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![]() ![]() こたろう博物学研究所 市町村別情報庫 久万高原町 (旧・面河村) |
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村の花 | 村の木 | 村の花木 | 村の鳥 |
リンドウ | モミジ |
大字 | 字 |
相の木(あいのき) | |
相の峰(あいのみね) | |
大成(おおなり) | |
笠方(かさがた) | |
河の子(こうのこ) | |
渋草(しぶくさ) | |
中組(なかくみ) | |
本組(ほんぐみ) | |
前組(まえぐみ) | |
若山(わかやま) |
面河渓【面河村】
・国指定名勝(昭和8年2月28日指定)
ヤマネ
・国指定天然記念物
山びこ荘【面河村大成】
・村指定有形文化財
五葉松【面河村渋草2503番地】
・村指定天然記念物
ヒメボタル群棲地【面河村大成】
・村指定天然記念物
大成風穴群【面河村大成】
・村指定天然記念物
若山城【面河村大味川
若山】
・菅内蔵之亟居城。
・家来に加藤次郎という剛力な者が居て、鹿の角を一束にして折る程の力持ちであったという。
薬師寺【面河村渋草】→久万高原町渋草1916
相峰神社【面河村相の峰】
大成神社(たいせいじんじゃ)【面河村大成】
2001/6/3、2002/1/13
・祭神:天照大神、大山津見神、応神天皇、昭和天皇、菅原道真命、源直清命
・縁起:
慶長5年庚子11月・中川主膳正源直清命が、この里の鎮守として、応神天皇(八幡神)大山津見神(山の神)菅原道真命(学問の神)をお祀りして、大成八幡神社を建てました。
文久2年壬戌10月、大成八幡神社の西南100mの地に、その結構郡内第一といわれる豪壮優美な社殿を造営し、源直清命を合祀し、大成六社神社として遷しましたが、大正3年甲寅6月焼失しました。 平成7年乙亥5月慶長創建の地に再建し、皇祖天照大神と聖帝昭和天皇の御神霊を勧請し、元伏見宮博明王殿下の思し召しにより、御社号を四国総鎮守の宮として、海南総鎮護大成神宮としました。 |
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![]() ・村指定天然記念物(平成10年6月29日指定) ・棲息地:林道沿線(土地所有者:長岡悟氏) 大成林道沿線一帯に棲息、群棲地として希少価値が高く、平成10年天然記念物として村が指定する。
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![]() ・「昭和63年7月17日、中川秀好氏発見」とある。
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![]() 「天津日の... 」 |
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![]() 「生国の山ふところの初音かな」 |
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![]() ・平成10年4月建立 |
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三社神社【面河村大味川
中組】
・祭神:湍津比売命、田心比売命、市杵島比売命
・延暦23年(804)、安芸厳島神社より勧請。
・天正18年(1590)、三社大明神と号するようになった。
・元禄2年(1689)、本殿を建設。
・安永7年(1778)、拝殿を建設。
![]() ・目通り5.5m |
![]() ・朝参拝すると軒下に水滴が落ちることが続いた。これは龍が夜中に抜け出し、水を飲みに行くからだと信じられた。その後、人々が拝殿の向きを変えると、それからは雫が落ちなくなったという。 |
正八幡神社【面河村大味川(おおみかわ)
若山】
・祭神:足仲彦命、誉田別命、気長足姫命
・天授2年(1376)8月、山城国男山八幡宮より勧請。
・寛永12年(1635)、本殿・拝殿を再建。
・安政2年(1855)、本殿を改築。
八柱神社【面河村】
八幡神社【面河村大味川
本組】
・祭神:足仲彦命、誉田別命、気長足姫命
・延久3年(1071)8月、山城国男山八幡宮より勧請。
