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伊予の隅々
こたろう博物学研究所
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松山市
(坂本地区)

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伊豫の隅々インデックス

カテゴリ別インデックス

市町村概要

キャッチフレーズ
(1).

市の花 市の木 市の花木 市の鳥
街の花:
水仙
街の木:
キンモクセイ

特産物

沿革

地名
 
大字
久谷町(くたにまち)
浄瑠璃町(じょうるりまち)
窪野町(くぼのまち)


文化財

八坂寺層塔【浄瑠璃町 八坂寺】
・市指定有形文化財(昭43年10月25日指定)

八坂寺宝篋印塔【浄瑠璃町 八坂寺】
・市指定有形文化財(昭和43年10月25日指定)

クスノキ【窪野町 正八幡神社】
・市指定天然記念物(昭和43年10月25日指定)

イブキ【浄瑠璃町 浄瑠璃寺】
・市指定天然記念物(昭和43年10月25日指定)

葛掛五社神社社叢及び蛇の釜並びに龍王渕衝上断層【久谷町 葛掛五社神社】
・市指定天然記念物(昭和43年10月25日指定)

窪野の金毘羅月参り札【窪野町】
(郷土読本 ふるさと坂本)



城址

小倉城【久谷町】
「小倉」(予陽郡郷俚諺集)

大友城【】

真城(新城)【久谷町】

「新城 久谷」(予陽郡郷俚諺集)

葛掛城【久谷町】
・奥久谷東方に聳える「城の台」にあった。
・天正年間、明神清兵衛門が居城した。
・豊臣秀吉の四国征伐の際に落城した。
・城郭跡が残存している。

徳川城【窪野町】

「徳川城 窪野、平岡孫兵衛」(予陽郡郷俚諺集)

勝山城【久谷町】

・勝山にあった。
立林大膳上(たてばやしだいぜんのじょう)居城。(郷土読本 ふるさと坂本)
・久万大除城主・大野山城守直昌(おおのやましろのかみなおまさ)らとの連絡をとるための中継地点とされた。(郷土読本 ふるさと坂本)



遺跡


古墳


跡地

窪寺遺跡【窪野町】

・信濃国善光寺に参籠して二河白道図を感得した一遍上人は、窪寺の閑室にこの図を本尊として祀って念仏修業を続けた。
一遍上人縁の「念仏踊り」が行われる。
・「一遍上人絵巻」(国宝)にある「窪寺」とは、窪野町北谷辺りと推察される。

真城が台四国炭坑跡【久谷町】
真城が台(しんじょうがだい)には、昭和初期、露天掘りの炭坑があった。



円福寺
宝篋印塔
・江戸時代後期のもの(郷土読本 ふるさと坂本)

石仙寺【久谷町】

・山号:大本山
・院号:不動院 
・宗派:真言宗久谷派
・ぽっくり観音
・新四国八十八ヶ所
 

浄瑠璃寺(じょうるりじ)

2005/12/10
・四国八十八ヶ所霊場第46番札所
・所在地 :愛媛県松山市浄瑠璃町327
・電話番号:089-963-0279
・山号:医王山
・宗派:新義真言宗豊山派
・本尊:薬師如来 (県指定文化財)、脇仏:日光菩薩、月光菩薩、十二神将
・開基:行基菩薩
・ご利益:病気平癒
・交通:伊予鉄バス浄瑠璃寺前下車すぐ
・景観樹林保護地区 37号

・和銅元年(708)、行基が薬師如来を刻み本尊として祀ったのが始まりとされ、寺号の由来は本尊の別名瑠璃光如来にちなむ。
・一願弁天は知恵と芸術の守護仏としてあがめられており、1つの願い事を叶えてくれるという。
・養老5年(721)開創という。

「医王山浄瑠璃寺 同所(荏原)、 」(予陽郡郷俚諺集)
 
