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こたろう博物学研究所
探訪記録:20011124

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伊予三島市・川之江市探訪+お手軽山行【平成13年(2001)11月24日】



(雑記。編集途中)


国家試験受験のため高松へ行かねばならない。折角行くんだったら、国道11号線沿いの散策をしない手はない。

ホルトノキ(もがし)【伊予三島市豊岡町】

・目通り427cm
・樹高約11m
・推定樹齢280年
・「ホルトノキは常緑高木で昔から温暖な瀬戸内地方に広く自生しています。木の肌は灰褐色でなめらか。葉は長楕円形で老樹は赤色の葉をまじえ、花が咲いたように美しくなります。伊予三島市にはホルトノキの大木がおおく目通り3m以上のものが寒川八幡宮に5本、中之庄の荒神の森に2本、今宮神社にも1本ありますが、ここの木が最大です。県指定は伊予市(ママ)松前町の高忍日売神社の目通り4.5m、樹高26mのものです。隣のムクノキは目通り365cm。ムクノキでは、市内5番目のものです。 平成4年3月 伊予三島市教育委員会」

新長谷寺【伊予三島市寒川町長谷川4737】

・「法皇スカイライン入口」標識、「林道観音谷線」起点標識が立っている。

・四国観音霊場
・山号:豊岡山

●新長谷寺仁王門

・市指定文化財(昭和51年1月12日指定)
・「この門は、本瓦葺、三間一戸、格子窓付で仁王像を安置しています。桁行3間(680cm)、梁間2間(380cm)、折衷様式で多くの特色を持っています。まず切妻作りの屋根に、寄棟造りの上屋をのせています。この上屋は漆喰塗りこめで花頭窓がついています。このような形式の山門は県下では見ることができない珍しいもので高楼付建物の系統を引くものです。棟瓦に菊と桐紋をつけ、棟飾には鯱をのせ武家風の華やかさをたしています。妻飾は蕪懸魚で鰭は彫りの強い花模様となっています。入口天井の前半分は鏡天井、後ろ半分は格子天井、仁王像の天井は棹縁天井となっており、過去の修理をあらわしています。柱は6寸の角柱で面取柱とし、柱根に銅板製唐草模様付の根巻金具をつけ、礎石は自然石を用いています。軒回りは斗拱を用いず軒下は疎垂木で全体に簡素なふんいきを示しています。この門は昭和53年に解体修理されました。なお門内に保存されている古い仁王像は一木造りで平安期の古様式を残す貴重なものです。  平成3年3月 伊予三島市教育委員会」
・「新長谷寺の歴史で一番痛手を受けたのは讃岐(豊■)の城主大平伊賀守国祐の兵火にあった事だ。その後、寛永12年(1639)に伽藍が再興されたものの財政上あまり豊かでなかった様子で此の仁王門も当山の四鎮である社殿を移築して急場をしのいだのか、赤い切妻で反りが全然なく素朴で、上屋は火頭窓を配した寄せ棟造で多少の反りで山門にふさわしくしている。一見禅寺風である。正確には此の仁王門もかつての中門であったと考察される。その事は戦国時代以前に於て大門が海浜近くにあった模様で、中にある仁王尊像(後方の古い像)はその大門跡から江戸時代に出土したことからも推察される」(山門左脇の立て看板より)

・参道の周りは紅葉に彩られている。
・長い参道の階段を上る。
・高速道路の架橋よりも高い位置に本堂がある。
・境内から下を見下ろすと、高速道路越しに伊予三島市の町並みが広がっている。

・「向拝正面の扁額は『大悲閣』(大慈悲の観世音菩薩のお堂と云う意味)とあり、深遠....」

・新長谷寺縁起「」

●山口誓子句碑「登り来し佛の天に花....」


妙見神社

・境内は苔の群落。

・高速道路の南側の道を進むと寒川墓園に行き着いてしまう。→いったん新長谷寺までバック。


実相寺(じっそうじ)

