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伊予の隅々
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松山市
(垣生地区)

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伊豫の隅々インデックス

カテゴリ別インデックス

市町村概要

キャッチフレーズ
(1).

街の花 街の木 街の花木 街の鳥
ウメ

特産物

沿革

地名
大字
東垣生町(ひがしはぶまち)
西垣生町(にしはぶまち) 【Aブロック】港、大新田、今西、美ノ里、住吉
【Bブロック】中組、七郎兵衛、松原、若葉、美浜
【Cブロック】大黒、恵比寿、福助、乾、宮西、宮浦
【Dブロック】丸福、波座、善徳、帝人
【Eブロック】郷徳、長楽寺、長楽寺東
【Fブロック】庚申、新田所、新田所東、日の出
【Gブロック】中央、朝日、本組、三島
【*ブロック】は町内会のブロック分けを指す(2016記)


文化財

鍵谷カナ女頌功堂【西垣生町】

鍵谷カナの墓【西垣生町 長楽寺】
・県指定記念物[史跡](昭和28年2月13日指定)




城址


遺跡


古墳

跡地

村上霽月邸長屋門【西垣生町】

・俳句の里 城西コース 6番
・垣生小学校(伊予鉄バス三島神社前停留所)の前に、松林を巡らせた門構えの村上霽月邸が有った。
・老朽化の為、惜しくも取り壊され、平成元年に長屋門が復元された。
・文人墨客の往来も盛んであった。
・明治二十八年には正岡子規が来遊した。
・バス停前には「村上半太郎翁頌徳碑」がある。


常光寺【西垣生町】
餓死精霊塔

長楽寺(ちょうらくじ)【西垣生町1250】
2007/1/1
・山号:栴檀山
・院号:教王院
・宗派:新義真言宗 智山派
・本尊:阿弥陀如来
・新四国曼陀羅霊場44番札所
・伊予十二薬師巡り10番
・電話:089-972-3496

・天平宝宇四年(760)の創建。
・天正年間の兵乱により寺院を焼失。
・1715年の大洪水で末院を流失。流された本尊・阿弥陀如来を探し出した元誉(中興の祖)が1725年、現在地に寺を再建した。
(以上、「垣生のあゆみ」、pp.179)
 
山門
村上霽月が九州方面に旅行したときに見てきたものを元に作られたという。(垣生のあゆみ、pp.179)
松風庵@
村上霽月が時々句想を練るのに使用した。
ミニ西国三十三霊場 12番近江岩間寺A
西垣生町の町中にはミニ西国三十三霊場としてお地蔵さんが多数点在しとるんよ。
六地蔵尊B
村上霽月の墓(光風塔)
臼杵藩士海難供養塔
鍵谷カナ女之墓C
・県指定史跡(昭和28年12月25日指定)
鍵谷カナ嫗顕彰歌碑
長楽寺寺号碑D
・句が刻まれている。
伊予十二薬師霊場第十番石碑
辯財天堂E
稲荷神社F
薬師堂G
長楽寺大師堂(弘法大師堂)
鍵谷カナ女頌功堂
・昭和四年五月、伊予織物協同組合が建てた。
★頌功堂のある場所には、もと「天王寺」があったのだろうか?伊豫かすり会館の展示パネルにはそう書いてあるのだが....
村上霽月の句碑H
『朝鵙に 夕鵙に絣 織りすすむ』
・俳句の里散策コース14番→城西コース 9番
鍵谷嫗顕彰歌碑

          長楽寺         大師堂    N
    +――――――――++――+ |↑|
    |   G     @AB|| ■ | |  |
    |   F           |+――+ |  |+―――+
    |    E      C  |         |  ||    ■|
    |                |D       |  ||鍵谷堂|
    |                |         |  |+H――+
    +――――――――+         |  |  鍵谷カナ頌功碑堂記念公園
『やちとせも いで湯の誇 伊豫絣』
『花木槿 家ある限り 機の音』 子規
『おもしろや 紙衣も着ずに 編む世なり』子規


神社

恵比須神社(えびすじんじゃ)【西垣生町】
2006/1/1
・昭和49年1月建立
  N
  +────────────
  |◎  ■ ■  ◎     +──
  |     +─+     碑|
  |     +─+       |
  |                  |
  |                  |
  |                  |
  |                  |
  |    松 井 松     |
  +─────────+
鳥居
拝殿
境内末社:
修復記念碑
祭り
・大祭:八月十六日

