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こたろう博物学研究所
探訪記録:20010603

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気多山、八辻の峰(面河村)、割石東山(川内町)【平成13年(2001)6月3日】


 (雑記)


 国道494号線にて松山−川内−黒森峠−大成へと移動。
面河ダム湖畔を抜けて約1時間30分で大成林道入口に到着。ここでジュース購入がてら小休止。

 大成林道には「四国最後の秘境・落武者の拓いたかくれ里〜大成・ここから約6K、車で10分」と記されたのゲートが掲げられており、観光地であることを誇らしげにアピールしている。「四国総鎮護・大成神宮」「日本唯一の聖天子像」「民俗文化財やまびこ荘」「大戦史跡・剣の御所」「天然記念物・日本一の初瀬の大桂」「天然記念物・大成神宮社叢のヒメホタル」「天然記念物・冷暖の奇穴・大成の風穴群」など興味深いアイテム名も記されており、興味をそそられずにはいられない。何となくわくわくしてくる。

 そのゲートの脇(林道入口右側)に立派な松の木が聳えているのが目に入る。傍らに立て看板が建っているところを見ると、きっと銘木に違いないと、早速カメラ片手に近寄ってみる。
 
五葉松
村指定天然記念物(昭和63年4月1日指定)
場所:面河村渋草2503番地
所有者:高岡一郎
樹齢:350年
この木は、船の形をした植木鉢に植木としてつくったもので、当時船型五葉松と呼ばれていたそうで、目通り3.69m、高さ27mあり、全国で3番目に数えられる大木である。

 林道を進む。アスファルト舗装もしているし、幅員も然程狭くはない。途中、芸予地震の影響か、崩落している箇所があるものの、復旧工事が進んでおり通行に何等支障はない。交通整理のための警備員も退屈そうに漫画本を読みふけっている。

 林道途中には湧き水(水場)もあり、登山者にとっては有り難い限りである。
 坂瀬渓への入口を過ぎ、段々と高度を稼いでいく。
 大成の集落に入ると、「大桂」の案内標識や藁葺きの家屋などが次々と目に入ってくる。「立ち寄ってみようか」というはやる気持ちを押さえながら、主目的地である気多山登山口へと急ぐ。

 11:22、大成神宮下の駐車場に到着。車を停め、早速登山準備に移る。駐車場北端には鳩舎があり、百羽以上はいると思われる白鳩がぐるっぽぐるっぽと鳴き声をあげながら歓迎(ブーイング?)してくれる。

 この駐車場からも、堂ヶ森・五代ヶ森の雄大な姿を望むことができる。これだけでも来た甲斐はあったと思えるのだが、山頂に登ればこれ以上の絶景が待っているのだろうと、大きな期待感を抱かせてくれる。

 参道右にはヒメボタル群生地の案内板が建っている。どうやらここから風穴へと続く林道沿いがホタルスポットのようだ。
 
ヒメボタル群棲地
・村指定天然記念物(平成10年6月29日指定)
・棲息地:林道沿線(土地所有者:長岡悟氏)
大成林道沿線一帯に棲息、群棲地として希少価値が高く、平成10年天然記念物として村が指定する。
ヒメボタルは、成虫の体長が5.5〜10mmの小型のホタル科の甲虫である。
ヘイケボタルに類似するが、前胸背板の黒紋は逆三角形を呈し、メスの羽は退化しているため、飛翔することができず草むらでオスに愛の光を発します。
オスは地上1〜2mの高さを飛びメスと光の交信をし相手が見つかると降下します。幼虫は、オカチョウジガイ・ベッコウマイマイなどの陸棲巻き貝を食べて、陸上で生活し、幼虫のまま越冬し成虫になります。
毎年7月初旬から2週間、日暮れとともに瞬間的な光を発しながら飛翔し始め、約1時間程度飛び交います。