・高野山真言宗
・豊岡山(ぶこうざん)
・蓮華院(蓮花院、れんげいん)
・「真言宗蓮花院実相寺は後深草天皇の宝治2年(1247)に学蓮寺と光蓮寺を合併して建立されたが火災にあい、約200年前に現在の建物を再建したものです。左手にある本堂は豊受山中腹の堂成から移転したもので室町時代の建物です。内部の木組みや極彩色が特徴で、両界曼陀羅は室町中期、本尊の千手観世音菩薩は鎌倉中期のものです」

・道標を頼りに「今城宇兵衛遺跡」を目指すが途中で見失ってしまう。


山ノ神公園


実妙寺


石鎚神社

・神社といっても、公園敷地内に「石鎚神社」と刻まれた碑、常夜燈、小祠があるのみである。

恵之久保池



・再び新長谷寺まで戻る。「伊予三島市自然遊歩道:ふるさとこみち」の案内図を眺める。「八皇寺社」「荒神森」「入野池」「坂上羨鳥遺跡」「真鍋大炊介墓所」「光明寺(山田薬師堂)」「木喰上人遺跡」「正法寺城跡」「松尾城跡」「三島公園と横地山古墳」「天然記念物大柏」「戸川公園」「石川城跡」「北岡山古墳群」「四ツ手山弥生遺跡/経が岡古墳」など興味深い場所が目白押しだが、雲一つない快晴。「山上からの抜群の眺望を見たい」という欲望を抑えられない。

林道観音谷線【伊予三島市】

・幅員3.0m、延長3.8km

小川六郎藤原祐長遺跡

・市指定史跡
・「新長谷寺の裏山の尾根上に通称ゴジャナルと呼ばれている土地がある。古い記録には御前ヶ成とか、御陣屋平とか称されている。昭和31年12月、この土地を発掘調査したところ、東西60m、南北120mの併置で建物の礎石や瓦などが多数発見された、布目瓦の様子などから鎌倉期のものと推定され、その際、金銅製の懸仏一体も発見されている。『新長谷寺縁起』によると、小川六郎藤原祐長が地頭として宝治2年(1248)頃、寒川に居住し新長谷寺に観音堂を建立寄進している。  平成9年3月 伊予三島市教育委員会」

・石の上に祀られる地蔵一体。

・広域基幹林道が鋸山(標高1017.4m)の北側を。鋸山経由で豊受山(標高1247.4m)というルートも頭の中で思い巡らせていたのだが、登り口が分からず敢え無く断念。


法皇スカイライン【伊予三島市】


翠波峰【伊予三島市】

・標高892m

●東峰
・駐車場から東へ250m。
●三角点
・駐車場から東峰への登山道入口直上(南側)にある。
●翠波の広場
●法皇山脈の由来
「」
●西峰
・360°のパノラマの風景。
●牧場跡地の碑
●ワシントン桜の園
●磯村英一歌碑「外つ■の 都かざりし 桜花 今この丘に 里帰りする」
・碑の背面には「伊予三島市にとって、忘れえぬ人々がいる。都市社会学の世界的権威、元東洋大学学長・磯村英一氏は、本市のまちづくりと深い縁をもつこうした人々の中でも特筆すべき人である。『地方自治の父』と仰がれる氏がこの地に注がれたご芳情は『ワシントン桜の園』となり『四国ふれあい都市』となって、着実に根を下ろしつつある。折しも、わが国女性新聞記者の先駆として知られる御母堂磯村春子女史が、テレビドラマ「はね駒」のモデルとして、全国に紹介された。これを機に『まちづくりの師』磯村英一氏に対し市民の敬愛と感謝の証としてこの碑を建立する。 昭和63年4月 伊予三島市長 篠永善雄」


水波神社【伊予三島市】

・入口の「南へ200m」と記された碑が立っている。

アヤメ池【伊予三島市】

・市指定天然記念物「ノハナショウブの自生地」
・「ノハナショウブはハナショウブの原種で、日本では本州中部以北の山野に多く自生しています。6月頃赤紫色の花を開き、花びら(外花被片)は3枚。楕円形で先が丸みをもち、はば3〜4cm、基部は長いつめがあり、花びらの中央部は黄色い。内花片は高さ4cm内外で3枚あり小さいへちま形で直立しています。葉は幅5〜12mmとたいへんせまく、葉の中に隆起した中脈をもち、高さは30〜60cmです。この谷間は昔からノハナショウブが自生していましたが、急激に減少し昭和62年には絶滅寸前となりました。そこで、一部のノハナショウブを他所へ移植し増株をはかり平成4年、ここへ再び帰しノハナショウブ園として保存をはかることにしました。この谷間には自生のノハナショウブの外、栽培種のアヤメや紫色・黄色・白色等のハナショウブも育っています。その外、この山地には珍しいツゲの自生地もあります。市民の皆さん植物保存にご協力ください。」