奥土居神社(おくどいじんじゃ)【東垣生町】
2007/1/1
・春祭は 5月1日で、祭典、神楽奉納が行われる。
・安産の神を祀るという。
・1994年、葺き替えを行う。
「奥土居神社由緒
社伝によると、今から約千三百年の昔、神亀年間に伊予守であった河野玉純が神殿を造り、造化の神である高御産巣日神(たかみむすびのかみ)と淤母陀琉神(おもだるのかみ)・阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)とをお祭りしたという。
一説によると、伊予の国の豪族河野氏の祖先とされる孝霊天皇第三皇子彦狭島命(ひこさしまのみこと)が興居島で御子小千命誕生の時、胞衣(えな)(臍の緒という説もある)を箱に納め海上に流すと、その箱が今出の海岸にただよい着いた。これを拾った漁師が、持ち帰って机の上に安置したその夜、「この箱を清らかな土地に埋め、造化の神をあわせ祭れば、わが霊は永く庶民を見守り、子を授け、安産させるであろう」と神のお告げがあった。そこでこの土地の人々が社殿を建て、臍緒神としてお祭りしたところ、霊験あらたかで、お蔭をうける人が多かったと伝えられている。相殿に小千命をお祭りしていたという。
河野氏は累代崇敬し、後に垣生城主垣生肥前守は、社殿が城の南に当たるので奥土居神社と称えたという。
明治四十二年、疫鎮神社を合祠した。祭神は、大直日神(おおなおびのかみ)である。
平成六年九月吉日
撰文 藤崎 一隆
揮毫 三浦 白鴎」(拝殿内奉納額)
「奥土居神社霊験記
この神を子のない人が祈れば、必ず良い子を産むことができ、懐妊した者が朝夕祈れば、安産するというので、参詣する人が多い。河野の一族である垣生郷の地頭職(じとうしき)の河野肥前守が世継の子のないことを憂い、脇屋義治の子の刑部(ぎょうぶ)を迎えて婿養子したがまた子がなく、血筋断絶するのを悲しみ、この神におこもりして祈願した。十七日に及ぶ夜、夢の中で神のお告げをいただき、河野肥前守の息女はこれから懐妊となった。臨月となったころ、息女がこの神の産殿におこもり中、玉垣に手を掛けて立ち上がる時、やすやすと玉のような男子を出産した。この吉事を祝し河野を改め垣生何某と称した。また、それまで波生と書いた村名を垣生と書き改めたという。立願成就を喜び、社殿を修造して大社となり、その時の門の跡として今に大門の松というしるしの古木があるという。
平成六年九月吉日
撰文 藤崎 一隆
揮毫 三浦 白鴎」(拝殿内奉納額)
 
「奥土居神社中殿拝殿改築」碑
・北側の玉垣の北東端に建てられている。
・「天保十二年に建立した社殿の老朽化に伴い氏子崇敬者の浄財によって改築 平成六年九月吉日竣工
宮司 武智和子
世話人 区長 秀野昇 区長代理 武市安 会計 蔭谷富一 庶務 中井良則
協議員 一色日登志 ・・・・・・」

住吉神社(すみよしじんじゃ)【西垣生町1369-1】
2006/1/1
・景観樹林保護地区 協定番号 18号(昭和53年4月25日)
鳥居
拝殿
いなのす
・境内にある松の木。俗称「たこの松」。
→「いなのす」の伝説
境内末社:
境内末社:
菅原道真公一千年記念碑
・明治35年3月25日建立
祭り
・夏祭り:七月二十八日
・秋の大祭:十月七日

