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こたろう博物学研究所
探訪記録:20020501

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御手軽登山記〜経ヶ森(龍雲山)【平成14年(2002)5月1日】



(雑記)

 「16:00から軽装登山」というと「何とまぁ無謀な....」というお言葉が岳人から返って来そうだが、安全に登れる山がちゃんとある。松山市太山寺町にある経ヶ森(標高204.3m)である。こんなことを言うと、再び岳人から「そんなん、山とちゃうで!」と小馬鹿にした声が聞こえて来そうであるが、僕にとってはれっきとした山である。

 何はともあれ、四国第52番霊場・太山寺へと向かう。本来なら「登山」と銘打つならば納経所辺りに車を止めて、歩いて本堂まで上がるべきなのだろうが、「御手軽」という接頭語を付ける以上は、やはり歩く距離を最小限に止めねばならない。(こんな理屈がまかり通るんじゃろか?)

 白装束を身に纏った遍路達の姿を尻目に、山行きルックにショルダーバックとデジカメを肩に掛けて颯爽と参道の階段を上っていく。「瀧雲山」という山号額が掲げられた山門をくぐると、国宝指定の太山寺本堂の悠然とした姿が飛び込んでくる。さすが国宝に指定されるだけあって、立派なお姿をしておいでる。どこに価値があるのかよく分からないのだが、感覚に身を任せるならば「いいものはいい」と言うしかない。

 余り本堂に見とれてばかりはいられない。今回の探訪目的は飽くまでも「御手軽登山」である。

 大師堂への階段を上がり、北に向かって歩いて行く。すると、以前訪れたときには目にしなかったオブジェがあるではないか。坂村真民氏の詩碑である。「鳥は飛ばねばならぬ 人は生きねばならぬ」という詩が刻んである。このようなものが知らん間に建っているのだから、近場散策もなかなか侮れない。
 そしてその横には「身代わり観音」が建っている。これも新顔だ。観音像の台座には、建立由来が刻んである。それを見ると、この像は経ヶ森山頂に建っていた十一面観音像で、平成13年3月24日の芸予地震の際に落下したという。この地震で被害が少なかったのは、この観音が身代わりになってくれたからだという。それが本当かどうかはさておき、御利益譚はこうして(こじつけに近い形で)生まれ、そして定着していくんじゃなぁとしみじみ感じてしまうのである。

 いかん、いかん。今回の探訪目的は飽くまでも「御手軽登山」であるのだから、寄り道ばかりしていては前に進まない。
 気分を一新し、15:55、太山寺境内より遊歩道へと入る。

 新緑が美しい。木々のトンネルをくぐり、ミニ西国三十三ヶ所霊場の石仏を眺めながら、そして鳥の囀りを聞きながら遊歩道を歩いて行く。ちょっと歩いただけなのに、どっぷり自然の中に入り込んだような気がしてくる。

 16:01、峠に到着。松山観光港方面へ抜ける歩道の他、北方に位置する護摩ヶ森へと至る薮道もある。「ここも歩いてみたいなぁ」と思いながらも、今日は雨上がりだし、普通の服装・靴なのでびしょ濡れになるのはヤダということで、経ヶ森山頂制覇だけに止めることにする。
 峠には「太山寺へ0.5km/高浜へ1.4kmへ」という新しい道標が建っている。そして「左 たいさんじ」「右 しんかりや たかはま 左 たかはまえき近道」と記された古い道標も建っている。この古い道標の建っているところから左に折れると山頂へと繋がるのだ。

 遊歩道はきちんと整備されており、草木で足元が濡れることもない。若干勾配がきつくなるが、ひぃひぃ言いながら歩くほどでもない。

 16:07、山頂に到着。あっと言う間に着いてしまった。

 山頂には円柱状の経塔が建てられている。その根元付近に「太山寺発祥霊地」と刻まれた碑が建っている。「真野長者霊験感得本尊観世音法■御安置之地/聖武帝埋経之地」と添え書きしている。
 「真野長者」という4文字を眺めていると、太山寺の一夜建立伝説が脳裏に浮かんでくる。大分県の真野長者が高浜沖で嵐によって遭難しそうになったとき、この山の頂上が光っているのを見つけ、それに導かれて進むことで難を逃れたという。そしてここに寺を建てようと一念発起したところ、一夜のうちに堂が建立されたというのである。
 「経ヶ森」という名前は「聖武天皇が写経をこの山頂に埋めた」という伝説に基づいている。別名「瀧雲山」ともいうが、こちらは寺の山号にもなっており、山号が先か山名が先かは定かではない、

