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伊予の隅々
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市町村別情報庫
四国中央市
(旧・新宮村)

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【伊豫の隅々インデックス】

【カテゴリ別インデックス】

市町村概要
※新宮村は、市町村合併により、2004年4月より四国中央市になりました。

キャッチフレーズ
(1).「自然と人、人と人の調和と協調のむらづくり」
(2).「住民とともに歩む手づくり観光をめざして」


村の花 村の木 村の花木 村の鳥
茶の花 ヤマザクラ

特産物
新宮茶
・法皇山脈と四国山脈に囲まれ、四季それぞれの彩りに変化する新宮村。その気候風土は茶に適し、山野にはヤマチャが自生して、古くから手揉み製茶が盛んであった。
・伊予の茶どころとして知られる。
・ヤブキタ種。
・無農薬有機栽培を主とする。

沿革
・昭和29年3月、上山(かみやま)、新立(しんりつ)の2村が合併して新宮村となった。
・藩政時代は今治藩に属していた。
→2004年4月、市町村合併により四国中央市新宮町となった。

地名
 
大字 字
馬立(うまたて)
上山(かみやま)
新宮(しんぐう)
新瀬川(しんせがわ)


文化財
神鏡【新宮村新宮 熊野神社】
・県指定有形文化財(昭和41年4月5日指定)
・御輿3体に用いられたもの。
・永禄年間の兵火により土中に埋められた12枚のうちの1面で、近世に至り土中より発見された白銅鏡。直径13.5cm、厚さ1〜1.5cm。
・「伊与國宇摩郡古美新宮輿御鏡十二枚之内貞應二年(1223)三月六日信山大法主沙弥定廣」との銘がある。

大般若経【新宮村新宮 熊野神社】
・県指定有形文化財(昭和41年4月5日指定)
・鎌倉初期、嘉永2年(1226)に書写されたものである。その数、600に及ぶ
・上下経25cm、1行17字。
・四国第一大霊験熊野十二社権現の別当寺であった神宮寺にあったもので、墨書・肉筆の写経で、巻子仕立である。
・経櫃2個に分納されており、「大般若波羅密多経巻六百」の最後に次の如く奥書がなされている。
   「嘉永二年歳次十一月晦辛○時予洲宇麻新宮石室ニテ 書写 丙戌」

鐘踊り【新宮村】
・愛媛県無形民俗文化財(昭和52年1月11日指定)。
・善政を布した大西備中守元武の霊を慰めるためにできたという念仏おどり。
・8月最終日曜日が祭の当日で、鐘・太鼓・長刀・鉞(まさかり)・仮面・棒振りなど23人の踊り手が一庭50分の踊りを踊る。

お葉付イチョウ【新宮村新瀬川 宝乗寺】
 ・県指定天然記念物(昭和41年4月5日指定)

安楽寺【新宮村】
・村指定有形文化財

観音菩薩【新宮村】
・村指定有形文化財

市仲桜馬場のサクラ【新宮村】
・村指定有形文化財

熊野神社のイチョウ【新宮村】
・村指定有形文化財

西庄兄弟杉【新宮村】
・村指定有形文化財

サクラ【新宮村】
・村指定有形文化財



城址


遺跡


古墳


跡地
馬立本陣跡【新宮村】
1998/5/1
・馬立本陣は、旧土佐街道土佐藩主山内候の宿所であった。
・土佐街道(土佐北街道)は、江戸時代に土佐藩主が参勤交代に利用するなど、土佐と伊予を結ぶ主要道として栄えた。
・幕末動乱の中、山内信豊(容堂公)も土佐へ一泊している。
・土佐の殿様、6代山内豊隆(とよたか)公が江戸城での勤めのために軍団を率いて江戸へ向かう途中、立川から笹ヶ峯を越えて、馬立村石川家で享保3年2月8日に停泊した。軍団で殿様の泊るところを本陣という。それから馬立本陣といって、16代豊範(とよのり)公の文久2年まで146年間続いた。
・明治30年の火災で建物は焼失し、今では正門と石垣が残る。(門の奥には民家が建つ。石川さん?)
・平成8年(1996)、高知県大豊町から川之江市に至る約27kmの区間が、国の「歴史の道百選」に選定された。
新宮鉱山跡
日野豊田家
・藤原氏を祖とする日野家。時の将軍、足利義稙から宇摩郡一円の領主に任ぜられ、永正8年(1511)光朝の代に上山の地に移り住んだと伝えられる。
・日野豊田家の系図は今も残り、戦国乱世の好例として、西岡虎之助早大教授など有識者に広く研究されている。

