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こたろう博物学研究所
探訪記録:20011110

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二箆山登山/美川村・久万町鎮守探訪【平成13年(2001)11月10日】


  最近、山らしい山に登っていなかった。土日も仕事や行事に追い回されて、纏まった時間が取れなく、仕方なしに御近所の里山に出向いて気を紛らわすのがやっとであった。

 今週の土日は天気もまずまず。久々に山歩きに繰り出してみようと、行き先を思案するのだが、何しろ山登りは三ヶ森登山(平成13年(2001)9月23日)以来。足腰も鈍っているだろうから、それほど過激な行程にするわけにもいかない。余り、車で長時間運転をしたくもない。
 ということで、選んだ先は美川村の二箆山(ふたつのやま)。一般的なコースとしては、鵺伝説で有名な赤蔵ヶ池(あぞがいけ)から林道を通って猿楽石経由で尾根伝いの登るコースが挙げられるだろうが、今回は東川から直登するコースにチャレンジしてみた。とはいえ、手元の25,000分の1の地図を眺めて設定したコースなので、果たしてまともな登山道があるのかどうか。ま、とにかく出向いてみよう。



 国道33号線を南下し、道の駅みかわにて一旦トイレ休憩後、美川大橋の手前を左折。県道212号線(美川上黒岩線)を東進する。古味の集落に入り、道路標識に従って国道494号線へと入る。
 国道494号線は、「四国の3桁国道のあるべき姿」を貫き通すような鄙びた幅狭の国道。所々二車線化が進んではいるが、行程の大半は垢抜けしていない田舎道。非常に親近感を覚えてしまう。途中道路工事中のところもあるが、通行量も少なく順調に車は進む。

 目指すは横滝から二箆山へ向けて延びている林道なのだが、せっかくここまで来たのだから、「その前に一旦高知入りしておかねば」ということで、県境の境野トンネルへと向かう。
 照明の無い薄暗いトンネルを抜けるとそこは高知県吾川郡池川町カミコグラ。「ここまで来たら、安居渓谷から雨ヶ森、いや椿山なんかもいいなぁ.....。手軽に直上の三光ノ辻山、引き返して四辻ノ森の線もいいかも」と浮気心もちらほら出てくるが、いやいや初志貫徹しなければ。

 来た道を引き返し、横滝のところで「林道」と書かれた道路標識に従い左折する。そこに林道の終点標識が立っている。標識には「水押イショウブネ線、幅員4.0m、延長12.5km」と記されている。併記されている地図を眺めると、手元の地図帳には載っていないが、蓑川の集落まで通じているようだ。
 二箆山の北側からの登山を目指そうと再び車を走らせようとしたのだが、よくよく見ると脇に「この先通行止め」との看板が掲げてある。林道入口から6.0kmの点で崩落復旧中のため、来年の1月まで通行不可と書いてあるではないか。まぁここから6kmということなら、登山口までは何とかなりそうだ。とにかく先へ進もう。

 車を少し走らせると、広々とした田圃が目の前に現れる。林道脇に一基の五輪塔が佇んでいる。思わずカメラを取り出してパチリと一枚。なかなか絵になる。

 林道は未舗装のダート道。途中「ラリーお断り。道が傷むので困ってます」の旨の看板が立っていたりする。なるほど、確かにオフロード好きには絶好の林道である。

 それから100mほど走ると、農作業をしている地元の人の姿を発見。車を一旦停車して、この道の先の様子を尋ねてみる。
 「すんません。二箆山に登ろと思うとるんですけど、この林道を進んだら登山口あるんですかね?」
 「ああ、二箆山に行くんかな。それじゃったら、ここからじゃったらだいぶとわいけど、赤蔵ヶ池んとこまで道が続いとりますけんな。ずっと進んだらアスファルト道の三叉路んとこ出るけんな、そこを左に曲がって進んだら猿楽石んとこに出ますわい」
 「えっ、車で猿楽石んとこまで行けるんです?」
 「あぁ、軽自動車ぐらいじゃったらお宮があるとこまで乗り入れできますがな。まぁ歩いても大したもんじゃないわいな」
 「何か林道の入口に道が崩(く)えとる....っちゅうて書いとったんですけど、通れるんですかいねぇ?」
 「あぁ、もう工事もしよらんけん、通れると思わい。ほじゃが、こっからはだいぶ距離がありますわいなぁ。向こう(赤蔵ヶ池方面)から行ったほうが近いんじゃけどな。ま、ここからじゃったら引き返すよりゃ、この林道を進んだほうが時間はかからんでしょうがな。30分ぐらい走ったら猿楽石んとこまで行けましょうしな」
 「そうですか。どうも仕事のお邪魔をしてすんませんでした。それじゃ有り難うございました」