 蘊蓄はさておき、山頂からの眺望に触れておこう。
 眺めはまずまず。これといって「抜群」と推挙するような風景はないが、逆に「何ちゃええとこありゃせんが!」と貶すような風景でもない。強いて言えば美しい風景の部類に入ると個人的には思う。
 北方には北条市の新城山・腰折山・恵良山が鋸(のこぎり)の葉のような形で立ち並んでいる。それから東に目線をトレースしていくと高縄山・大月山が見える。それから更に東に目を向けると、北三方ヶ森から明神ヶ森にかけての山々も見えるのだが、今日は生憎の曇天であり雲がかかって眺めは今ひとつ。
 西方には中島や興居島はもとより、遠く山口県の島々まで見渡せる。興居島は由良方面の見通しは良いが、小富士山方面はちょうど立ち木が邪魔をして中途半端な見え方しかしない。(見えないことはない。)
 南方には港山(東港山・西港山)や三津浜の町並み・港、その向こうに弁天山が見える。遥か彼方には、明神山・秋葉山・牛ノ峰・黒山・壷神山など伊予灘に面した山々の姿が遠望できる。
 南東方向には皿ヶ嶺連峰が見える。

 風景だけを楽しんでいても間が持たない。折角だから草花を観察しよう。と思っても、そう多様多種の花があるわけではない。
 山頂部付近には立浪草(たつなみそう)と思われる小花が小群落を成して咲いている。青紫色の清楚な色合いであり、ひょっとしたら野生のものではないのかもしれない。普段は見過ごしそうな花であるが、こうしてじっくり観察してみると、それなりに楽しいものである。

 10分足らずの山頂滞在後、16:17に下山開始する。16:23、峠到着。16:27には寺まで戻ってきた。往復歩行時間20分ほどで自然を満喫でき、360°パノラマの風景を楽しめる場所は余り無いのではなかろうか。
 犬の散歩などで利用する人もちらほらいるようだが、山頂まで歩いてくる人は少なく、静かで落ち着いた登山が楽しめるのだから、侮れない存在の山と言えよう。



【同行者】なし
【コースタイム】 ※休息時間は除く
[往路]太山寺本堂−(12分)→経ヶ森山頂
[復路]経ヶ森山頂−(10分)→太山寺本堂




●経ヶ森ゲレンデ

 「『経ヶ森ゲレンデ』って一体何よ?」と疑問符を投げつける人もいるだろうが、これは勝手に僕が名付けたものであり、正式な場所名でも何でもない。
 これは太山寺本堂の西側にある「禿げ地」のことである。「何故ゲレンデと称するん?」という理由はこれで見えてきたと思うが、そう、子供達が「禿げ山スキー(そり)」をして遊べる場所なのである。段ボールの空き箱をケツの下に敷いて7〜8m滑走することができるのだ。
 ※遊んだ後はちゃんと段ボールを処分すること。



●太山寺本堂
 国宝に指定されているだけあって、実に立派な作りである。よくもまぁこんな大きい屋根をつけたものだと感心する。
 「こりゃ是非とも写真に収めねば」と思うのだが、本堂全体を写すのにうまい場所がなかなか見つからない。三ノ門から正面像を撮ろうとするのだが、どうしても屋根の端っこがきれてしまう。斜めからのアングルを狙ってみようと右手に回り込んでみても、どうも塩梅が悪い。「それじゃ、ちょっと一段高い位置から写してみよか」と大師堂の脇に行ってみる。ここなら丁度全体が写せるのだが、具合が悪いことに電線が斜めに走っている。
 「まぁ、形だけわかればいいか....」と結局妥協してしまう。
 せっかくの国宝だから、周囲360°から眺めてみよう。西側から眺めるのもなかなか良い。蓮の花の彫り物などを見ることができる。


●伊予二十六大師
 大師堂の横には、「伊予二十六大師」の幟が立てられた小さい石室が建っている。「御詠歌 ありがたや いよ二十六大師あいよりて ひかりかがやく 太山の峰」の立て看板が建っている。このような「シリーズもの」を見つけると、「あと25箇所は一体どこにあるんじゃろ?」と探求心を擽られる思いがしてくる。


●太山寺の躑躅(つつじ)
 「蒟蒻につつじの名あれ太山寺」と正岡子規が句を詠んでいるように、参道沿いには多くの躑躅が植えられており、花期にはなかなか見応えがある場所なのだが、山登りをはじめて野生のツツジを眺める機会が増えてくると、何だか園芸種のツツジにはあまり感動を覚えなくなってきた。
 とは言え、お手軽にツツジを眺めるには良い場所であることには違いない。


●仁王門
 普段は通り過ぎざまに眺めるだけの存在だが、重要文化財「仁王門(一ノ門)」もじっくり見とかねば。収められている仁王像(木像)もなかなかの見物である。
 

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