三島神社(みしまじんじゃ)【西垣生町1227-1】
2006/1/1、2007/1/1
・景観樹林保護地区 指定番号3号
 
鳥居
狛犬
境内末社:幸神社(さいじんじゃ):幸せの神
境内末社:産神社(うぶじんじゃ):お産の神
境内末社:鷺神社:病気治癒の神
境内末社:白山神社:縁結びの神
境内末社:稲荷神社
境内末社:疫鎮神社(えきしめじんじゃ)
境内末社:松尾神社:酒造の神
境内末社:遥拝所
 ・垣生小学校より移した。
飛白織工労姫命の碑
(2007/1/1撮影)
「飛白織工労姫命
命伊予州伊予郡西垣生村今出里人 鍵谷氏生父通称清吉松本氏 天明二年誕長嫁於小野山藤八 元治紀元五月二十八日得年八十三而病没命之在世也  享和中詣於讃岐琴平山祠 同船客築後久留米著飛白綿布命見之槁喜之乃到家自取青草汁染綿絲而試飛白製畧得織文之法於剋苦窮遂得以極其精自時厥後遠地里人皆伝習為其業大弘今時飛白綿布以今出里為首者蓋権輿千此也明治十九年設四国共進会於阿波徳島乃飛白綿布陳於其物数因大被称誉於是官 金若千於其子孫以追賞先人之原功以村人等相謀新祭其霊称日飛白織工労姫命時明治二十年七月立石表之余為誌其概略伝
山下清風撰並書
(加奈之尊称有故」
★伊豫かすり会館の展示パネルに書いてあったが未確認。三島神社に在る?
★「垣生のあゆみ」を読み返してみると、「・・・之は今出三島神社境内にある、カナ女の功績を録せる碑文である。該碑石建立の動機は、明治十九年徳島県主催四国勧業共進会に本県から伊予絣を出品したのに対し、時の農商努大臣から、カナ女の功労を追賞するため、遺族に金若干を贈与せられた。之はこの地方の一大名誉であるから当時村内の有志大原林次、中西久次郎、中矢春五郎、中矢重五郎、中西力松の諸氏が発起人となり、カナ女の功績を永遠に記念すべく、当時の儒者山下清春氏に撰文並に揮毫を依頼したのである。」と記されている。この情報を元にもう一度三島神社境内を訪ねてみた。あった。境内、玉垣の内側の末社殿の前に。(2007/1/1)
村上霽月の句碑
 「初暦好日三百六十五」
・俳句の里 散策コース12番→城西コース 7番
  「酔眼に 天地麗ら 麗らかな」
    ・俳句の里 城西コース 8番
村上半太郎翁頌功碑
・昭和三十三年建立。
社号碑
・明治二十三年九月建立。
八塚先生石碑
・建立:昭和二十一年
・八束弘
・高市慶史書
西村央翁頌徳碑
・建立:昭和三十年十月。
西村央はもと垣生村村長。
村上霽月邸長屋門
・俳句の里 散策コース 12番→城西コース 6番
・村上霽月邸は「光風居」と呼ばれ、松林をめぐらせた門構えであった。(垣生のあゆみ、pp.183)
祭り
・夏越祭:七月十五日

小社【西垣生町】
・社名不明。
・首なし地蔵の西


お堂

八反地地蔵堂【東垣生町】
・奥土居神社東。

阿弥陀堂【東垣生町】
・東垣生農協の北

地蔵堂【東垣生町】
・東垣生農協の西手

大師堂【西垣生町】
・長楽寺西

竜宮堂【西垣生町】
・今出港




地蔵

首なし地蔵【西垣生町】

ミニ西国三十三霊場【西垣生町】

・垣生の街角の所々に、地蔵がひっそりと建っている。
・毎年1月上旬に公民館の前に皆が集まり、三十三霊場巡りを行う。
・お参りの後は公民館で暖かい七草粥で身体を温める。
・松山市役所垣生支所の正面に地図がある。
 
( 1).那智山 ( 2).紀三井寺 ( 3).粉河寺 ( 4).槙尾寺 ( 5).葛井寺 ( 6).壺阪寺
( 7).岡寺 ( 8).初瀬寺 ( 9).南円寺 (10).三室戸寺 (11).上醍醐 
   観音堂
(12).岩間寺
(13).石山寺 (14).三井寺 (15).今熊野 (16).清水寺 (17).六波羅密寺 (18).六角堂
(19).革堂 (20).善峰寺 (21).穴太寺 (22).総持寺 (23).勝尾寺 (24).中山寺
(25).清水寺 (26).法華寺 (27).書写寺 (28).成相寺 (29).松尾寺 (30).竹生寺
(31).長命寺 (32).観音寺 (33).谷汲山






鉱山

川・渓谷

重信川

・一級河川
 2006/11/11 重信川の看板(川口大橋の袂)

洗地川

三反地川




ダム

川口大橋


風景

重信川河口

・『伊予十二景』に数えられる。
・カモメ、イカルチドリ、ハマシギ、ミヤコドリ、マナヅル等、約100種類の野鳥が確認され、バードウォッチングも盛んである。


洞窟・鍾乳洞

樹木








石田波郷句碑【西垣生町】
「朝顔の紺の彼方の月日かな」
・石田和弘(実兄)邸にある。
・発起人:石田和弘
・建立:昭和四十九年
(垣生のあゆみ、pp.181)

