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伊予の隅々
こたろう博物学研究所
市町村別情報庫
上島町
(旧・魚島村)

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伊豫の隅々インデックス

カテゴリ別インデックス

市町村概要


キャッチフレーズ
(1).「魚と自然と人情の島 豊かで住みよい村づくり」

村の花 村の木 村の花木 村の鳥 村獣
すいせん うばめがし ニホンカワウソ
※上島町への合併前の平成16年(2004)5月に、ニホンカワウソを村獣として制定した。
→See.「黄金の島 歴史刻む 半年間だけ村獣 ニホンカワウソ」、愛媛新聞、2004年9月30日
特産物

沿革
・藩政時代には今治藩に属していた。
・明治維新後は、一時弓削村に属し、その後独立・合併を繰り返したが、明治28年(1895)12月1日に再度分離し、現在の魚島村に至っている。
・南北朝時代には「沖の島」と呼ばれていた。近世以降は、島の周りの海が好漁場であったことから「魚島」と呼ばれるようになった。
・平成16年10月1日、弓削町、生名村、岩城村、魚島村の4町村が合併して上島町(かみじまちょう)を発足した。

地名
大字


文化財
亀居八幡神社の宝篋印塔【魚島村篠塚 亀居八幡神社】
・国指定重要文化財



城址


遺跡
大木遺跡(おおきいせき)【魚島村】



古墳
神ヶ市古墳【魚島村】


跡地


道福寺【魚島村一番耕地100】
・山号:養龍山
・宗派:真言宗高野派(大覚寺末寺→光林寺末寺)
・本尊:木造地蔵菩薩尊像。不動明王。
 
本堂
大師堂


神社
恵比寿神社【魚島村井ノ頭】

亀居八幡神社【魚島村篠塚】
ふるさと八景
・銅板瓦葺き、総桧造り。
・元禄6年(1963)創建と伝えられる。
 
こもり堂
地芝居の常設舞台
宝筐印塔
・国指定重要文化財
新田義貞の武将・篠塚伊賀守の墓という。村上氏の供養塔ともいう。
・亀居八幡神社境内にある。
・花崗岩製。総高227cm(基壇を含めると247cm)
・形式や手法などは、鎌倉時代後期の供養塔の特色を持っている。

関道神社【魚島村】
ふるさと八景
高井神島の北端、宮の越鼻に位置する。
・境内には椿、ナタオレノキ、シマモクセイなどが繁茂する。
・関道神社から眺める白い高井神灯台の風景は絶景。
 
ナタオレノキ
ナタを折ってしまうとい われる固い木。 暖帯南部、亜熱帯に分布するモクセイ科の植物で、南方系植物の北限を示すものとして、分布上重要な植物。この植物が、 高井神島の関道神社の東の斜面に約1千平方メートルにわたって、野生状態で繁茂している。大きなもので、根周りが13.7mに及ぶ。


お堂



地蔵




城山【魚島村】
・標高168m
 
山頂広場
・広さ2500平方メートル
城山展望台
・高さ13m

平畑山【魚島村】
・標高258m。


鉱山

川・渓谷



ダム


風景

高井神展望台
・平成3年に完成。鉄骨組み、高さ5mの展望台。

小島の夕照り【魚島村】
ふるさと八景
・昭和54年に城の鼻との間に消波堤が築かれ、徒歩で渡ることができるようになった。

小島
・大木海水浴場のすぐ東。
・昭和54年に完成した消波堤により徒歩で渡ることができるようになった。
・磯釣りのポイント。
・篠塚漁港から船で3分。

篠塚漁港【魚島村 篠塚】
ふるさと八景
・沖には「うしの浦」が浮かぶ。

高井神灯台【魚島村 増】
ふるさと八景
・大正10年に建設された。
 高井神灯台の北西部、遠く伯方島、上島諸島などを望む眺望の良い斜面に建設されている。
・島を代表するこの建築物は、高井神小・中学校の校章にもデザインされている。