寺
安楽寺【新宮村寺内】→四国中央市新宮町上山3478
1998/5/1
・村指定文化財
・宗派:真言宗大覚寺派

仙龍寺(奥之院)(せんりゅうじ)【新宮村古野(この)】→四国中央市新宮町馬立547
1998/5/1
・電話番号:0896-72-2033
・四国別格二十霊場 第13番札所 護摩修法霊跡
・四国八十八ヶ所霊場65番札所、三角寺の奥の院。
・「作大師」、「厄除大師」、「四国奥の院」などの名で親しまれている。
・本尊:弘法大師
・開山:法道仙人
・護摩修法霊跡
・当寺は嵯峨天皇の弘仁6年(815)、弘法大師が42歳のとき、登山され金剛窟に瀧沢大権現と開運不動尊を勧請して息災の護摩壇を築き、朝夕「清めの瀧」(高さ18m)で心身を浄め「開運厄除」「虫除五穀豊穣」の二つの御請願をたてられ、21日間護摩の修行をされたという。
・その護摩修行成満の後、自らの姿を彫刻して此の山に留め安置した。その本尊を「厄除大師」「虫除大師」と申し伝えて諸国より多くの信者が四季を通じて参篭している。
・寛永15年(1638)京都大覚寺門跡、尊称法親王が立ち寄り、帰京の後、金光山遍照院仙龍寺の名前が付き、独立した寺になったという。
《References》
・愛媛新聞広告、「心の寺探訪シリーズ(13)『お大師さまの道 四国別格二十霊場 第13番札所 仙龍寺」、2004年8月31日
 
本堂
六角堂
藤井芳州詩碑 「世相遷移轉瞬間榮枯得失見循環年々華發猶依旧歳々人生逝不還」
「世相は遷移す、轉瞬(てんしゅん)の間、栄枯・得失・循環を見る。年々華(はな)発(ひら)いて猶(なお)旧に依るも歳々(さいさい)人生逝(ゆ)いて還らず」
「世の中の移り変わりは激しく栄枯盛衰も又休みなく繰り返されているが、変わらぬものは自然の営みのみで、毎年春が来れば草木は美しく、変わることがない。それに引き換え、限りある人生は短く、而も逝いて再び還ることはない。この絶対的真理をわきまえ、何を知り、何を求め、又何をなすべきかを考えねばならない。」
★藤井芳州
・本名:藤井関一。明治28年10月2日、新宮村天日の高橋寅三郎の次男として生まれる。昭和28年10月吟道関心流創設、初代宗家となる。
藤
修正会:1/1〜1/3
節分会(厄除大護摩):2/3
正御影供(春まつり):旧暦3/20〜21
お釈迦様誕生会(花まつり):旧暦4/8
施餓鬼会おこもり(夏まつり):旧暦7/末日
御影供(秋まつり):旧暦10/21
越年会:12/31

宝乗寺(ほうじょうじ)【新宮村新瀬川】→四国中央市新宮町新瀬川129
1998/5/1
・山号:長寿山
・本尊:地蔵菩薩
・宗派:真言宗大覚寺派
お葉付イチョウ
新成新四国【新宮村】
・新宮村を舞台に繰り広げられる霊場八十八ヶ所巡り。
・これは132年ぶりに復活した行事で、巡拝コース全工程は 12.3km
新成新四国復元の碑
・「嘉永年間に建立されし。新四国八十八ヶ所は久しく放置され、所在も明らかならざりき。偶に信藤英敏44体を確認 復元の提唱あり。地域有志並に『ふるさとに学ぶ会』の協力により39体を追認。5体を新たに刻調し、昭和55年1月吉日開眼供養す。時にNHKの取材あり。  『八十八そろい石仏ニコリとし』 南牛史」と碑文にある。
★このNHK取材って、ワシが中学校の頃の早朝にやってた番組「ひょっこり南牛史」か?
★赤い幟が立てられた地蔵には、平石に「故」など漢字1文字を白いマジックで記したものを具えている。まるで南総里見八犬伝である。(八犬伝は「玉」やけどね。)
このようなものを「一字一石」というのだろう。