石田波郷句碑【西垣生町】
「秋いくとせ石鎚を見ず母を見ず」
・垣生小学校西体育館の北側。
・発起人:旧友知人有志一同
・建立:昭和四十七年四月
(垣生のあゆみ、pp.181)

石田波郷句碑【西垣生町】
「雀らも海かけて飛べ吹き流し」
・垣生中学校にある。
・発起人:垣生中建設委員
・建立:昭和五十六年三月
(垣生のあゆみ、pp.183)

村上霽月句碑【西垣生町 長楽寺】
『朝鵙に 夕鵙に絣 織りすすむ』
・俳句の里散策コース14番→城西コース 9番
・さわやかな秋の頃、朝に夕にけたたましく百舌が鳴く。その声に励まされて、ひたすら絣を織り進めている。

・句の文字は村上霽月自筆。
・発起人:今出主婦会
・建立:昭和十年二月
(垣生のあゆみ、pp.182)

村上霽月句碑(徳謝恩報霽月句碑)【西垣生町 三島神社】
 「初暦好日三百六十五」
・俳句の里 散策コース12番→城西コース 7番

・発起人:今出吟社同人
・建立:昭和二十三年二月
(垣生のあゆみ、pp.181)

・碑陰に「報恩謝徳昭和二十三年門下今出吟舎同人建之」と刻まれており、流翠淡紅ら十人の名が連ねられている。

村上霽月句碑【西垣生町 三島神社】
「酔眼に 天地麗ら 麗らかな」
・発起人:今出国勝、今出吟社、中矢盛雄、楓吟社
・建立:昭和三十九年四月二十日
・寄贈:今出建設、中矢等
・昭和三十九年五月に垣生公民館前に設立。現在の公民館建設にあたり、昭和五十七年七月、三島神社境内へ移転。
(垣生のあゆみ、pp.182)

村上霽月句碑【西垣生町 垣生中学校】

鍵谷嫗顕彰歌碑【西垣生町 長楽寺】
『やちとせも いで湯の誇 伊豫絣』
『花木槿 家ある限り 機の音』 子規
『おもしろや 紙衣も着ずに 編む世なり』子規

中矢万吉・三原新四郎頌功碑
・昭和10年2月除幕。(垣生のあゆみ、pp.49)

前川改修記念碑【西垣生町】
2007/1/1
・昭和五十五年

三反地川改修記念碑【東垣生町】

修復記念碑【西垣生町 恵比須神社】
2006/1/1
・今出漁業協同組合
・平成元年8月吉日

垣生浄水場記念碑【東垣生町】
2006/11/11
(2006/11/1)
「垣生浄水場は松山市水道事業発祥の地であり、重信川の伏流水を水源として、工業用水道は昭和二十七年八月、上水道は同二十八年三月より給水を開始したもので、その能力は日量上水道二万立方メートル、工業用水道四万八千立法メートルを有する基幹施設であります。
ここに施設の近代化改良工事の完成にあたり、市民とともに安定給水の確保と市勢の発展を祈念するものであります。
昭和五十八年三月 松山市長 中村時雄」

記念碑【西垣生町 JA前】
2007/1/1
「松山市垣生農業協同組合新築記念 草木榮天下春 平成十年九月吉日」


公園

鍵谷カナ女頌功堂[頌功碑堂記念公園]【西垣生町】

・昭和4年完成
・この地方は元、温泉郡垣生村今出(いまず)と呼ばれていた。今出は伊予絣の発祥の地と言われる。
・鍵谷カナは日頃より常に紡績に心を寄せていた。ある日、藁屋根の葺き換えのときに、藁屋根の押竹に白い縄目の跡が残っているのを見てヒントを得て、全く独力で絣を織ることに成功したという。(伊予絣の始祖)
・最初は、その地名により伊予絣と呼んでいたが普及するに従い、伊予絣と称するようになった。
(「享和年中、鍵谷カナが琴平参詣の際、船中で久留米の人が着ていた絣を見て、これに考察を加えて織り出した」との説(→飛白織工労姫命の碑を参照)は誤伝であると、「垣生のあゆみ」には記されている。)
・”嫁をもらうなら今出でもらえ 夜着もふとんもみな絣
明治の中頃から大正時代にかけてこのような歌が歌われたという。
・明治27年には、全国生産の 26%を占め、全国 1位を誇ったこともあった。伊予絣は久留米絣、備後絣と並ぶ日本三大絣の一つであった。一筋一筋丁寧に藍で染め、丹念に織りあげていく伊予絣は、独特の暖かさと優しさが感じられる。

