![]() |
[KOMIL:KOtaro's Miscellaneous
Information Laboratory] Copyright (C) Kotaro Iseki (1996〜2022). All rights reserved |
![]() ![]() こたろう博物学研究所 市町村別情報庫 松山市 (日浦地区) |
【トップページ】【伊豫の隅々インデックス】【カテゴリ別インデックス】 |
市の花 | 市の木 | 市の花木 | 市の鳥 |
街の花:
ヒメユリ |
街の木:
カシ |
大字 | 字 |
大井野町(おおいのまち) | |
川の郷町(かわのごうまち) | |
東川町(ひがしがわまち) | |
水口町(みなくちまち) | |
河中町(かわなかまち) | |
玉谷町(たまたにまち) | |
福見川町(ふくみがわまち) | |
米野町(こめのまち) | |
藤野町(ふじのまち) | |
青波町(あおなみまち) |
だいば踊り【福見川町】
・市指定無形文化財
・8月15日の夜、境内で鉦打ちと念仏衆が掛け合いで唱える念仏に和して、大だいばと小だいばが各々胸につけた太鼓を打ちつつ激しく踊るものである。
・以前は村の若連中が演じ、75庭を踊っていた。
・この踊りは、昔、藤野にあった奥之城城主の慰霊行事として始まったと伝えられる。加えて村落の先祖の供養・悪病退散を祈願するようになった。
・現存の堤婆面に「宝暦五乙亥年」(1755)と銘文が刻まれていることから、江戸中期には行われていたと考えられる。
・この踊りと同一系統のものとして、温泉郡重信町山之内の盆行事がある。これは加藤遠江守という地方領主の慰霊芸能とされる。
川幟【東川町/河中町/藤野町/水口町】
・市指定無形文化財
三本杉【福見川町
新宮神社】
・市指定天然記念物(昭和37年11月5日指定)
ツバキ(お杖椿、新田椿)【河中町 両新田神社】
・市指定天然記念物(昭和48年8月19日指定)
アカガシ【川の郷町今治谷】
・市指定天然記念物(昭和56年4月20日指定)
円福寺(えんぷくじ)【藤野町】
200
・伊予十三仏霊場 4番:普賢菩薩
福見寺(ふくみじ)【福見川町】
200
・・山号:俵飛山
・インドから来た法道仙人が建てた。
![]() |
![]() |
新宮神社(しんぐうじんじゃ)【福見川町】
1999/7/10
・
![]() ・松山市指定天然記念物(昭和37年11月5日指定) ・和名スギ。常緑の高木で日本特産種。全国各地に野生がある。幹は直立して、高さ70m、直径5m以上にもなる樹種で、我が国の主要な木材として広い用途を持っており、その栽培も広大な面積を占めている。 ・ここの三本杉は、一本は目通り周囲9.5m、高さ約60m、二本は根元で癒着しており、目通り周囲12mもある。また、樹勢も極めて旺盛である。 ・2株の杉であるが、1株が地上1.4mのところで2本の大きな幹に分かれている。それぞれ周囲が7.1mと 5.5m、もう1株が互いに近接して一見、3本が並行しているように見えるため、この名前が付いたという。 ・樹高は65mと60mで四国一であり、樹齢は360年と推定される。 |
![]() |
諏訪神社(すわじんじゃ)【東川町】
2004/1/24
・
![]() |
![]() |
天一神社【藤野町】
200
・藤野町の天一神社には「龍神」が祀られている。
・文亀3年(1503)の大干魃で、龍神を祀り雨乞いをしたところ、祈り半ばにして雷雨となった。この時大きな松の木の落雷し、裂けた木肌に「龍」がはっきりと表れ、不思議に思った村人はこの場所を「龍神」と言いお祀りしたという。
・天和2年(1682)戌の年に大干魃があり、8月6日に雨乞い祈願を行ったという記録が見つかっている。
・1994年、松山市では日照り続きで水不足となったが、天一神社では
8月6日から一週間雨乞いの祈祷を行った。石手川に三台の神輿を並べ、笹で川の水をかけながら皆で祈ったところ、不思議なことににわかに雨が降り始めたという。
・境内には樹齢 100年を越えた木々がうっそうと生い茂っている。
八幡若宮神社【玉谷町】
1999/7/10
明見社【米野町】
・伊佐爾波神社末社であった。
・祭神:天鏡尊。
・旧くは妙見社と号していたが、明治3年に明見社に改号した。
・例祭:10月15日。
→(温泉郡地誌 伊予国地誌巻之弐 第二篇)
両新田神社【河中町】
1999/7/10
・祭神:新田義宗、脇屋義治