神社
熊野神社(くまのじんじゃ)【新宮村新宮】→四国中央市新宮町新宮464
1998/5/1
・祭神:速玉大神(伊奘諾尊)、夫須美神(伊奘◆尊)、家津美御子大神(素戔鳴尊)、他9柱=熊野十二所神
・大同2年(807)9月8日、紀州新宮から、田鍋、真鍋、三鍋一統によって現在地に勧請、安置されたといわれる神社で、広い境内には厳粛な雰囲気が漂う。
・熊野神社蔵の「伊予新宮鎮座熊野神社由緒略記」に拠れば、「そもそも当社は今を去ること1180年以前、大同2年(807)9月8日紀伊国新宮より当地に勧請せられたるものにして、四国第一大霊験十二社宮と奉唱されたること、聖護院御門跡帳面にこれあり。古くは古美村(こみむら)と申すところ本社を鎮祭せしにより新宮の名あり。また曰く、伊予国は熊山、阿波は岩津限り、土佐は保木峰、讃岐はことごとく皆氏子場として熊野宮の牛王の神符を配布せり。」とある。
・永禄年中(1558〜1570)、長宗我部氏の兵火により消失した。
・本殿は嘉永2年(1849)、拝殿は寛文2年再建されたもの。
・この神社は四国130社の筆頭に列せられ、最盛期には四国大半の地域にまでその勢力を持ち、牛王の神符を配布していたと伝えられている。 熊野神社蔵の「牛王の神符の版木」は大永2年(1522)のものと伝えられる。神符に描かれた烏の数は、紀州速玉社の48羽と同数である。
・高知自動車道新宮ICより車で10分。
神鏡
・県指定有形文化財(昭和41年4月5日指定)
・御輿3体に用いられたもの。
・永禄年間の兵火により土中に埋められた12枚のうちの1面で、近世に至り土中より発見された白銅鏡。直径13.5cm、厚さ1〜1.5cm。
・「伊与國宇摩郡古美新宮輿御鏡十二枚之内貞應二年(1223)三月六日信山大法主沙弥定廣」との銘がある。
大般若経【新宮村新宮 熊野神社】
・県指定有形文化財(昭和41年4月5日指定)
・鎌倉初期、嘉永2年(1226)に書写されたものである。その数、600に及ぶ
・上下経25cm、1行17字。
・四国第一大霊験熊野十二社権現の別当寺であった神宮寺にあったもので、墨書・肉筆の写経で、巻子仕立である。
・経櫃2個に分納されており、「大般若波羅密多経巻六百」の最後に次の如く奥書がなされている。
   「嘉永二年歳次十一月晦辛○時予洲宇麻新宮石室ニテ 書写 丙戌」
熊野神社のイチョウ
・村指定有形文化財

稲莖神社【新宮村寺内】
1998/5/1
・神社境内には村立寺内幼稚園が設けられている。
・主祭神:大那牟遅命、宇賀魂命、少彦名命、稚産霊神
・天文7年(1538)、後奈良天皇足利義晴将軍のとき、日野光明永正8年上山泉田に来たり。約30年後のこと。現社殿は明治39年建立。徳川式四ツ棟造り。

稲莖神社【新宮村西の庄】

大西神社(おおにしじんじゃ)【新宮村】
・ 天正5年(1577)、土佐の長曽我部元親に敗れて自刃した大西備中守元武を祀る。
鐘おどり
・県無形民俗文化財

笠嶋神社【新宮村】

三宝大荒神【新宮村】

素鵞神社(そがじんじゃ)【新宮村中の庄】
・素鵞神社の秋祭りは10月最終日曜日。

中山神社【新宮村古野】

鉾尾神社(ほこおじんじゃ)【新宮村】

頼武大明神【新宮村新瀬川】
むかし、源平の戦いに負けた平家の落人が、新瀬川まで逃げのびてきた。落人の将は、頼武という人で、その妻は身篭っていた。そのうち源氏が追い付いてきて大乱戦となり、新瀬川の辺は血で真っ赤に染まったが、妻は無事子供を産んだ。
その後、この地を血原と呼ぶようになり、頼武を安産の神として崇めるようになった。