・鍵谷カナは天明2年(1782)、温泉郡垣生村今出に生まれた。
・鍵谷カナは、元治元年(1864)5月28日、82歳で逝去した。
・鍵谷カナの菩提寺は善正寺(松前町筒井)。
 
「伊予絣創始者 鍵谷カナ嫗頌功碑」
「此里ノ今出絣ハ年ト共ニ廣マリ松山ヲ中心トシテ数郡ニ製織セラレ伊予絣トシテ愛媛県ノ重要物産ト為リタリ此大産業ヲ創メタル功労者ナル嫗ノ八十三歳ノ高齢ヲ享ケテ永眠セラレタルハ元治元年五月二十八日ナリ」
「昭和四年五月建之 伊予織物同業組合 鍵谷嫗頌功会」
村上霽月の句碑
「朝鵙に 夕鵙に絣 織りすすむ」
・俳句の里 城西コース 9番
「頌功碑堂記念公園 建設奉仕」碑
小社
手水石
・「洗心」
・「昭和九年二月 今出主婦会 創立十周年記念奉仕」
句碑
「発起人 村上剛 松山渋柿会 今出支部 卯月支部 平成八年九月吉日」

奥土居公園【東垣生町】

空港第三公園【東垣生町】

空港東第二公園【東垣生町】

空港東公園【東垣生町】

東垣生水公園【東垣生町】

西垣生公園【西垣生町】

大新田公園【西垣生町】

住吉公園【西垣生町】


祭り・イベント

鍵谷祭
・鍵谷カナの命日である 5月28日に開かれる。
・バザー、俳句教室、絣の展示などの催しが行われる。
 
法要式【長楽寺】
・152回忌(2016)
絣の展示、実演織り【垣生公民館】
子供相撲【三島神社境内】
・小学生による相撲大会(2016)
慰霊祭【鍵谷堂】

垣生の夏祭り(夏祭り盆踊り大会)【西垣生町 垣生小学校運動場】
・2016年8月6日(土) 18:00〜21:00 ※2016年が第1回
・主催:垣生地区まちづくり協議会

どんど焼き【西垣生町 今出漁港】
・2016年は1/17に実施。
・2017年は1/15に実施予定。

絆ウォーキング【西垣生町】
・2017年は3/26に実施予定。


施設

松山空港路電波塔【東垣生町】


学校

温泉

伝説

勅使橋
「」(垣生のあゆみ、pp.195)

槍分
・東垣生農協の西手に残る地名。
「」(垣生のあゆみ、pp.195)

今出
「」(垣生のあゆみ、pp.195)

菅公井
「」(垣生のあゆみ、pp.195)

楠井戸
「」(垣生のあゆみ、pp.196)

波座
「」(垣生のあゆみ、pp.196)

七郎兵衛
「」(垣生のあゆみ、pp.196)

いなのす
「」(垣生のあゆみ、pp.196)


キャンプ

海水浴

人物

その他

今出(いまづ)【松山市西垣生町】

・西垣生町は、松山空港の南、重信川河口の北に位置する。
・この辺りは通称『今出』と呼ばれている。
・昔、菅原道真公が太宰府に流される途中、船を傷めて今治の桜井の浜に上陸し、その後、陸路にて松山に至り、西垣生の海岸から再び船出をした。
・道真を慕って別れを惜しむ村人に、「渡しは今この地を出ていくが、何しろ行き先は海路遠い筑紫の果て故、もう二度とお目にかかることもあるまい」と告げたところから『今出』という名で呼ばれるようになったという伝説がある。
・昔の今出は半農半漁の村であり、伊予絣の考案者である鍵谷カナが、江戸時代の終わりにこの地で織物を始めてからは、絣の町として栄えた。
・正岡子規が西垣生を訪れて読んだ句
『花木槿(むくげ) 家ある限り 機(はた)の音』
 
鍵谷祭
・鍵谷カナの命日である 5月28日に開かれる。
・バザー、俳句教室、絣の展示などの催しが行われる。
夕日と野鳥のコンサート
たこめし
西国三十三霊場巡り



《References》



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