・日浦は、南北朝の戦いに敗れた新田義宗(義貞の息子)とその一族が得能家を頼って落ち延びた場所と言われている。
・新田義宗公は脇屋義治公らとともに芳野森に城を築き、麓に館を造ったという。
・二人の死を哀れんだ村人が、新田義宗を上新田神社、脇屋義治を下新田神社として祭った。明治3年に、この2つの神社を合祀して両新田神社として祭っている。
・新田義宗は、南北朝の争いで敗れた南朝側の武将で、鎌倉幕府を倒す立役者となりながら、後に足利尊氏に敗れた新田義貞の息子にあたる。
・新田義宗は、南朝の再興を願っていたが、上野国(こうずけ:群馬県)で戦に敗れその夢が果たせないまま、出羽国(山形県)の羽黒山という所に隠れ住んでいた。「このままでは、自殺するしかない」と決心しているところへ、明徳3年(1392)に、伊予の得能家から招かれ、脇屋義治(1320〜1403)という従兄弟の武将とともに伊予の地に落ち延びることになった。
・一族三十数人は、商人や山伏などに姿を変え、敵の目をくらましながら、やっとの思いでこの地にたどり着いた。
・お杖椿はこの時に新田義宗がついて来た杖を目的地に着いた際に根がついて芽を吹きだしたものと言われている。
![]() ・付近に多い五輪の墓は一族の墓で、「法力」と呼ばれ、位牌は円福寺に祀られている。 ・新田義宗は74歳でこの世を去った。 |
![]() ・脇屋義治は 83歳でこの世を去った。 |
![]() |
![]() |
![]() ・平成8年4月建立。 |
![]() |
若宮八幡神社【玉谷町】
・石手川上流にあり、高木層はムクノキが優占している。
・林内にはヤブツバキが多く、その他ヤブニッケイ、シロダモ、シュロ、ホソバタブ、カゴノキ、ヒサカキ、エノキ、アオキ、キチジョウソウ、ビナンカズラなどが生育している。
塒ヶ森(とやがもり)【米野町】
→(温泉郡地誌 伊予国地誌巻之弐 第二篇)
香溜山(こうだめやま)【米野町】
→(温泉郡地誌 伊予国地誌巻之弐 第二篇)
七ヶ村入合山【米野町】
→(温泉郡地誌 伊予国地誌巻之弐 第二篇)
蔓延山(はたかりやま)【米野町】
→(温泉郡地誌 伊予国地誌巻之弐 第二篇)
仏ヶ森【米野町】
→(温泉郡地誌 伊予国地誌巻之弐 第二篇)
津ヶ尾山【米野町】
→(温泉郡地誌 伊予国地誌巻之弐 第二篇)
ハゴノ峠(はごのとう)【米野町】
→(温泉郡地誌 伊予国地誌巻之弐 第二篇)
桧皮川(ひわだがわ)【米野町】
→(温泉郡地誌 伊予国地誌巻之弐 第二篇)
成畑川(なるはたがわ)【米野町】
→(温泉郡地誌 伊予国地誌巻之弐 第二篇)
加入道川(かにゅうどうがわ)【米野町】
→(温泉郡地誌 伊予国地誌巻之弐 第二篇)
![]() ・ |
![]() |
![]() |
![]() |
山へ飛んでいった米俵【福見寺】
・大化元年(686)、その年の夏は天気が悪く、米が何もできなくて、村人達は難儀をした。当時税として米を都まで運ぶ舟が瀬戸内海を往来していた。
・藤井という人の米を積んだ
舟が通りかかったのを、福見山頂から法道仙人が見ており、村人達に少し米をわけてもらおうと思って鉄鉢を持って舟の上まで飛んでいった。「わしの村の百姓らは、夏の大飢饉におうたため食うものもなく困っておる。どうぞ、米を施してはくれないか。」と頼んだ。ところが藤井氏は「だめだ。この米は都へ運ばねばならない公の米で、百姓等に施しなどできない。」と仙人の願いを聞き入れなかった。
・すると仙人の持っていた鉢が、高く空までも飛び上がったかと思うと、船の中の米俵が、鉢を追うように山へ山へと飛んでいった。
・藤井氏はびっくりしてしまい、「わからないことを言ってすまなかった。どうぞこの米をみんなのために使って下さい。」と謝った。すると不思議にも今度は俵が山から船の上に戻ってきた。
・米俵が飛んだのは法道仙人が幻術を使って人の目をくらませたものらしい。
![]() ・福見川町 県道河中平井停車場線沿い昭和56年4月20年、市の天然記念物に指定された。 ・根廻り 9.7m、目通り周囲 7.6m、樹高 25m、樹齢 500年と推定され、樹勢も盛んで県内では最大のアカガシといわれている。 ・旧三島神社跡の近くに有るため、おそらく「神木」として、住民が保護したものと思われる。 ・1995年12月22日、案内板・道標を設置した。 |
![]() ・徳川中期の墓碑、神社跡が多く残っている。 |
![]() |
《References》
・