・天授4年(1378)、社殿を改築。
・寛永6年(1629)、本殿を再建。
・寛永18年(1641)、拝殿を再建。
・寛政2年(1790)、本殿を改築。正八幡宮に改号。
・寛政11年(1799)、拝殿を改築。
・安政6年(1859)、本殿を再建。
・明治42年(1909)、八幡神社に改号。
八幡神社【面河村杣野
渋草 西の谷】
・祭神:足仲彦命、誉田別命、気長足姫命
・神亀5年(728)、越智玉純により創建。
・弘安4年(1281)、社殿を造営。
・天明元年(1781)、社殿を改築。
・文化8年(1811)、社殿を改築。
・安政4年(1857)、社殿を改築。
・明治19年(1886)、暴風雨により破損、再建。
・昭和7年(1932)、改築。
・昭和20年(1945)、戦災により焼失。仮殿を造営。
・昭和40年(1965)11月、社殿完成。
八幡神社【面河村杣野
前組 西浦】
・祭神:足仲彦命、誉田別命、気長足姫命
・天正18年(1590)、山城国男山八幡宮より勧請。社殿を建立し、八幡宮と号した。
・寛政11年(1799)、拝殿を再建。
・明治2年(1879)、八幡神社に改号。
石墨山【面河村/久万町】
2000/4/29、2001/7/22、2002/12、2003/10/19
・標高 1459m
・晴れた日には道後平野や瀬戸内海の島々が一望できる。
![]() ・赤鬼法性院をまつる祠。 ・赤鬼法性院のものと言われる普通の人の2倍はある人骨が収められている。 ・この人骨に触れると、必ず雷が鳴り大雨が降ると言い伝えられている。 →赤鬼法性院の伝説 ※2003/10/19に南面を探査したが所在特定できず。 |
気多山(けたやま)【面河村】
2001/6/3、2002/1/13
・標高 1218m
・大成神社より登山道有り。
八辻ノ峰【面河村】
2001/6/3、2002/1/13
・標高 1273m
・気多山からの縦走路を30分ほど歩くと、笹に囲まれた八辻ノ峰山頂に着く。
大ノ森【面河村】
・標高 1320.5m
面河山【面河村】
五代ヶ森【面河村】
堂ヶ森【面河村/丹原町】
2000/5/1、2001/5/3
・標高1689m
・えひめ自然100選
石鎚山【面河村/小松町/西条市】
・標高1,982mで西日本の最高峰。
・昭和30年11月1日指定を受けた石鎚l国定公園の中核をなす。
・日本七霊山の一つとして人々の信仰を集める。
二ノ森【面河村/小松町】
2000/5/1
・標高1929.2m
鶴ノ子ノ頭【面河村/西条市】
筒上山【面河村/高知県
本川村】
大成銅山【面河村大成】
面河川
鉄砲石川
割石川
中山川
・割石川支流
![]() ・四つの甌穴が並ぶ。 【Reference】 ・「えひめ秘境紀行-9-」、愛媛新聞、2006年4月17日 |
面河渓【面河村】
・石鎚国定公園
・1983年「日本自然百選」に選定
・昭和8年2月28日、国の名勝地に指定
・行ってみよう!えひめ感動の地20選
・町観光スポット21選(平成17年(2005)
久万高原町選定)
[面河本流]
![]() ・天狗岳の山懐を源とする面河川の最上流にある。 ・平成2年に「日本の滝100選」に選ばれた。 ・一の滝、二の滝、三の滝、3つの滝からなる。 |
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![]() ・高さ100m、巾200mの大断崖。 |
![]() ・水の音、苔の黒、岩の白、藻の緑、秋の紅葉...と五色に彩られる。 |
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[鉄砲石川]
![]() ・高さ40m |
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![]() ・高さ120m |
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[施設]
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![]() ・駐車場:有り、100台 【花】 ・ツツジ(5月) アケボノツツジ。高冷地のせいか、花の色が濃く鮮やかである。 |
坂瀬渓【面河村】
・堂ヶ森南面。
・大成神社へ向かう途中から、坂瀬渓へと続く道がある。
御来光の滝
・日本名瀑百選