吉田磯【魚島村】
ふるさと八景
・江の島の南端に浮かぶ。
 
大漁記念碑
・明治40年に建立されていたものを、昭和52年8月に壮年会員の手で再建した。

江ノ島
・周囲3.1kmの小さな無人島で、南端にはタイ漁で日本中にその名を轟かせた吉田磯がある。
・篠塚漁港から船で20分。

瓢箪(ひょうたん)島【魚島村】
ふるさと八景
せとうち夢海道50景(読売新聞社選定)
・船瀬海岸の沖に浮かぶ。魚島本島の南側にある小さな無人島。
・島の周辺は絶好の釣り場である。
・島の東端に砂地があり、海水浴・キャンプも楽しめる。
・うさぎが棲息する。
・数々の逸話が残る。
・形がひょうたんに似ていることから命名された。
・篠塚漁港から船で15分。

船瀬海岸【魚島村船瀬】

桜田海岸【魚島村桜田】

高井神島【魚島村】
・周囲5.3km。魚島を構成する3島の中で2番目に大きい。
 
平畑山


洞窟・鍾乳洞

樹木









「魚島や 伊豫の松山 温泉の国」 虚子

公園
篠塚公園【魚島村篠塚】
ふるさと八景
・昔、村上水軍の見張所があったという。
・「篠塚さん」と称される。
・神ヶ市古墳やこれに纏わる財宝伝説が残る。
・平成3年、整備工事が完成。
・休憩所が設置されている。
・眺望良好。

石槌公園【魚島村】


祭り

イベント
盆踊り(8月14日)
・櫓も組まず、二重の輪踊りを行う素朴なもの。
・踊り手が変装をするのが特徴。
・子供たちが主体となるナカオドリ(内側の輪)では、忠臣蔵や笠踊り、三番叟などの変装を、ソトオドリの大人たちは四ツ竹を持ち、頭を隠して囃しながら踊る。

テンテコ(8月15日)
篠塚伊賀守沖ノ島(魚島)に落ち延びて再起を期して行った調練の名残といわれる。
・「南北朝時代に新田義貞の忠臣、篠塚伊賀守が世田城の陥落するや、今張(現今治)の海岸より沖ノ島(現魚島)に逃げてきました。テンテコは、この島に住んでいる時、再起を期して海岸に出て行っていた操兵の遺風であると伝えられています。」(http://www.town.kamijima.ehime.jp/uoshima/s_event.html)
・毎年盆の15日に男児が刀と扇子を持って、鉦や太鼓の囃子に連れて練り歩く。
・武者に扮した青少年が、東西に分かれ、刀と扇子を持って鐘や太鼓の囃子に合わせて「テンテコ、テンテコテンテンヤ、ヤーコラサコラサ」の掛け声をあげながら左右にとびはねながら練り進む。
・一方、波打ち際ではダイバンと呼ばれる面をつけた四人が二人一組東西にわかれ、それぞれの組みで笹を持った人が前、六尺棒を持った人が後ろになり、立ち回りを行う。 そして両軍が出会った時、後ろのダイバンが交代して陣屋に練り込んで終わる。

秋祭り (10月第一金・土・日曜日)
 ・亀居八幡神社の秋祭りは、昔は神社境内に人々がオコモリをするのが風習であった。
・境内の左側にある芝居小屋では、芝居や浪曲、歌謡ショーなどが行われて、夜明けまで村中が楽しむ。

とんど焼き(小正月1月14日)
・正月の注連飾りを焼いてその年の無病息災を祈願する行事。
・一時途絶えていたが、昭和49年から再開。
・男児達による行事であったが、子供の減少で今は女児も参加する。
・クヌギの木を用いて高さ約6mほどの櫓を組み、暮れの大掃除に使ったすす掃きの竹などを中に入れて、何本もつないだ注連縄で櫓の周囲を巻いていく。
・飾られたとんどは、海岸に運び出され、供物などが供えられ、お祓いされた後に点火される。人々は、この火で持参した鏡餅をあぶって食べたり、15日の小豆がゆに入れて食べたりする。
・とんどが燃えつきて灰になったら、これを海水できよめてから家に持ち帰り、家の周囲にまくと、魔よけや蛇よけになるといわれている。


施設
魚島村開発総合センター【魚島村】
・島おこしの拠点として完成した鉄筋6階建ての建物。
・各種イベントや会議、講習会に利用可能な設備が揃う。
・4階には魚島郷土資料館があり、魚島大木遺跡、神ヶ市遺跡、高井神島の浦遺跡から出土した縄文時代晩期の土器に始まって、現代の生活用品まで、暮らしに関わるさまざまな品物が陳列されている。