寺号碑
・参道入口
・昭和46年5月吉日
正岡子規の句碑
「永き日や 衛門三郎 浄瑠璃寺」
・俳句の里 城南コース 11番
・明治29年春の作。
(郷土読本 ふるさと坂本)
へんろ道道標
・参道階段前。道を挟んで向かい。
へんろ道道標
・参道階段をあがってすぐ右。鐘撞堂東側。
鐘撞堂
釈迦(?)の手形石「知恵と技能」
九横(くおう)封じ石
・標柱に"うらをごらん"と書かれている。
・"薬師如来は九横(九つの災難)"を救う。
鎮魂の皿
相原熊太郎氏の発案による。
(郷土読本 ふるさと坂本)
イブキ(3本)[イブキビャクシン(柏)]
・樹齢1000年といわれる。
・イブキビャクシンは、ビャクダンとも呼ばれる香木。
・松山市指定天然記念物(昭和43年10月25日)
・目通りほどに大きなウツロあり。どうやら幹内部は空洞化しているようだ。
(郷土読本 ふるさと坂本)
もみ大師
・豊作、延命
竜頭観音(りゅうずかんのん)
・"命の水を下さる竜頭観音"との説明書きが観音像の脇に。その台座には延命水と書かれている。
燈ぼさつ
手洗石?
・親子亀、瓶の中に亀
仏足石
・昭和48年仏誕2597年、弘法大師生誕1200年
仏手花判
・ほとけの指紋
一願弁天
イブキの巨木
・一願弁天の裏
本堂
大師堂
水守地蔵
・水子菩提、家内安全、子孫繁栄
おだんご薬師
へんろ道道標
・歩きへんろ道 (47)八坂寺へ700m
・"境内は御仏のお膝です"、"今生きていること有難し","今日の一日を充分に味わう"
平岡遠江守通倚(ひらおかとおとうみのかみみちより)の墓 (平岡遠州の墓)
「…此寺に平岡遠州の墓あり(平岡氏の子孫は周防にあり、時々参詣したる由なり)、」(予陽郡郷俚諺集)
・元々は久谷村指定文化財であった。
・墓碑の西側に宝篋印塔あり。
平岡遠江守は荏原城主。
・浄瑠璃寺の縁起によれば、平岡遠江守は、かつて「おこり」を患い、浄瑠璃寺の薬師如来に治癒祈願したところ忽ち全快し、そのお礼に山林を寄進。自らの菩提寺としたとのこと。
(郷土読本 ふるさと坂本)
宝筐印塔
・市指定文化財
・江戸時代後期のもの(郷土読本 ふるさと坂本)
アベマキ
・胸高幹周 2.5m
尭音(ぎょうおん)
・江戸時代の人。
・宝暦元年(1750)、庄屋・井口家に生まれる。
・浄瑠璃寺第9世住職。浄瑠璃寺復興後、法連寺(拝志村=東温市下林)に隠居し、托鉢の修行を続けた。そして、その浄財で土佐街道(岩屋寺〜松山)に多くの橋を架けた。
・天明5年(1785)、本堂を完成させた。
・立花橋を架けたことで有名。
(See.郷土読本 ふるさと坂本)

八坂寺(やさかじ)

・四国八十八ヶ所霊場第47番札所
・所在地:愛媛県松山市浄瑠璃町八坂773
・電話番号:089-963-0271
・山号:熊野山
・宗派:真言宗醍醐派
・本尊:阿弥陀仏如来 (県指定文化財) ※妙見大菩薩、弘法大師も合わせ祀っている。
・開基:役行者小角

・伊予十三仏霊場第10番
・大宝元年(701)、越智玉興が文武天皇の勅願により創建した古刹である。
・最初は大友山の麓にあった。(郷土読本 ふるさと坂本)
・本尊の阿弥陀如来坐像は、鎌倉時代、源信の作と伝えられる。
・この他、鎌倉時代作の印塔がある。
・並木の所々に残っている一筋の参道は、旧三坂街道につながっている。