・日本の滝百選(平成2年)
・落差約102m。
・面河川(仁淀川源流)
【Reference】
・「えひめ秘境紀行-1-」、愛媛新聞、2005年12月5日
虎ヶ滝
・面河川本流
錦木の滝
・面河川本流
布引の滝
千段の滝
鼓ヶ滝
猿飛びの滝
面河ダム【面河村
笠方】
大成風穴群【面河村大成】
2001/6/3
・村指定天然記念物(昭和63年11月1日指定)
・場所:面河村大成435/437/438/439番地
・所有者:長岡悟
・員数:33,609u
大成風穴は1個ではなく、冷風、温風を吹き出す数多くのものが分布する(風穴群)とされる。明治45年当時の状態に復元された第1号蚕種蔵庫(冷風穴)とその約20m下方にある温風穴(奇穴)の近くには2号蚕種蔵庫跡があり(これは当時2階建となっており、2階は事務所として使用されたという)また、この風穴分布地一帯は年中氷のある場所として知られ、夏季においても1m掘れば氷を手に入れることが出来たという。
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![]() 「杖に選ぶ黒文字の木の落葉して」 ・雷死久明治42年大成来訪時の句を刻んだ碑 |
![]() ・大成林道の風穴入口に建つ。 |
初瀬の桂【面河村大成】
2002/1/13
・県指定天然記念物
・町観光スポット21選(平成17年(2005)
久万高原町選定)
・日本一の大桂といわれる。
・推定樹齢約300年、株齢1,000年。
・株周り29.5m、高さ46.64mある。
五葉松【面河村渋草2503番地】
2001/6/3
・村指定天然記念物(昭和63年4月1日指定)
・所有者:高岡一郎
・樹齢:350年
・目通り周り3.69m、高さ27m
・この木は、船の形をした植木鉢に植木としてつくったもので、当時船型五葉松と呼ばれていたそうで、目通り3.69m、高さ27mあり、全国で3番目に数えられる大木である。
笹倉湿原(さぞうしつげん)のウマスギゴケ群落【面河村笹倉】
悟句碑
「天津日の... 」
美鶴句碑
「生国の山ふところの初音かな」
雷死久句碑
「杖に選ぶ黒文字の木の落葉して」
・雷死久明治42年大成来訪時の句を刻んだ碑
宮内福一先生句碑
「風花の舞う渓谷の深さかな」
岬歩句碑
「空よりも高きふるさと青山河」
歌碑
「皇国の生命に生きむ自が身は天津御親の赤子なりせば」
望郷之碑【面河村関門】
2002/7/28
『石鎚の 峯にかかりし 白雪を あおぎておもう 幼な日のこと』 明重
「松本明重先生ハ大正三年六月面河村栃原ニ生レ、幼少ニシテ志ヲ立テ郷関ヲ出ス時ニ僅カ十有三歳タリ 長ジテ国事ニ吾走シテ息ムルナク ソノ希ウトコロ世界ノ平和ト人類ノ福祉ト日本ノ歴史ト伝説ヲ護リ皇威ノ■弘ヲ期スルニアリ 先生古都京洛ノ地ヲ愛サレ、ソノ山科ノ雲■居ニ住ス 雨外ノ人士競ツテ来住シテソノ教ヲ享ク 先生歌道ニ造詣アリ ソノ詠スルトコロ悉ク救世憂国ト望郷ノ情■綿タリ 春風秋雨五十年茫々トシテ雲去リ雲来ル 幼時ヲ追懐シテ尽クルナシ 在郷門下ノ雄姿相図リ先生ノ志ヲ偲ビ一首ヲ刻シ此処ニ碑ヲ建テ敬仰ノ念ヲ捧グ 昭和53年戌午 夏八月吉辰 長岡 悟
撰 中川毘子太郎 書」
石鎚国定公園
・町観光スポット21選(平成17年(2005)
久万高原町選定)
面河ダム公園【面河村】
・町観光スポット21選(平成17年(2005)
久万高原町選定)
大成記念園【面河村大成】
2001/6/3
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![]() 「若葉して 桂千年 秘史の里」 |
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![]() ・遊歩道脇に数多くの植物が植生されており |
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![]() ・村指定民俗文化財(平成5年4月1日指定) ・所在地:面河村大成679番地 ・所有者:長岡悟 ・面積:90.40u ・構造:木造草葺平家建 ・山びこ荘は文化10年に建築され、家塾大成学舎、松山藩杣野銅山手代所、戸長役場、大成風穴養蚕管理事務所がおかれ、知名人が多数訪れた建物である。 |
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![]() ・文久3年3月に建てられた藁葺き家屋。 |
