山の連山の姿が確認できる。背後には大川嶺が悠然と構えている。

このササ道はどことなく堂ヶ森へと上る風景に似ている。

12:45、ようやく中津明神山山頂に聳えるレーダーの姿が確認できる。山頂はもうすぐそこである。石鎚連山の姿も見えてきた。実に壮大な眺めである。

12:53、手前の三角点ピークに到着。尾根道の北側にはミツバツツジが群生しており、艶やかなピンク色の花が彩りを添えている。快適だ。

13:00、中津明神山山頂に到着。人工的なものが存在すること、容易にマイカーで訪れることができることは、些か興醒めの感を抱かざるを得ないが、それでも360度のパノラマの絶景を目の当たりにすると、やはり格別な山だという思いが先に立ってしまう。

昼食を摂り、椅子に腰掛けてしばし景観を堪能する。

小一時間、山頂での時間を過ごしたあと、13:55、下山に移る。

ミツバツツジの尾根道を歩き始めると、間近でウグイスなどの小鳥が心地よい音楽を奏でている。人馴れしているわけでもなかろうが、近寄っても逃げようという素振りを見せない。

名残惜しいが下っていく。

14:38、峠に到着。

15:04、林道久主稲村線起点に到着。
狸に出くわす。

林道イナイノクボ線(幅員3.0m、延長1730m)の起点標識のところで一時停車。スレート造りの建屋が数棟立ち並んでいる。見上げれば、中津明神山頂部のササ原が。ここからの眺めもなかなかのものである。

そこからやや下ると、道の脇の案内標識に「西村大師堂シダレザクラ・常夜灯」と記されているのが目に入る。この案内標は中津小学校生徒による手作りのもの。早速車を停めて立ち寄る。

 
西村大師堂のシダレザクラ 
・柳谷村指定天然記念物(昭和57年指定)
なかなか立派な枝振りである。ぜひ花季に訪れてみたいものである。
常夜灯については所在確認することはできなかった。

中津小学校跡に立ち寄る。
標高435mのグランドからは中津明神山を仰ぐことができる。この山は神々しい存在と言える。

平成12年度卒業記念碑〜閉校記念「あすなろあすなろあすはなろう....」
「老松の跡」碑はグランド東側のフェンス際に建っている。樹齢約200年、幹周約3.5mの巨木であったが、昭和47年1月7日に老衰枯死のため伐採されたという。

真新しい校舎であるが、生徒数激減のため閉校に至ってしまったようだ。何とも寂しい限りである。
 

面三ダム湖の中央部に設けられた噴水から勢いよく水が噴き上げている。その姿にしばし見とれる。

帰路に就く。
三坂峠を下り始めた頃より強烈な睡魔が襲ってくる。いつもは長時間運転しても少々の眠気を感じる程度なのだが、今日はヤバさを感じるほど眠い。それだけ疲労がたまっているということだろうか。坂道の途中の路肩に車を停め、小一時間の仮眠をとる。気がつくと18:00を過ぎようとしていた。
 

トップページに戻る

インデックスに戻る


ご意見・ご感想は

kotaro@kotaro-iseki.net

まで