「湯谷山妙建院八坂寺 同所(荏原)、 本尊阿弥陀、縁起詳かならず、山伏持のよし」(予陽郡郷俚諺集)
木造阿弥陀如来坐像(1躯)
・県指定有形文化財[彫刻]
宝篋印塔
・市指定文化財
・鎌倉時代のもの(郷土読本 ふるさと坂本)
・馬耳形突起(ばじけいとっき)を有するのが特徴。(郷土読本 ふるさと坂本)
・宝篋印塔は、はじめは経を納めるものとして扱われたが、後世には大日如来を拝むために造られるようになった。(郷土読本 ふるさと坂本)
層塔
・市指定文化財(昭和41年5月指定)
・三重、五重、七重、九重と層になっている。(郷土読本 ふるさと坂本)
極楽門/極楽橋
・1994年(?)に完成。
・小川に架けた橋と山門が一体となっている。
・橋と山門は、本尊のある本殿の東側に位置し、西方浄土がうかがえる。
・長さ約3.5m、幅約2mの橋には、大島の御影石を使用し、両側の石板に水鳥と蓮が刻まれている。
・門は高さ約5m、幅約2m、奥行き約3.5mで、桧と欅を使用。唐破風(からはふ)の銅板葺き屋根が奥まで続き、門の天井には来迎絵図が描かれている。
エドヒガンザクラ
・松山藩主・久松氏が仙台藩主から貰って植えたものだという。(郷土読本 ふるさと坂本)
藤の花道
・かつては山門から100bにわたる藤棚のトンネルがあったという。


神社

生目神社(いきめじんじゃ)【浄瑠璃町】

・大友山の麓の小高い山・生目山の上に鎮座する。
・祭礼は毎年4/15、9/15。(郷土読本 ふるさと坂本)
・祭神は平景清の短刀といわれている。(郷土読本 ふるさと坂本)
・宮崎県の生目神社から勧請した。(郷土読本 ふるさと坂本)
・社伝によれば、嘉永元年に疫病鎮護のため、小倉小太夫が須佐之男命、奇稲田姫命を勘定し素鵞神社と号した。嘉永12年から牛頭天皇宮に改称。明治なって再度素鵞神社と改称した。明治42年に関屋より現在地に移転し、生目神社と改称した。
(郷土読本 ふるさと坂本)
★八坂寺の手前から左に向けて、細い田の畦のような道をひたすら歩いていく。
・山の裾に沿って長い長い山道を登っていく。何m登ったことだろうか。足が棒のようになったと思った矢先、生目神社の鳥居が見えた。その向こうには白い霞に曇った松山平野が広々とした青い空の下に広がっている。
生目神社は目の病気を治す神様らしい。社殿の向こうには何枚も「目」と書いた紙が張り付けてある。何枚かに目を通してみると、どうやら自分の歳の数だけ目という文字、あるいは目玉の絵を描いて奉納すると御利益があるらしい。早速、手持ちのペンと紙にて実践に移してみる。
六地蔵尊

葛掛五社神社(かつらかけごしゃじんじゃ)【久谷町甲1717】

・祭神:一言主大神、罔象女神(みずはめのかみ)、国狭槌神(くにさづちのかみ)、埴安神(はにやすのかみ)、金山彦神(かねやまひこのかみ)
・例祭:10月12日
・古来、古社と称していたが、文武天皇元年(698)に、越智玉興が大和国葛城山より一言主神を勧請したもので、河野家葛城の城主は代々崇拝し、干魃の際には祈祷所とした。
社殿
・天保8年に火災に遭い、神社・宝物・記録類は殆ど焼失した。
・現在の社殿は、天保11年8月に再建されたもの。
社叢林
・市天然記念物(昭和41年5月11日指定)
・イチイガシ群落、イチイガシ×5、ウラジロガシ×5、カゴノキ×6、ヤブツバキ×2
・高木層は、イチイガシが優占し、カゴノキ、ウラジロガシが混生する。
・いずれも幹周300cm前後の大木が含まれている。県内ではイチイガシは稀に社叢林などに生育しているが、群生は少なく、この社叢林は貴重な群落といえる。しかし、以前に比べると樹勢は衰えている。

金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)【久谷町出口】
2004/2/7
・祭神:素盞鳴命、田村神、崇徳院、金山彦命、仁徳天皇、菅原道真(郷土読本 ふるさと坂本)
※「郷土読本 ふるさと坂本」には大物主命の名が記されていない。
・慶長年間に讃岐・象頭山の金刀比羅神社より分霊を勧請。
金平花大明神
・金平狸(メス)を祀る。
※「郷土読本 ふるさと坂本」には「馬塚金平花大明神」と記されている。
丸山神社社号碑
三輪田米山の書。