説明書きの脇には「天然記念物 大成神宮社叢のヒメホタル群棲地」の碑が建つ。「昭和63年7月17日、中川秀好氏発見」とある。
 
深山さらにふかく
生育三千年
天をつく初瀬の桂
何を語らん
風穴 冷風 納涼を知り
暖風 積雪を溶かし
春を告げん
これ神秘なり
雲 海の如く流れ
山 鳥の如く浮かぶ
霊峰神山
噫 大成神宮
平成11年4月吉辰
雄大 高岡昌司詠之

 11:24、登山開始。
 大成神社の大鳥居をくぐり、両脇に菖蒲の花が咲き乱れる参道をゆっくりと歩いて行く。この神社は片田舎の神社にしては、かなり大規模な敷地・社殿を構えている。
 
大成神社(たいせいじんじゃ)
・祭神:天照大神、大山津見神、応神天皇、昭和天皇、菅原道真命、源直清命
・縁起:
慶長5年庚子11月・中川主膳正源直清命が、この里の鎮守として、応神天皇(八幡神)大山津見神(山の神)菅原道真命(学問の神)をお祀りして、大成八幡神社を建てました。
文久2年壬戌10月、大成八幡神社の西南100mの地に、その結構郡内第一といわれる豪壮優美な社殿を造営し、源直清命を合祀し、大成六社神社として遷しましたが、大正3年甲寅6月焼失しました。
平成7年乙亥5月慶長創建の地に再建し、皇祖天照大神と聖帝昭和天皇の御神霊を勧請し、元伏見宮博明王殿下の思し召しにより、御社号を四国総鎮守の宮として、海南総鎮護大成神宮としました。 

 参道を上りつめたところに、またもや大きな鳥居があり、その先に急勾配の木製(丸太組)の階段が延々と続いている。見上げただけでゲェが出そうなほどである。

 一段一段踏みしめながら、息をきらせて階段を上りつめると、モノラックのレールが併設された巻き道と合流する。そこから少し進んだところでレールは途切れ、ここからは九十九折れの山道となる。落葉樹林帯が取り囲んでおり、若葉の色も美しく、歩いていてとても気持ちの良い山である。
しばらくすると大きな岩が現れる。その周辺の道はガレ場になっているのだが、然程危なくもなく、歩きにくいというほどでもない。

 ガレ場を通りすぎると、途端に頭上が明るくなってきて、山頂が近いことを臭わせる。

 11:51気多山(標高1218m)山頂に到着。三角点はないが、山名を示すプレートが立ち木に括り付けられている。山頂付近の木々が伐採されているおかげで、期待通り、眺望抜群である。天気がそれほど芳しくはなかったのだが、皿ヶ嶺〜石墨山〜大ノ森〜堂ヶ森〜五代ヶ森〜石鎚山と名立たる山が一望できる。特に坂瀬渓の向こうに鎮座する堂ヶ森の姿が美しい。

 ガマズミだろうか、それともミヅキだろうか。堂ヶ森方面を仰ぐと白い花が映えている。

 山頂にはご丁寧に丸太製のベンチが2脚設置されていて、風景を眺めながら一休みするには好適である。小汚いけれどトイレも一応設置されている。

 さてこの先どうしようか、下って大成近傍の散策にしけこもうか、それとも稜線沿いに八辻の峰まで足を運ぼうかとあれこれ思案する。しかし、時刻は12:00。腹も減ってきたので、まずは腹ごしらえをしなければ。景色をおかずに昼食を摂る。

 腹の中に入れるものを入れてしまえばパワーもみなぎってくる。勢いで八辻の峰までの縦走に移ることにする。

 気多山から北東方向へ進むとすぐに植林帯の下り道となる。せっかく上ったのに勿体無いと思いながら先へと進む。比較的全般的に亘りなだらかな尾根道が続く。植林帯有り、雑木帯有りとなかなかバラエティに富んでいる。若干ヤブこぎになりかけのところもあるが、全般的に明瞭な登山道が続く。途中40〜50歳代の夫婦一組とすれ違う。「こんな所で人に出会うとは思いませんでした....」と御婦人が声をかけてくる。確かに僕もこんな所で他の登山者に出会うなどとは思ってもなかった。