四社神社【新宮村】

石鎚さん【新宮村総野 ツガノウチ】
・元禄2年に馬立土居の石川家が勧請したもの。


お堂
土之内薬師堂【新宮村】

薬師堂【新宮村堂成】
数珠回し
・土用の入りの日に、堂の前に茣蓙(ござ)を敷き、数珠を繰りながら「なんまいだー」と念仏を唱える。この風習は現存しているかどうか定かではない。

突鐘地蔵堂【新宮村馬立 総野】
数珠回し

長瀬地蔵堂【新宮村長瀬】
1998/5/1
・県道5号線(川之江-大豊線)沿い、馬立川に架かる新大谷橋の袂にある。
金毘羅宮
・向かって左側は「元産土神 三頭宮」、右側は「元三頭神社末社 金刀比羅宮」と書かれている。現在「金毘羅宮」と呼んでいるのは、主客転倒といった感じがする。
記念碑
・新大谷橋を渡ってすぐのところにある。
・四国横断自動車道建設に依る土捨場用地権者協議会設立(昭和61年1月)〜土捨場工事完了引渡し(平成4年2月)、換地作業完了(平成7年4月)に至る事業完了記念の碑。
・あまり記念すべきことでもないような気がするが....。「土を捨てる場所を提供してくれたら、記念碑建ててやるよ」という感じがするのはワシだけだろうか。
長瀬地蔵堂における寺小屋教育碑
・新大谷橋を渡ってすぐのところにある。


塚
七人塚【新宮村】


地蔵
水ヶ峰地蔵【新宮村】
1998/5/1

杖立て地蔵【新宮村】
・安政5年建立。土佐街道、笹ヶ峰の伊予側へ400mほどくだったところにある。
・刻字は以下の通り。
 正面:「奉造立尊像者 為道中安全 為諸人快楽」
 右面:「安政五年三月吉日 願主 栄谷 種治」
 左面:「世話人 馬立村 栄谷 清助 忠吉  讃州 仁尾 九兵衛」
 ※栄谷はさかしだにと読む。


祠

山
塩塚峰(塩塚高原)【新宮村】
1998/5/1
・塩塚峰は標高 1,043.4m。1000m級の山頂には、なだらかな草原が広がる。
・塩塚高原から見た瀬戸内海に沈む夕日は格別である。いや、東から昇る朝日の眺めもいい。実に壮大な風景だ。
・パラグライダーのメッカとして有名。キャンプ場も完備している。
・高知自動車道新宮ICより車で40分。
展望台
塩塚高原自然休養村
・ 自然に囲まれた村営の簡易宿泊施設。→今は市営かな?
・ 高知自動車道新宮ICより車で10分。
塩塚高原キャンプ場
観光栗園
山焼き(5月)

呉石山(呉石高原)【新宮村上山】
1998/5/1
・山頂を抜ける林道を必死こいて車を走らせたけど、辿りついたのはただの草っ原じゃないの!(それも手狭な。)まあ、アウトドアを満喫するという目的だったらそれで良しなんじゃろうけどね。右側に分かれる道を突き進むと行き止まり。Uターンする場所ぐらいはあるじゃろと高を括って行ってみるが、どんづまり。結局バックで引き返さんとならなんだ。(1998/5/1)
呉石山
・標高 826.9m
堀切峠
峠の地蔵
・享和2年(1802)4月に作られた。施主は下分村星川清八。
・雲辺寺へ至るへんろ道の脇に安置される。
・全高2m(像高1.1m)
水ヶ峰地蔵
・南側の小道を800mほど下りたところにある。(自動車では行けない!)
・5月5日には春祭りが開催される。
・旧土佐街道(土佐北街道)越えの際、人々に安息を与える水がこんこんと沸き出でている。
・ここからの金砂湖の眺めは最高である。(高所恐怖症の人はたまらんかも...)
宝篋印塔(大乗妙典日本廻国納経供養塔)
・願主:神尾正九郎義正(かみおしょうくろうよしまさ)。出羽国米沢(山形県)の人。六部。
・石工:村松(伊予三島市)の石工

※呉石という名前と「碁石茶」との関係は如何に?
仁尾の塩商人は、土佐へ塩を売りに行き、帰りには碁石茶を持ち帰ったという。碁石茶は100%発酵させた茶で、干し固められた形状が黒い碁石の様になっていることからの名らしい。
《References》
・高知市歴史散歩 230 茶の伝来と碁石茶-高知市広報「あかるいまち」2003年7月号より-、土佐史研究家 広谷喜十郎、http://www.city.kochi.kochi.jp/deeps/01/0104/rekishi/re0307.htm
 

笹ヶ峰(ささがみね)【新宮村】
・標高 1,027m。愛媛県(新宮村)−高知県(大豊町)境に位置する。
※三角点所在地は 1,016.0m?
 