金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)【窪野町丹波 丹波池】
・丹波池の左上に鎮座する。

金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)【久谷町大久保】

正八幡神社(しょうはちまんじんじゃ)【窪野町】
2000/3/5
・祭神:玉依比女命、品陀和気天皇、帯中比古天皇、息長帯比売命
・拝殿内部の由緒書きによれば「延久2年8月15日、伊予国司源朝臣頼義故アリテ山城国石清水正八幡宮ヲ勧請 窪野正八幡宮ト号シ奉献リ円福寺宮坊ヲ以テ別当トシ神領田ヲ寄進アリ 仁平3年正月源三位頼政心願アリテ領内産土神窪野八幡宮神殿再建シ社領久米田及別当社僧読経料水田寄進アリ 元久2年閏7月27日河野伊予守通信一族弥熊三郎頼重ニ命ジテ浮穴郡荏原郷窪野八幡宮神殿修補 弘安4年蒙古退治御祈願成就ノ時国守河野通有 河野通純ニ氏神殿修補 神領若子寄進アリ 延元2年3月8日征南将軍宮満良親王御祈願ノ文中荏原郷内窪野部百貫ノ地御寄進ノコトアリ 天文12年癸卯年8月吉日河野伊予守通宣ノ奥方乙丑年女大願ニ依リ筆写ノ大般若経全部奉納今尚現存セリ」
日露戦役凱旋紀念碑
クスノキ
・市指定天然記念物(昭和41年5月11日指定)
・樹齢約600〜700年
・根回り約8.5m、目通り周囲6m、樹高20m

天満神社(勝山天満神社)【久谷町久谷中組】

・祭神:菅原道真
・例祭:1月12日
・天慶(てんぎょう)5年9月25日、越智安家の人達が大宰府より勧請した。
・河野の城を守るための出城(砦)の役割も兼ねていたという。(郷土読本 ふるさと坂本)

山口霊神【久谷町久谷中組】
2004/2/7
・拝殿内部には、「松山八百八狸 刑部 正三 窪野町 谷口増巳」の額が掛けられている。
・山口霊神拝殿天井梁部に掲げられた「狸碑建立費寄附者名」(昭和41年4月29日)には、「久谷部落」、「狸碑撰文 富田狸通」、「石工 相原誠鳳」などが見える。
・寄附者氏名には、相原、高市、武智、光田、渡辺、片岡、中川、野口...等の姓が見える。
・松山騒動の犬神刑部狸が閉じ込められた場所という。
松山騒動伊予八百八狸の碑
久万山騒動
後藤小源太(飛騨高山=岐阜県)の人。奥平久兵衛(おくだいらくへい)から古岩屋に住む犬神刑部(いぬがみぎょうぶ)狸の退治を依頼された。
→伊予名草(いよなぐさ)、松山鑑(まつのやまかがみ)


お堂



地蔵

月見大師【浄瑠璃町】

・久谷中学校の南に「月見大師」を祀ったお堂が建てられている。
・昔、遍路が浄瑠璃町のある家(*1)に泊まっていたとき、月光のさえる中で東の方に人が立っているのを見つけた。何とそれが弘法大師であったということで、「もったいないことじゃ。ありがたいことじゃ。」と拝むと、大師の姿はパッと消え、そこには丸い月の形の石が残っていた。その石には「月見弘法大師」と刻まれており、後にそれが月見大師となって、盛んにお祭りが催されたが、ある年この縁日でチフスが流行し、それが原因でさびれてしまったという。
・当時建てられたお堂は台風の影響でなくなり、長らく石は野ざらしの状態であったが、農道整備のため移転が余儀なくされ、現在のお堂に移されている。
・現在のお堂は 1994年4月29日に落成した。
(*1)郷土読本 ふるさと坂本では「野宿」となっている。

→(「ふるさとみてある記−月見大師」、広報まつやま)

馬頭観音【久谷町】
・馬頭観音は、顔が3つ、手が6本もあり、その頭の上には馬の頭が正面を向いている不思議な観音である。
・県道三坂松山線は国道33号線が開通するまでは久万・高知方面に行き来する旅人の旧街道として多くの人や馬が通っていた。その旅人や馬の無事を祈り、また村に住む人を天災や病気から守るために祭られたという言い伝えが残っている。そのためか待ちの入り口と出口にあたる場所に見られる。
・この石仏を地方によっては「めずかんのん」と呼んでいる。いつの時代に祭られていたかは不明だが、現在、榎、桜、奥久谷、久谷中組など周辺に8体ほどの馬頭観音が確認されている。