 予定を変えて、猿楽石のところからの登山にしようと林道を進んで行く。ススキの群落や北方に聳える四辻ノ森の姿を眺めながら高度を稼いでいく。登山口の看板は無いかと、辺りを見回しながら進んでいくのだが、一向にそれらしき標識は見つからない。やがて段々と路面が悪くなり、下り坂へと移る。「きっとこの先に猿楽石があるに違いない」と信じながら下りていくのだが、無情にも通行止めのトラマークのポールが行く手を遮る。「ゲェ!通り抜けできんじゃないの!」

 しぶしぶ車をバックさせて引き返す。さて、これからどうしようか。来る道中で、登山口らしき登山口もなかったし。60,000分の1の地図との照合では、自分が今いる地点が正確に掴めないし。

 唯一車が上れそうな道が1本有ったには有ったのだが、地滑り工事中で進めそうもない。その道の入口に祀られている「鳥畑地蔵」を写真に収めてから、更に引き返す。(工事中を示す看板には「東川アオツエ」という地名が見える。)

 少し戻ったところに、どうにか徒歩で上がれそうな道を発見。その道の先を見上げると、尾根っぽい明るい空間が見える。「ダメでもともと、ここから登ってみよう」と開き直って、やや広めの路傍に車を停めて登山開始。

 久し振りの山登りなので、少し歩いただけでも足が痛くなるし、息もあがってくる。「情けない足腰になってしもとるなぁ」と嘆きながらも植林地の中に続く道を少しづつ前へ前へと進んでいく。やがて明るい広々とした空間へと出る。しかし、そこは伐採地。道らしい道はそこで途切れてしまった。「ゲェ!おいおい、この先どがい進めばええんぞ!」と一人ツッコミをしてみるが、ここで断念するわけにはいかない。振り返ると皿ヶ嶺連峰(引地山皿ヶ嶺陣ヶ森善神山石墨山)がくっきりと見える。手前には四辻ノ森が悠然と構えている。なかなかの風景である。まぁ満足といえば満足であるが、ここまで来たからには是非とも山頂を極めたい。

 伐採地の中を、なんとか踏み跡を追いながら上へ上へと登っていく。行く先にピークらしき場所が見えるので、とにかくそこを目指して進もう。倒れて朽ち果てた木々を跨ぎながら先へと進む。息があがりそうだが、とにかく稜線に出るまではと、必死に登って行く。どうも伐採地は倒木が多くて足元がおぼつかないので、途中から植林樹の合間を通るルートに切り替えたのだが、60〜70度はあろうかと思われるほどの急勾配。木々の幹を掴みながらゆっくりゆっくりと登っていく。

 「あともう少しで稜線部へ辿り着く」と自分に言い聞かせながら急勾配を上り切ると、意外にも目の前に三角点が現れた。看板等は無いが、三角点の横の標柱にマジック書きで「二箆山」と記されている。三角点制覇は半ば諦めていたのだが、何とも今日はヤマカンが冴えていた。登り口から約40分。無事、二箆山山頂に辿り着いた。

 ちょうど時刻は12:00。山頂でメシにしようとも思ったのだが、どうせなら尾根伝いで猿楽石のところまで下りてみようと、西へと下ってみた。しかし、途中で稜線は二手に別れてしまう。さてどっちに進めば良いものか。思案を重ねてみたが、イマイチ判断がつかない。

 結局、それから先へと進むことは断念し、やや右手(北西方向)へ下ったところに落葉樹の紅葉が広がる空間があったので、そこで腰を下ろして昼食を摂ることにした。今年は紅葉に縁がないと諦めていたのだが、こんなところで満足のいく紅葉に出遭うとは。願っても無い幸せである。

 来る途中で買ってきた冷凍の釜揚げうどんをバーナーで温めながら、まずはビールで一人祝杯をあげる。腹ごしらえをしてから、紅葉の写真を撮ったり、辺りを散策したりして山上の一時を過ごす。

 それから一旦山頂へと戻り、そして東へと続く縦走路を進んでみるのだが、至って道は不明瞭となる。北方の景色が広がるところで「もう少し晴れ上がってたら石鎚山の姿も見えるはずじゃのになぁ」と残念な思いを抱きつつ、しばらく景観を楽しんでから、下山に移ることにする。

 来る時通ったルートは余りにも勾配がきついので、山頂よりやや西手のところから下りることにする。足元が悪いので、極力植林樹が残っている場所を選びながら下りていく。上りがしんどかった分、下りは相当楽に感じる。