杖立て地蔵

橡尾山(とちおやま)【新宮村】
・えひめ自然100選
・四国自然百選
・標高 1,222.3m。

カガマシ山【新宮村/伊予三島市/高知県】
・標高 1,342m。

三傍示山【新宮村】
・標高 1,157.8m(3等三角点、点名:大吾山)
・阿波・土佐・伊予の3国の境界を示す「傍示」より、命名されたのであろう。

剣ノ山【新宮村】
・標高 1,105.0m

三ツ足山【新宮村】
・標高 1,105.8m

平石山【新宮村】
・標高 825.6m

峰畑山【新宮村】
・標高 747.9m


鉱山

川・渓谷
銅山川【新宮村】

馬立川【新宮村】

新瀬川【新宮村】

寺成川【新宮村】

和田小屋川【新宮村】

中ノ川【新宮村】

天日川【新宮村】

蛇淵【新宮村 黒松尾】
・雨乞いの淵。

み淵【新宮村 柿の下】
・雨乞いの淵。


滝

ダム
新宮ダム【新宮村馬立大影】
1998/5/1
・河川:吉野川水系銅山川
・重力式コンクリートダム
・堤高42m、堤頂長138m、堤頂幅4.5m
・集水面積:254kの、総貯水料1,300万m3
・ブラックバスが釣れる!
・花見のスポット 。
・昭和50年(1975)に完成した。
 
新宮ダム展望所【新宮村馬立大影】
1998/5/1
・県道5号線(川之江・大豊線)沿いにある。ここから見下ろすと、新宮ダム湖が一望できる。
・駐車場が無いのが難点。
・躑躅があちこちに咲いていた。(1998/5/1)


橋
新大谷橋【新宮村長瀬】
1998/5/1・馬立川に架かる。袂に長瀬地蔵堂あり。

観音橋【新宮村堂成 文化いこいの里】


風景

洞窟・鍾乳洞

樹木
国有林自然林(ブナ林)【新宮村】

お葉付イチョウ【新宮村新瀬川 宝乗寺】
・県指定天然記念物(昭和41年4月5日指定)
・葉の上に実を結ぶことから「お葉付イチョウ」と呼ばれる。
・新宮村南部、新瀬川沿いの宝乗寺の境内にあるイチョウの雌株。
・県指定天然記念物。
・幹廻り3.75m、樹高15m。
・お乳を授かる霊木として崇敬が厚い。

市仲桜馬場のサクラ【新宮村馬立 上市仲(かみいっちゅう) 山ノ神】
・村指定有形文化財(昭和57年指定)
・通称、馬場の桜。土地の人は「モウカザクラ」とも呼ぶ。品種はエドヒガン。開花時期は山桜とほぼ同じ。
※「モウカザクラ」という名前は、「もう咲いたのか?もうか?」が語源だろうか?
・馬場は「昔、馬場があった」「やや平らで広い」意の両説あるがいわれは不明。
・樹齢は約200年。地上約2mのところで幹は二つに分かれる。幹周は各約3m、樹高20m。

熊野神社のイチョウ【新宮村】
・村指定有形文化財

西庄兄弟杉【新宮村】
・村指定有形文化財

サクラ【新宮村】
・村指定有形文化財


花

道
あじさいロード【新宮村上山中野】
1998/5/1
・県道9号線(新居浜・山城線)沿い
・約3kmの沿道に色とりどりのアジサイ約3000株が咲き誇る。
・6月にはあじさいまつりが開催される。
※アジサイ:ユキノシタ科の落葉低木。

土佐街道(土佐藩江戸参勤交代北山越伊予路順路)
1998/5/1(新宮村の一部のみ)
・土佐第10代藩主山内豊策公から、この道を参勤交代に使ったと伝えられる。
・カゴたて、カシの休場、腹包丁など大名行列に因んだ地名が今も残っている。
 