大友山(おおどさん)

・財宝埋蔵伝説あり。:平岡城の殿様が、豊臣秀吉の四国征伐を恐れ、一族の財宝・黄金を密かに大友山の地下へ埋めた。その目印に白南天を植えたという。 (郷土読本 ふるさと坂本)
 
北大友山
・山頂部に城址あり。
南大友山
・三角点有り。

生目山
 
生目神社

遠ヶ森(尖り山)

塩ヶ森

真城ヶ台
真城

城の台

・昭和初期まで、火を焚いて雨乞いを行っていたようだ。
葛掛城

勝山(かちやま)

・標高385m。
・勝山の砦は堅牢な守りであったため堅山と呼ばれていたが、いつしか勝山と呼ばれるようになった。(郷土読本 ふるさと坂本)
 →勝山に関する伝説
・昭和9年の大旱魃の際、山頂で雨乞い祈祷が行われたという記録がある。(郷土読本 ふるさと坂本)
勝山城

引地山【窪野町/重信町/久万町】
シコクカッコウソウ


鉱山

川・渓谷

久谷川

御坂川




池・湖・沼

四つ池

下池

中谷池

奥池

新池
(郷土読本 ふるさと坂本)

丹波池【窪野町丹波】
秋葉神社


ダム

出口橋
・坂本小学校上流。


風景

蛇の釜【松山市久谷町】

・明神層の礫岩を久谷川が深く侵食した河食地形。
・ (郷土読本 ふるさと坂本)
蛇の釜の大蛇伝説
蛇の釜の衝上断層


洞窟・鍾乳洞

樹木

アベマキ【浄瑠璃町 浄瑠璃寺】
樹高 目通り幹周 2.5m 根廻り幹周 推定樹齢

イブキビャクシン【浄瑠璃町 浄瑠璃寺】
・市指定天然記念物(昭和43年10月25日指定)
 
本堂前
樹高 約25m 目通り幹周 3.4m 根廻り幹周 推定樹齢 約1,200年
本堂裏(一願弁天裏)
樹高 約25m 目通り幹周 3.4m 根廻り幹周 推定樹齢 約1,200年
本堂前
樹高 約25m 目通り幹周 3.5m 根廻り幹周 推定樹齢 約1,200年

エドヒガンザクラ【浄瑠璃町 八坂寺】
・松山藩主・久松氏が仙台藩主から貰って植えたものだという。(郷土読本 ふるさと坂本)
樹高 目通り幹周 根廻り幹周 推定樹齢

エノキ【久谷町 榎 網掛石】
樹高 約12m 目通り幹周 3.1m 根廻り幹周 推定樹齢 約120年

クスノキ【窪野町 正八幡神社】
・市指定天然記念物(昭和41年5月11日指定)
樹高 20m 目通り幹周 6.0m 根廻り幹周 約8.5m 推定樹齢 約600〜700年

シイ【窪野町 一畑薬師入口】
樹高 約15m 目通り幹周 4.0m 根廻り幹周 推定樹齢 約500年

葛掛五社神社社叢【久谷町 葛掛五社神社】
・市天然記念物(昭和41年5月11日指定)
・イチイガシ群落、イチイガシ×5、ウラジロガシ×5、カゴノキ×6、ヤブツバキ×2
・高木層は、イチイガシが優占し、カゴノキ、ウラジロガシが混生する。
・いずれも幹周300cm前後の大木が含まれている。県内ではイチイガシは稀に社叢林などに生育しているが、群生は少なく、この社叢林は貴重な群落といえる。しかし、以前に比べると樹勢は衰えている。
 
イチョウ
樹高 約35m 目通り幹周 3.3m 根廻り幹周 推定樹齢 約300年
カゴノキ
樹高 約10m 目通り幹周 2.5m 根廻り幹周 推定樹齢 約1,300年
ウラジロガシ
樹高 約25m 目通り幹周 4.0m 根廻り幹周 推定樹齢 約1,300年
イチイガシ
樹高 約30m 目通り幹周 4.5m 根廻り幹周 推定樹齢 約1,300年
イチイガシ
樹高 約30m 目通り幹周 4.1m 根廻り幹周 推定樹齢 約1,300年