ツゲのトンネル【伊予三島市】


林道虫仏山線起点

・幅員4.0m、延長1.8km
・地図によれば、先へ進むと林道馬瀬線に至り、そして上柏町に至る。
・昼食。
●「馬瀬新四国八十八ヶ所 を経て三島市街に至る」の碑
●地蔵

平石山【伊予三島市】

・標高826m
・法皇スカイラインの途中に「平石山山頂へ↑ 愛媛県山岳連盟」の案内標が立っているのが目に留まった。

市民の森(三角寺山)【川之江市】

・駐車場には真新しい川之江市観光案内図が建っている。
・眺望は抜群。
・山頂部には古めかしい展望台が。損傷が著しいため、ロープが張り巡らされて立入禁止状態になっている。

旅籠屋「鳥屋」跡【川之江市金田町半田 平山】


土佐街道道標【川之江市金田町半田 平山】

・向かって左より「道標」「町石標」「新道標」

熊野三所神社【川之江市金田町半田】

・境内社:正一位稲荷神社、出雲神社、熱田神社、その他多くの先祖を祀る小祠が有り。
・創建年代はかなり旧そうである。大きな杉の切り株がある。
・拝殿右脇のイブキもなかなかのもの。

大光寺【川之江市金田町半田】

・庭園が綺麗。

三角寺【川之江市金田町三角寺】

・由霊山
・四国八十八ヶ所霊場第65番札所
・駐車料金200円
●一茶句碑
●木像十一面観音立像
・藤原時代初期の作
・県指定有形文化財(昭和40年4月2日指定、第46号)

大西備中之守父子墓所【川之江市金田町金川 八戸】

・せとうちバス「三角寺口」から東へ少し上がったところに「大西備中之守父子之墓」と刻まれた案内標が建っている。

大西神社【川之江市金田町金川 東金川】

・せとうちバス「東金川」停留所より三角寺川にかかる橋を渡って右折。山裾の巻き道を登る。

・上分の三叉路交差点を右に入り、県道5号線(川之江大豊線)を北上。途中で右折し、県道9号線(大野原川之江線)へと入る。


切山【川之江市金生町山田井】

・広場より国指定重要文化財「真鍋家住宅」を見下ろす。
●「平家伝説にまつわる切山史跡略図」碑

龍王神社【川之江市金生町山田井】

「龍王神社の由来
ここから800mほど登った木峰の中腹には、真夏でも涸れたことがない泉がありこの水は龍王の水とよばれうやまって来ました。そしてここに雨を司る神として龍神がまつられ、日照りが続いた時には雨乞いをした。毎年旧暦の6月15日には幟をたててお祭をし現在は7月15日に行われている。昔山田井地区にある早苗出池が涸れかかると村人たちはこの龍王神社に来て雨乞いをし、清水をくみとり踊り子道という山道を花笠姿で練りながら下り、池に入れ雨が降るまで踊ったという。この龍王雨乞い踊りが山田井地区に残されていて、小学生たちにも伝承されている。
 平成十三年(西暦2001年)三月吉日
 切山平家遺跡保存会建立」

愛宕山【川之江市金生町山田井】

・「←200m 愛宕山桜公園/石鎚山大山神」と書かれた看板がガードレールに結わえてある。
・道を歩いていくとほどなくして、「←愛宕山桜公園/石鉄山大山神→」と記された石標がある。
・山頂部は見通しが利く。風車が2基。

大谷山【川之江市】

・県道9号線(大野原川之江線)田野々越の手前の路側に駐車。
・「大谷山遊歩道 標高507m 頂上まで1.3km」との案内標が登山口脇にある。

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