【高知〜新宮】
高知城
布師田本陣(ぬのしだほんじん):高知城を出発して1日目の宿泊地。
領石(りょうせき)
穴内(あなない)
本山本陣(もとやまほんじん):高知城を出発して2日目の宿泊地。
下関(しもせき)
葛原(くずはら)
川口(かわぐち)
立川番所(たぢかわばんしょ)【高知県大豊町立川下名】:高知城を出発して3日目の宿泊地。立川番所院は、昭和49年国指定重要文化財に指定された。昭和55年より3ヶ年をかけて解体復元工事がとり行われた。
【旧新宮村】
笹ヶ峰(ささがみね)【新宮村/高知県大豊町】
杖立地蔵(つえたてじぞう)【新宮村】
七曲り【新宮村】
水無峠(みずなしとうげ)【新宮村】:登りのとき下士の休場であった。
笠取峠(かさとりとうげ)【新宮村】:笠を取って風を入れる。
腹包丁(はらぼうちょう)【新宮村】:刀を腹に回して急坂を登る。参勤交代の折、武士の腰に刺している刀の鞘が地面に当たるほど急坂なので、腹に包丁を抱くように刀を腹に回したことから、この名前がついた。
下り付(おりつき)(おりつけ)【新宮村】
青木の泉(あおきのいずみ)【新宮村】
梅の泉(うめのいずみ)【新宮村馬立柿の下】:参勤交代時には土佐藩主専用の泉であった。この泉の上に梅の古木があったので「梅の泉」と称されるようになった。
堂成札場(どうなるふだば)【新宮村】:高札場所、荷継ぎ場であった。
馬立本陣(うまだてほんじん)【新宮村】:高知城を出発して4日目の宿泊地。
新宮渡し(しんぐうわたし)【新宮村】:参勤交代のときは、船橋にして通過した。
不動堂(ふどうどう)【新宮村】
一升水(いっしょうみず)【新宮村】:不動坂、朝日坂を登って茶屋に至る。
水ヶ峰(みずがみね)【新宮村】:道中の乾いた喉を潤す冷たい清水が湧出する。
横峰(よこみね)【新宮村】:法皇山脈の横峰を越えると上分に出る。
【旧新宮村〜旧川之江市】
平山(ひらやま)【川之江市】:峠に茶屋があった。
槍下の松(やりさげのまつ)【川之江市】
川関(かわせき)【川之江市】:金生川関所。
川之江本陣(かわのえほんじん)【川之江市】:高知城を出発して5日目の宿泊地。
【香川県】
和田浜(わだはま)【香川県】:和田浜宗林寺にて小休止する。。
仁尾(にを)【香川県仁尾町】:参勤交代初期の北山越の終点。
勝馬(かつま)【香川県】:勝馬久原寺にて小休止する。
府中(ふちゅう)【香川県】:
丸亀本陣(まるがめほんじん)【香川県丸亀市】 

サガノ線
泉田線
中央線



峠
堀切峠【新宮村/川之江市】


碑
深川正一郎句碑【新宮村】
「ふるさとに よき朋と在り 春の月」

生瑞千夏歌碑【新宮村】
「山ぐにの 山のあいなる 麦畑 むかし宿場の ありたるところ」

生瑞千夏歌碑(公民館前)【新宮村新宮】
「落ちたまる 銀杏落葉に ふる雨の 白かりし日よ 忘ることなく」
・森川繁市書、村有志衆建之、ふるさとに学ぶ会が世話人。
・昭和55年秋建立。
・本名:長尾昌一。頼広に生まれ、青山三鍋家に育つ。大正末期単身中国大陸中央亜細亜までも行脚遍歴し「人間の郷土と自然と歴史」を詠み続けた異色の歌人。歌集「路傍の塔」著。昭和49年2月没。72歳。

桧五作右ェ門碑【新宮村】


公園
八窪運動公園(はちくぼうんどうこうえん)【新宮村】
1998/5/1
・四国交通バス天目口バス停前
・ぼっとん便所だけど、小奇麗なトイレ有り。
・こじんまりとしているが、初夏には躑躅が結構綺麗である。

文化いこいの里【新宮村堂成】
1998/5/1
・県道5号線(川之江・大豊線)沿い、高速道新宮IC出口のところに建設された公園。
観音橋
・文化いこいの里事業で最初の施設として建設された斜張橋。
・1996年7月24日に開通した。
・延長52m、幅2m。
→See.愛媛新聞、「観音橋渡り初め」、1996年7月25日
馬立本陣跡 
文化保存伝習施設
茶の資料館