魚島観光センター【魚島村】
・宿泊可能。


学校

温泉

伝説
エンコの約束
 板屋の宇右衛門さんは、島きっての豪傑じゃった。こわいもの知らずの正義感でな、近ごろやけに多なったエンコのタチの悪いわるさや、度はずれた暴れように腹を立ててな、「よっしゃ、わしがいっちょこらしめてやるわい。」と張り切って夜回りをはじめた。
 ところが、宇右衛門さんの強いことはエンコ界でも有名でな、どのエンコも用心して、宇右衛門さんにだきゃ、ようわるさせなんだ。
 北風がビュービュー吹きすさぶ寒い冬のことじゃった。夜回りから帰った宇右衛門さんが肩をすくめもて手水場にはいると、生臭い風が吹いてきて、持っていた提灯のあかりが、フッと消えてしもうた。そして暗闇のなかで気味の悪いうなり声がしたと思うたら、なにやら冷たいものが、尻のあたりを撫でとるではないか。
「ほう。エンコよ、この寒いのにお前もご苦労じゃな。ほうびにええもんをやるけに手を出せや。」
 すると賢いようでも畜生のあさましさ、エンコ大将は喜んで手を出した。とたんに大将の手はギュッと宇右衛門さんにつかまれてしもうた。
 宇右衛門さんは、ふところから取り出したナタを振り上げておらんだ。
「近ごろのお前らの暴れようは許せんぞ。わるさできんよう、この腕を切り取ってやる。」
 島一番の豪傑に腕をつかまれたエンコ大将は、どうあがいても振りほどくことができず、とうとう泣きもて降参した。宇右衛門さんは、
「よし、それほどまでに詫びるなら、こんどだけは許してやる。じゃが、その代わり午ノ浦の松の木が全部枯れてしまうか、井ノ浦の青石に彫っとる奉納の文字が消えるまでは、魚島で悪さをするなよ。」
 それから魚島ではエンコの悪さがピタリと止んだそうじゃ。
(お茶の間レポート42号、昭57.1.2、魚島村の民話)(魚島村誌 民俗・民話編)

エンコ棒
 ムカシ、「戎(えびす)鼻」と「だいかん鼻」に六角棒が立っとった。
 夏の海水浴の季節になると、毎年のようにエンコが陸に近づいてきてな、泳いどる人間のお尻にスーとその手を差しこみ、その人の腹わたやベロ(舌)をひきぬいてしもうたそうじゃ。なんせ姿の見えん海の妖怪じゃから始末が悪い。
 そこで、この二か所にお祓いをしてエンコ除けの棒「エンコ棒」を立てて、ここから先はエンコが地に近づけんようにするための目印にした。すると、それからはエンコが人間を引いていくということはなくなったそうじゃ。
 しかし、そいでも一年に一日だけは泳いではならん日があった。旧の7月8日、つまり七夕のあくる日じゃ。この日はエンコが浜近くまできて泳ぎまわる。相手は人間の目に見えんやつじゃから、「君子危うきに…」ということで、この日だけは海へはいってはならんということになっとった。
 だいかん鼻の「エンコ棒」はもうないが、えべっさん(戎さん)のとこには、まだその棒が立っとるそうじゃ。(佐伯美鈴、「うおしま」、昭50.11、魚島中)(魚島村誌 民俗・民話編)

七人みさき
 いまから40年ほど前(大正8〜9年ころ)、魚島の沖で7人乗りの船が嵐で遭難した。その時、この7人は必死で助けを求めたが、そのころは、今のような機械船もなかったし、伝馬船であったため、助けに行けば自分のほうが危ないので、だれも助けに行かなかった。そのため、7人は次々に命を失った。
 それから30年を経たある日、港で夜船の番をしていた19才の若い衆が、右の足には錨を、左足には石をくくりつけて海の中で死んでいた。また昭和30年5月、各地からの漁船が篠塚港に来て。その数は30隻にも達していたが、ある船の中に、18歳くらいの青年が右の足に錨を左の足に石をくくりつけて死んでいるのを見つけた。
 不思議に思ってそのことを島の衆に話すと、20年前に死んだ若い衆の幽霊であることがわかった。その次の夜も同じ場所で同じ姿を見たので、その船はその日のうちに引き揚げてしまった。島の衆は「七人みさき」のたたりであるといっている。 (あゆみ)(魚島村誌 民俗・民話編)

地主(地神)さん
(魚島村誌 民俗・民話編)