ヤマザクラ【窪野町 丹波池秋葉神社登山口】
樹高 約10m 目通り幹周 大 3.0m
小 2.0m
根廻り幹周 推定樹齢 約250年

クロマツ【窪野町 桜 公民館上】
樹高 約7m 目通り幹周 1.3m 根廻り幹周 推定樹齢 約150年

ムク【窪野町 中組 厳島神社(公民館)】
樹高 約30m 目通り幹周 5.0m 根廻り幹周 推定樹齢 約500年

サクワサンのムクノキ【久谷町久谷中組】
樹高 約14m 目通り幹周 4.0m 根廻り幹周 推定樹齢 約600年
・勝山天満宮の西側の田の中にある。
・享保年間に開田した先人が、森を無くすことを怖れ、何本かの木を残した。そして、開田を祝い、作物豊穣を祈願して田中神社を祀った。(郷土読本 ふるさと坂本)
・「サクワサン」とは「作場(=稲を作る場所の意)」から来た呼称か。(郷土読本 ふるさと坂本)

モミ【】
樹高 目通り幹周 根廻り幹周 推定樹齢




へんろ道
へんろみち道標
(郷土読本 ふるさと坂本)



三坂峠【久谷町】
正岡子規漢詩碑
地蔵尊
・常光寺[恵原町]の僧が文政九年(1826)に造立したもの。(郷土読本 ふるさと坂本)
・「四国西国霊場巡拝供養宝塔 大乗妙典一字一石納経 天下泰平国土安穏祈攸」


正岡子規漢詩碑【久谷町 三坂峠】
(郷土読本 ふるさと坂本)


公園

祭り

イベント

施設

学校

温泉

伝説

網かけ石(鯨石、妻子石(めごいし)、油石)【久谷町】
網かけ石:昔、農作業の邪魔になる二個の岩を村人総出で動かそうとしたけんど、びくともせんで困っておった。そこへ丁度通りかかった弘法大師が網を被せて棒で担って運ぶ途中、棒が折れてひとつは後ろの川に落ちてしもうて、もうひとつが今の場所に残ったと言われとらい。
鯨石:鯨のような形をしていることから。(郷土読本 ふるさと坂本)
妻子石(めごいし):非常時に妻や子が集合する地点であったことから。(郷土読本 ふるさと坂本)
油石:「油石 久谷村、 三坂往還端にあり、」(予陽郡郷俚諺集)

蛇の釜の大蛇伝説
・蛇の釜の洞窟には大蛇が棲んでいたという。
・蛇の釜の底にはオントル・メントルという淵があり、雌雄2匹の大蛇が棲んでいた。一説によれば大蟹も棲んでいたという。(郷土読本 ふるさと坂本)

大友山の財宝埋蔵伝説
・平岡城主が、豊臣秀吉の四国征伐を恐れ、黄金・財宝を大友山の地下に埋めたという。その目印として白南天を植えたという。(郷土読本 ふるさと坂本)
※財宝埋蔵伝説において、目印はだいたい白南天となっている。

勝山に関する伝説
・真城あるいは大友城との戦いで勝ったので勝山と呼ぶようになった(?)。(郷土読本 ふるさと坂本)


キャンプ

海水浴

人物

その他

長珍屋

久谷焼

(郷土読本 ふるさと坂本)

常夜灯
(郷土読本 ふるさと坂本)
 
金石常夜灯【桜】
・享和4年(1804)建立。
常夜灯【柿の木】 (*1)
・文化2年(1805)建立。
金石常夜灯【東方町組】 (*1)
・文化5年(1808)建立。
金氏石常夜灯【北谷】
・文化6年(1809)建立。
氏金石常夜灯【出口】
・文化6年(1809)建立。
石金八常夜灯【八坂】
・文化6年(1809)建立。
氏金八常夜灯【窪野本組】
・文化9年(1812)建立。
金八石常夜灯【砥部町高尾田】 (*1)
・文化9年(1812)建立。
金常夜灯【恵原】 (*1)
・文化13年(1815)建立。
常夜灯【上野中組】 (*1)


《References》
●郷土読本 ふるさと坂本、坂本公民館、平成4年2月
●ふるさと坂本めぐり、坂本小学校



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