祭り
塩塚高原の山焼き(5月)

新茶まつり(5月)

あじさいまつり(6月)
・平成2年から始まった。
・あじさいロードを中心に行われる地域住民によるイベント。

鐘踊り(8月)【新宮村 大西神社】
・昭和43年(1968)、県指定無形文化財に指定され、昭和52年(1977)に無形民俗文化財と指定替えされた。
・太鼓踊り、小唄踊りと称されることもある。
・念仏踊りの一種。
※念仏踊り:念仏や和讃(わさん)を唱えながら踊る集団舞踊。空也や一遍が称名念仏(しょうみょうねんぶつ)と共に始めたものが芸能化・娯楽化した。
・8月最終日曜日(旧暦8月1日)に行われる。
・善政を布いた大西備中守元武の霊を慰める(追善供養)ために行われだしたという念仏踊り。 元武はとても踊り好きであったという。
・天正5年(1577)、阿波国白地の城主大西備中守元武が土佐の長曽我部元親に追われ、伊予国金川(川之江市金田町)の轟城で討死にした。その一族郎党は、元武の没後、彼の善政を頌えて、鎮魂のために大西神社を建立し、その命日を祭礼日とした。
・江戸時代・元禄年間に始まったとされる。
・中断した年には疫病が流行ったとの言い伝えから、毎年奉納されている。
・当屋を出発する前に、鐘踊りの一部を踊り、その後、鐘と太鼓を打ち鳴らしながら大西神社に向かって行列する。猿田彦(露払い)−当屋(御幣)−踊り子の順番で踊り坂と呼ばれる約30mの急坂を登り、大西神社境内に至る。
・神社の境内には注連縄が張られ、そこの踊り場が設けられる。
・鉦、太鼓、長刀、まさかり、仮面、棒振りなど23人の踊り手が一庭50分の踊り(「寄せ」、「七つ」、「三つ」、「九つ」)を踊る。踊り手は、晴れがましくも美しい衣装に身に纏い、鉦と太鼓に合わせて「南無阿弥陀仏(なむあみどーば)」と唱和しながら踊る。
・踊りは当屋がしきる。
・昔は踊りが終わると観衆が踊り子の装身具の一部(花笠の花)を奪い取っていたという。今では造花を笠に結び付けているので持ち帰ることはしなくなった。
《References》
・愛媛新聞、「哀調のカネ山に響く〜『鐘おどり』に観客多数」、2004年8月31日


イベント

施設
霧の森【新宮村→四国中央市新宮町馬立4491】
・平成11年(1999)5月25日、高知自動車道新宮IC附近にオープンした観光施設。
・馬立川沿い。
観音橋
・文化いこいの里事業で最初の施設として建設された斜張橋。
・1996年7月24日に開通した。
・延長52m、幅2m。
→See.愛媛新聞、「観音橋渡り初め」、1996年7月25日
馬立本陣跡 
霧の森交湯〜館(こうゆうかん)
平成17年(2005)8月9日オープン。
 研修室
 浴室
→See.愛媛新聞広告記事、2005年8月9日
いまはむかしミュージアム
・村の郷土資料や、人形彫塑師の内海清美(うちうみきよはる)氏の作品が展示されている。
・入館料600円。
霧の森広場
霧の森ふれあい館
・村の特産品を販売する
霧の森コテージ

霧の高原【新宮村上山】

郷土館【新宮村新宮】
・開館時間:09:00〜16:00
・休館日:日用、祝祭日、年末年始
・砂金採取の道具や、紙漉きの道具など民具・生活用具数百点が収集・陳列される。
・昭和51年11月開館。
・新宮村役場のすぐ横にある。
・熊野神社の大般若経や神鏡も置かれている。

新宮少年自然の家【新宮村新瀬川】
・宝乗寺前。

休養村管理センター【新宮村新瀬川】
・宝乗寺前。


学校

温泉

伝説
天の滝【新宮村】

椀貸しの岩屋【新宮村】

墓切りの刀【新宮村】

怪力男【新宮村】


キャンプ

海水浴

人物

その他
ブナの活き水
・源流:橡尾山中腹のブナ林。
・硬度41の軟水。


《References》
・


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