海坊主(うみぼうず)
 夜、沖を航行していると、海の中から坊主頭が現われて、「水くれー、水くれー!」というそうな。そいで杓を渡してやると、海水を汲んでは船に入れるそうな。だからこの妖怪に出会った時には、杓の底を抜いてから渡さないと、船が沈められてしまうそうな。
 また、船が「沖がかり」というて、沖に船を泊めてやすんどると。闇の中から、「来い、来い!海へ来い!」ちゅうて、足引っ張って海へ引きずりこもうとする魔物が江の島あたりの海におるそうな。これも、「海坊主」の仲間かも知れんな。(魚島村誌 民俗・民話編)

船幽霊
 漁から帰る時、突然目の前に大きな船影(帆船)が現れることがある。その時は除けたら災難があるそうな。当たるつもりで突っ込んだら、船は急に目の前から消えるそうな。(魚島村誌 民俗・民話編)

マメダのわるさ
 昔は、磯へ夜釣りに出かけると、時々マメダにつままれて、おんなじ所をぐるぐる回らされた衆がようおったそうな。(魚島村誌 民俗・民話編)

小坊主
 闇夜の晩は、潮の引いた海辺の砂浜で、小坊主がよう走り回りょったそうな。「ありゃあ、カワウソじゃないんか。」という衆もおったが、ようわからん。(魚島村誌 民俗・民話編)

雨乞い
 「平の金比羅さんにゃ灯りが見える。あれも見えいで雨乞いじゃ」と島の盆歌にも歌われているように、日照りが続くと、雨乞いが行われていた。農家の人たちが雨乞いをする話がまとまると、役場へその開催をかけ合う。役場主催で行うことがきまると、各地区の世話人宛てに通知が出され、世話人から島中に雨乞いの通知がなされる。こうして雨乞いの当日夕刻になると、島中の人々が提灯をさげて割木2、3本ずつを持ち、因幡部落上方の山上にある金比羅さんに集まってくる。遠くから見ると、この提灯の灯りが一本の長い線を描いていたといわれる。人々が集まると、割木を積み上げて点火し、雨乞いが行われる。四つ竹を持って盆踊りと同様の仕草で踊るだけである。しかし、こうして踊っていると、必ず降雨をみることができたと伝えられている。(魚島村誌 民俗・民話編)

サイの神
 魚島小学校へ登る石段中ほどの左手に祠がある。サイノカミ(賽の神)は、女性が月厄(ツキヤク、生理)のときに詣る女神である。例えば、15日が祭りだが、ちょうど月厄と重なって困ることがある。そんな時、「15日は祭りじゃけん、17日まで延ばしてくれ」とサイノカミに祈願すると、必ず聞き入れてくれたといい、そのお礼に鼻緒をたてない草履やわらじを奉納した。そのためか、足の不自由な人々から、足のよくなる神様としても信仰されていたが、今ではサイノカミさんを訪れる人もほとんどいなくなった。(魚島村誌 民俗・民話編)

ムラカミサン
 学校裏手に「神ヶ市」とよばれる小山がある。この山に「ムラカミサン」または「篠塚さん」とよばれている2基の宝篋印塔がある。今日でこそ詣る人もいないが、昔は6月19日の祭礼に、人々は仕事を休んで参詣したものである。この村上さんについて、島の言い伝えに、「もし島民が生活に困り、食えなくなったときには、この下を掘れ」と伝えられている。村上水軍の財宝が埋まっているとも、篠塚伊賀守が島民のために何かを埋蔵したものともいわれている。往年、この地の発掘を試みた者があったが、宝物は出なかった。ただこの時、十数体の人骨と、その下に大きな平たい石が出てきた。幅3〜4間、厚さ1尺5寸もの大石が2枚敷設されていたという。しかし発掘当時は困窮していたわけでもないためか、発掘にあたった者は腹痛を起こし、病床に伏す者さえ出てきたため、その後発掘を試みた者はいない。(魚島村誌 民俗・民話編)

カゲキヨサン
 亀居八幡神社社殿の右手に「カゲキヨサン」と彫った石がある。昔から眼病にご利益のある神様として信仰されている。またカゲキヨサン(景清さん)は、一部には疱瘡(ホウソウ)除けの神様としての信仰もある。
 ホウソウが流行したときには、赤い旗を立てて願をかけると、ホウソウから免れることができると伝えられている。(魚島村誌 民俗・民話編)