●八辻の峰(標高1273m)

 12:56八辻の峰山頂に到着。笹の中に埋まった4等三角点を記念撮影した後、さっさと通過する。ここから少し下ったところで別の幅広の登山道と合流。結構立派な道だがどこから続いている道なのだろうか。(地図から察するに相の木からだろう。)

 13:02、笹原に到着
眺望抜群である。石鎚山〜鶴の子の頭〜岩黒山〜椿山〜三光の辻などの連山が見渡せる。
見通しが利く場所のせいか、アンテナが数本立っている。

13:12、名残惜しいけれども下山に移る。
元来た道を折り返し、気多山山頂で煙草一服を挟んだ後、14:08大成神宮に到着。
 
「天津日の...」悟
「生国の山ふところの初音かな」美鶴
おかぐら広場
四国民舞輪の会35周年記念碑(平成10年4月建立)
昭和苑
・将軍塚
・聖桜碑
・剣の御所
・一万株のエビネ苑
・宮内福一先生句碑
「風花の舞う渓谷の深さかな」福一
「空よりも高きふるさと青山河」岬歩
「平和」力也
「皇国の生命に生きむ自が身は天津御親の赤子なりせば」

白鳩
宇宙人?それとも蛙

●風穴

 大成林道を北進する。アスファルト舗装の切れ目となっているヘアピンカーブのところの「天工分冷暖 大成風穴群」の碑が建っている。「ここが風穴か?」と碑の背後の石の割れ目に手を当ててみるが、一向に風の流れを感じることはない。それもそのはず、風穴はヘアピンカーブの曲がりっぱなから続く遊歩道の行き着く先に存在した。(「←風穴」といった矢印付きの案内標識が欲しいものだ!)

 遊歩道を5分ほど歩くと、東屋などが置かれた広場が有り、面河村による説明書きなども建てられている。
 
大成風穴群
・村指定天然記念物(昭和63年11月1日指定)
・場所:面河村大成435/437/438/439番地
・所有者:長岡悟
・員数:33,609u
大成風穴は1個ではなく、冷風、温風を吹き出す数多くのものが分布する(風穴群)とされる。明治45年当時の状態に復元された第1号蚕種蔵庫(冷風穴)とその約20m下方にある温風穴(奇穴)の近くには2号蚕種蔵庫跡があり(これは当時2階建となっており、2階は事務所として使用されたという)また、この風穴分布地一帯は年中氷のある場所として知られ、夏季においても1m掘れば氷を手に入れることが出来たという。

「杖に選ぶ黒文字の木の落葉して」という雷死久明治42年大成来訪時の句を刻んだ碑も建っている。
広場中央部に位置する大岩には鳥居が掲げられ、小さな祠が設けられている。「科戸大神」と書かれた社号額が鳥居から脱落している。初めて耳にする社号であるが、どのような神を祀っているのだろうか?

 さて、風穴とはいうもののいったいどこがその風穴なのだろう。重信町上林のようにひんやりとした風が岩の割れ目から吹き出しているのだろうと期待しつつ、辺りに散らばっている岩石群の割れ目に手を当てまくってみるものの、全く冷風を感じやしない。「温風穴」と書かれた朽ち果てた看板が転がっているところも確認したものの風が出てきている様子は無い。

 ちょっと期待倒れの感を抱きながら、風穴を後にする。

●大成記念園

 帰途、来る途中で気になっていた大成記念園に立ち寄ることにする。記念園の前の民家の脇に車2台ほどが駐車可能なスペースがある。傍で世間話に興じていた地元の人に「車停めさせて貰っても構いません?」と断りを入れて駐車してから園内散策へと移る。