面河万才
・高地心中 ・謎づくし ・八百屋お七 ・豊年おどり 万才
石鎚天狗太鼓
・平成元年6月に設立され現在第一部から第四部までに構成され、第一部お山開き(登山)、第二部御神体、第三部いかだ流し、第四部石鎚嵐をテーマにして太鼓の演奏をする。
鬼の金剛(1月16日)
・「念仏の口あけ」といわれるこの日には、各地区の人たちが集まり、集落の入り口や川などに、大きなワラジをつるし念仏を唱え無病息災を祈る。
ふれあい芸能発表会(2月第3日曜日)
・太鼓、面河万才、大正琴、吟詠、カラオケ、ピアノ、獅子舞等、普段の練習を発表
石鎚山お山開き(7月1日〜10日)
面河村納涼花火大会(8月15日)
・花火、盆踊りなど。
石鎚の聖流郷まつり
(9月中旬)
・面河渓谷内での渓流つり大会。
紅葉まつり(10月23日)
・土小屋で開催。
面河村ふるさとまつり
(11月第2日曜日)
・役場をメイン会場に産業・文化・教育などの展示・発表を行う。
秋祭り(11月18日)
・愛媛県で一番遅い秋祭りである。
面河山岳博物館【面河村】
・町観光スポット21選(平成17年(2005)
久万高原町選定)
・電話番号:0892-58-2130
・平成3年4月にオープンした。
・石鎚山と面河渓の成り立ち、動植物、山岳信仰、そして面河村の人々の暮らしや産業などを展示する。
![]() ・博物館裏手にある落差40mの滝。 |
![]() ・猿飛佐助の発祥地は面河であるという。 |
面河村松本記念館【面河村大味川
中村】
国民宿舎面河【面河村】
国民宿舎石鎚【面河村】
面河少年自然の家【面河村】
・木・造平屋建て、 宿泊定員200人
石鎚レジャーランド【面河村】
・食事 バーベキュー、山菜料理 ゴーカート 悪路コース
つりぼり アマゴ、ニジマス。
岩黒山荘【面河村】
面河村観光センター【面河村】
おもごふるさとの駅・面河村特産品開発センター【面河村】
・町観光スポット21選(平成17年(2005)
久万高原町選定)
赤鬼法性院【面河村 石墨山】
・石墨山の麓、杣野(そまの)に赤鬼法性院という修験者(山伏)が住んでいた。力持ちであり、その名は松山城主まで伝わっていた。
・ある日殿様は松山城に赤鬼法性院を呼びつけ、その力試しとして米蔵の積み替えをさせた。法性院はあっという間に積み替えを終え、殿様はひどく感心し、誉め称えた。
・ある年の秋の夕方のこと、赤鬼法性院は石墨山で肥料にする草を刈っていた。そのとき上の方からザワザワと怪しい草擦れの音が聞こえてきて、段々と赤鬼法性院に近づいてきた。胴回りが60cmもある大蛇が目を爛々と光らせながら、捕らえた兎を飲み込もうとしている。これを見た赤鬼法性院は手に持っていた鎌で大蛇の頭を切りつけた。さすがの大蛇も捕らえた獲物を放して逃げてしまった。
・やがてどっぷり日が暮れて、真夜中になると戸外でズルズルと何かを引きづるような物音がしはじめた。これは赤鬼法性院に仕返しにやってきた大蛇の這う音だった。大蛇が襲いかかってきて、赤鬼法性院はもはやこれまでと両手を頭上で組み合わせた。あっという間に首にぐるぐると巻き付いたが、
赤鬼法性院は両手を頭上に組んでいたので、首を絞められずに済んだ。やがて駆けつけた女房に包丁を持ってこさせて、大蛇をずたずたに切り裂いてし
まった。
・ある年、石墨山の大石を動かすために大勢の人が仕事をしていた。そのとき、ふとしたはずみで大石が麓めがけて転がり始めた。赤鬼法性院は、下で待ち受け、2本の鉄の棒でこれを受け止め、麓の人々が押しつぶされるのを防いだ。
・年をとってからの赤鬼法性院は、石墨山の岩陰で毎日鐘を打ち鳴らしながら仏様を拝んで暮らしていた。1年、2年と年を追うごとに、その鐘の音はだんだん跡絶えていき、人々が心配して見に行くと、既に眠るように息跡絶えて岩陰に横たわっていた。人々はこの場所に祠を建て、石墨大権現として赤鬼法性院を祀った。
・今でも石墨山の祠には赤鬼法性院のものと言われるおおきな人骨が納められているという。この骨は普通の人の2倍ほどもある大きなもので、古くからこの骨に触れると雷が鳴り、大雨が降ると伝えられている。
面河第一キャンプ場
第二キャンプ場
鉄砲川キャンプ場
松本
明重
日本民主同志会会長、平安教団教祖、日本郷友連盟副会長、松山聖陵高等学校理事長などの要職を歴任。
平成2年に名誉村民の称号が送られた。