庚申信仰
 島のほとんどの家では、先の大戦中までは庚申様が祀られていた。講組織を持たず、各家々で祭祀が執り行われていた。家々では、60日ごとに「庚申」(かのえさる)の日が巡ってくると、仏壇にしまっている庚申様の掛け軸を取り出して、床の間に掛ける。また、山からコウシンサンノキ(庚申さんの木)を、海辺からは潮水で浄められた12個の小石をとってくる。これらを床の間の掛け軸の前に並べ、小豆飯を供えて、庚申様をお祀りしていた。
 ところで、この庚申さんの日には、夕食に米の飯を食べることができた。当時は、まだ麦が主食だったため、お米のご飯はめったに食べれなかった。それだけに、子どもたちも、これを一つの楽しみとして待ち、またこのことだけを子ども心に記憶している人も多い。(魚島村誌 民俗・民話編)

花みどり
 神仏に願掛けをして、その病気が治ると、お願ほどきをする。大病したときに氏神様にお願をかけるが、加護を得てよくなると、神前にハナミドリという紅白の紙で作ったシテを竹の輪に吊り下げたものを奉納する。(あゆみ)(魚島村誌 民俗・民話編)

千本幟
 祭礼のときに神明の加護があった者が、感謝のために20センチくらいの竹で作った紙幟を本殿の周囲に立て並べる。(あゆみ)(魚島村誌 民俗・民話編)

お百度参り
 お百度参りは、浜辺からきれいな石百個を拾いあげてきて、社殿の周囲を回りながら祭礼の時に社殿の床下に投げいれる。これを大勢で行う場合もある。人が行方不明になった時にもする。(魚島村誌 民俗・民話編)

地主さん
 川合房吉さんの家に地主さんがある。盆には麻木と榊を供える。よく祟る神とされており、小便をかけたりしたら、ホロセが出たり、チンボがはれるそうである。その時には、洗い清めて、また塩で浄めてお詫びをするとなおるそうである。 (あゆみ)(魚島村誌 民俗・民話編)

板屋の恵比須様
 横井岩太郎氏(屋号イタヤ)の屋敷内にある小祠である。もとは西組の祀り神で、旧6月23日に組中の者で神主を招いて祭りをしていたが、今は廃れてしまっている。供え物は、シオキリした魚である。この島には、初魚は隣近所の者が分け合う風習がある。(魚島村誌 民俗・民話編)

荒神講
 もと女性の講であった。年1回祭りをする。「お百姓の神さん」といわれ、春、島外から来て拝む人に、お札を入れ替えてもらう。議員が麦1升を出し合いで祭る。荒神様を祭ると、食べるのに不自由しないといわれている。 (あゆみ)(魚島村誌 民俗・民話編)

夢の吉凶
 つごもり(大晦日)の番に、ナス、富士山、鷹の夢を見るのはよいといい、病気になったり、追われたり、嫌われたり、人にいじめられたりした夢を見ると、運が悪いという。(魚島村誌 民俗・民話編)

祇園様の赤旗
 出入り口に赤い小さな旗がさしてある。これをギオンサンといい、それをさしておくと、はやり病にかからないという。広島県の鞆の祇園さんに参ってもらって帰るという。(あゆみ)(魚島村誌 民俗・民話編)

コリトラス
 刃物や茶袋を海に落とすと、竜宮様が嫌うので、おことわりする。その時、祈祷師などによって拝んでもらう。落とした者は、親方にたいへん怒られる。海中へ放りこまれることもあった。これをコリトラスといった。梅干しを海へ落とすことも忌む。(魚島村誌 民俗・民話編)

犬神
 ある男が女をだました。女は怒って犬神に恨みごとを願掛けした。するとその男はびっこであったのに、すねぐらいある海中を陸を走るよりも速く走ったり、天井に吸いついたり、股の下に頭を入れてくるくる回ったりした。こんなのを「犬神がとりついた」のだといっている。(魚島村誌 民俗・民話編)

ゲドがたたる
 ある男が最初の嫁を帰して、別の嫁をもらった。すると男の家の家族全部がすねが痛くなったり、腰が痛くなったりするようなたたりがある。これを島の人は、「ゲドが祟った」といっている。(魚島村誌 民俗・民話編)


キャンプ

海水浴

人物

その他


《References》



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