 あっという間に林道まで下りてしまった。こんなことならやっぱり無理してでも猿楽石を目指せばよかった。まぁそれは今後の楽しみにとっておこうか。



 このままタダで帰るのは勿体ない。松山まで帰る道中は「鎮守めぐり」へと突入しようではないか。というわけで、以下に巡った先を記す。

●惣河内神社(川内八社神社)[美川村東川 水押]

・境内社地からは二箆山の雄々しき姿が拝める。
●道沿いの多段稲架[美川村東川 水押]
・この辺りの稲架は多段である。いや、正確に言えばこれは稲架ではない。段間が狭すぎる。それに架かっているのはどう見ても大豆だ。
●中村林道開通記念碑[美川村東川 中村]
・林道入口の橋の袂に建つ。
・橋からの渓流の眺めはなかなかのもの。橋の下にはマリンブルーの深淵がある。
●胡愁句碑「この山の幾歳月や木々茂る」[美川村東川 中村]
・中村公会堂前に建つ。
・中村林道開通記念として昭和63年5月に建てられたもの。


●熊野神社(中村神社)[美川村東川 中村]

●僧・純信の墓[美川村東川]

・「土佐の高知のはりまや橋で坊さんかんざし買うを見た....」誰もが知っている「よさこい節」。この「坊さん」は純信を指すとのことだが、純信は禁忌の恋のあと、川之江に行ってしまったはず。なのに、なぜここに純信の墓があるというのだろうか。

・説明書きの看板によれば、純信は1年半で川之江から姿を消し、名前を「中田與吉」と改めて東川に転住したとのことだ。「中田與吉」が「純信」であることの根拠は、当地の東光寺の過去帳の記事と、純信が画家・河田小龍に託した恋人・おうまへ宛てた手紙の末尾「せんなり」が一致することと、地元に残る様々な伝承が一致することを挙げている。

・墓地内で「純信の墓」を探してみるが該当のものはなかなか見つからない。墓場をきょろきょろと探し回るのは挙動不審としかいいようが無いので、深追いせずに看板の記事だけ写し取ってその場をあとにした。

●大宮八幡神社[美川村東川 下野谷]
・八幡神社とはいいながら拝殿内に掲げられる社号額は「天満宮」。主祭神は菅原道真公であろう。
●八社神社[美川村七鳥 西古味]
・境内前の銀杏・モミジがいい色具合に色付いている。
・境内社として「三宝大荒神」「金毘羅宮」が祀られている。
・祭りの後だろうか、拝殿の中には子供神輿が置かれている。
・神社参拝後、面河川の河原に下りてみる。対岸に渡れることを期待したが、その願いは叶えられず。途中で仕七川小学校の姿を写真に収めたりしながら、元来た道を引き返す。
・民家の石垣の中に組み込まれた水場を発見。なかなか興味深い。
●歴代村長の頌徳碑[美川村七鳥 東古味]
・橋の袂の一角にある。
●河内八社神社[美川村七鳥 長瀬]
・鳥居の無い神社っちゅうのも珍しいんじゃないか....。おまけに、拝殿前を直瀬川が流れており、川の対岸から拝むようになっているのも珍しい。
●八幡神社[久万町吉久]
・社殿は県指定有形文化財。
・拝殿内部には赤穂浪士の奉納絵馬が多数掲げられている。
・境内にある天然記念物のケヤキは必見。(若干枯れかかってるが....。)
●平家之供養塔[久万町直瀬]
・県道210号線(美川川内線)沿い、直瀬川の辺に佇む。傍らに地蔵が一体。
・これって平家落人に纏わるものだろうか?ひょっとして平という姓の方の墓碑なのでは?
■直瀬の集落から石墨山を望む

■ふもと温泉経由で井内峠越えで川内町を目指す

・直瀬郵便局のところで道路工事をしていて通行止め。仕方なく迂回路を通って永子の集落へ。
・後ろを振り返ると、遠く中津明神山の姿が見える。美しい。
・ふもと温泉は人一人いない。いつ営業をしているのだろう。前回来訪時も閉館していたし。
・梅ヶ谷永子林道を目指すのだが、林道補修につき通行止め。どうしたらええっちゅうねん!仕方なく、房代野−竹屋敷経由のダート道を通って畑野川へ。
■上林峠越えで重信町を目指す
・畑野川からの皿ヶ嶺登山口の位置を確認後、上林トンネルをくぐって重信町入り。
・トンネルを出たところで車を停めて、道後平野の夕暮れの眺望をしばし楽しむ。
・風穴入口にてトイレ休憩した後、帰路に就く。

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