 「この木は平成5年の13号台風で倒れた初瀬の桂の叢幹の1本です。樹齢1500年」と記されたゲート脇を通り、コンクリートブロックにかけられた「天然記念物 日本一の初瀬の大桂 すぐそこ(50m)」の案内標識に従い遊歩道を歩く。ほんとにすぐそこに大桂は存在した。
 
洗心水かけ地蔵尊
「かつら川 清き流れの 水くみて 心を洗へ 秋津嶋人」相次郎
中川相次郎翁は明治15年この地に生まる 初次中川梅右衛門の第2子たり。明治33年 兄中川半次の後見により中川宗家の養嗣子となり其の第11世を承継す 漢学を拝志の人日野四郎に学び国学は父を師とせり 長じて大成小学校校長となり大成鉱山と風穴の開発に尽瘁せり

翠巒閣上から大桂を眺める。圧倒されそうな迫力がある。大桂全体像をカメラにおさめるになかなか好適な場所が無いのが残念であるが。
 
「愛媛の自然100選銘木第一位指定(平成3年)」の標柱
「若葉して 桂千年 秘史の里」南風(尾形直夫)
翠巒閣(すいらんかく)
「翠巒閣上初瀬の大桂を看る
石峰 南麓 大成の郷
初瀬の桂樹 谿澗の傍
叢幹林を成し風影を弄ぶ
翠巒閣上 又 清涼
 南雲外史 長岡悟」

大成植物園内を散策する。遊歩道脇に数多くの植物が植生されており、西洋石楠花を始めとする初夏の花々が色鮮やかに花弁をつけている。花好きにはたまらない場所である。
 
大成学舎趾
大成学舎は文化13年中川家の家塾として中川久治右衛門この地に開設せり。明治5年大成小学校となり、大正3年渋草小学校大成分校となり、同年新校舎に移転せり。蓋し此の地は上浮穴郡に於ける学校教育の発祥の地なり

 散歩道を周遊し、九曜堂へと出る。ここの境内には「世直し銀杏」と称する大銀杏が聳え立っている。命名由来、樹齢などは詳らかではない。

 そして、園内を一通り散策し、最後に江戸時代に建てられた藁葺き家屋2棟を観察する。
 
山びこ荘(文化10年建立)
・村指定民俗文化財(平成5年4月1日指定)
・所在地:面河村大成679番地
・所有者:長岡悟
・面積:90.40u
・構造:木造草葺平家建
山びこ荘は文化10年に建築され、家塾大成学舎、松山藩杣野銅山手代所、戸長役場、大成風穴養蚕管理事務所がおかれ、知名人が多数訪れた建物です。
きた家
・文久3年3月建立

この他、この地には「大成銅山」などもあったらしいのだが、所在は掴めない。
山登りだけでなく、丹念に調べ歩きたい場所である。



●割石東山(標高1074m)

黒森峠(985m)南側の広場に車を停める。トイレ脇から小道を上がっていくと、車1台分はゆうにある幅広の旧往還道へと出る。尾根沿いの緩やかな道を10分ほど歩いていくと、北東・西方向に展望が開ける割石東山山頂に辿り着く。三等三角点、紅白のポールが立っているが、山名を示すものは何も無い。石墨山方面の眺望はばっちりなのだが、期待していた堂ヶ森・石鎚方面は、立ち木が邪魔をしてあまり見通せないのが残念でたまらない。まぁお手軽に展望の利く山に出られるのだから良しとしておこう。
 

 少々遊び過ぎたようだ。今日は「3座制覇」も達成したことだし、さっさと家に帰ろう。と思いながらも、国道493号線沿いには空木の白い花があちらこちらで咲き乱れており、何度も車を停めては走らせを繰り返して鑑賞してしまう。

 今日の締めとして、白猪滝前の茶屋で手作りこんにゃくを買い、それを手土産に家路を急ぐ。
 

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